何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。

そんな時代だからこそ、硬直してしまいがちなアタマを柔らかくしてみよう。あなたの人生が変わるきっかけになるかもしれない・・・そんな本がここにあります。「視点が変わる読書」連載第23回。「復讐よりも恐ろしい嫉妬」 アレクサンドル・デュマ著『モンテ・クリスト伯』を紹介します。



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第23回  復讐よりも恐ろしい嫉妬『モンテ・クリスト伯』アレクサンドル・デュマ(岩波文庫)

   



◾️嫉妬心が殺害への導火線だった!?

  最近いちばん驚いた事件は、名古屋の主婦殺し容疑者逮捕だ。



 事件は1999年11月に起きた。名古屋市のマンションに住む主婦(当時32歳)が何者かに刺し殺された。現場に一緒にいた2歳の息子は怪我もなく無事だった。



 犯人が捕まらないまま26年が経とうとしていた今年(2025年)の10月31日、容疑者の女性が逮捕された。それは殺された主婦の夫の高校時代の同級生だった。二人は同じ軟式テニス部に所属していた。



 主婦の夫と容疑者の間に恋愛関係はなかったが、容疑者は夫に対し一方的に恋愛感情を抱いていて、高校生の時に二度、バレンタインデーにチョコレートを贈っていた。

高校卒業後も彼の通う大学のテニスの応援にかけつけたりもしたが、彼女の恋が実ることはなかった。



 事件があった1999年の6月、主婦の夫と容疑者は久しぶりに高校のテニス部の同窓会で再会した。二人ともそれぞれ結婚していて、近況を報告し合った。



 その5か月後に容疑者はかつて恋愛感情を抱いていた男の妻を刺し殺した。



 事件には10万人もの捜査員が導入され、事情聴取した人は5千人以上にのぼるというが、26年もの間、犯人は捕まらなかった。



 容疑者に、普通に考えられる動機がなかったからだ。



 一体どうして高校時代に淡い恋心を抱いていただけの相手の妻を、わざわざマンションまで訪ねていって刺し殺すだろう。



 当の夫さえ容疑者の名前を聞いた時に、「信じられない」とつぶやいたという。



 容疑者は、主婦を殺し夫に子育ての苦労を分からせたかった、と供述しているが、私は、動機は嫉妬だと思っている。同窓会で夫と再会した容疑者は、夫が妻と子どもとともに幸せな生活を送っていることを知った。マンションを訪ね、主婦と対面した容疑者は自分が得るはずだったものを得た女の姿をそこに見た。人は自分にはどうしてもかなわないと思った相手に対し、嫉妬心を燃え上がらせるのだ。



 



 11月10日に封切りされたばかりの映画『モンテ・クリスト伯』を東京のTOHOシネマズシャンテで見た。チケット売り場の前にも、予約券交換機の前にも長蛇の列が出来ていて、映画館は9割方の入りだった。



 午前10時20分からの回ということもあるのだろう。年配者が多かった。一人で来ている人もいれば、夫婦、友人同士のグルーブなどで来ている人たちもいた。恐らく、みなさん、高校生か大学生の時に、フランスの名作文学に触れられた方々なのではないだろうか。かく言う私もその一人だ。



 



◾️映画『モンテ・クリスト伯』大ヒットの理由

  アレクサンドル・デュマ・ペールが1844~46年に発表した小説『モンテ・クリスト伯』は時代と国を超えて読み継がれ、何度も映画化されている。それが何故今また映画化され、しかもフランス国内で940万人を動員する大ヒットとなったのだろうか。



 監督の一人であるマチュー・デラポルトによれば、今、フランスの学校でデュマの作品を学ぶことはほとんどないという。世界的に古典文学というものは流行らなくなっていて、学校の教材で使われることがなくなっているのかもしれない。しかし、学校で教えないからといって、読まれていないわけではなく、今でもデュマの作品はフランス人にとって文学の入り口になっているのだそうだ。



 もう一人の監督、アレクサンドル・ド・ラ・パトリエールによれば、『モンテ・クリスト伯』は冒険小説でありながら、恋愛小説でもあり、また悲劇でもスリラーでも風刺でもある。その天才的なジャンルの融合が素晴らしいと言う。





 制作会社が動いて映画化のプロジェクトが始まったことを考えれば、『モンテ・クリスト伯』は今でも十分観客を引き付ける魅力があると判断されたわけなのだが、それは恐らくこの物語が「復讐譚」だからではないだろうか。



 復讐とは、利益を侵害された個人や団体が、その報復として加害者に害悪を与えることを言う。



 『モンテ・クリスト伯』の小説の主人公、エドモン・ダンテスは19歳という若さでマルセイユの商船「ファラオン号」の船長に抜擢された。しかも、巷で美人と評判のメルセデスとの結婚も決まっていた。



 ところがメルセデスとの婚約披露の最中に、エルバ島に幽閉されているナポレオンの支持者だという嫌疑で逮捕され、裁判もなしに、政治犯が収容されるイフ城の牢獄に入れられ、死ぬまで出られなくされてしまう。



 このような非道が行われたのは、嫉妬心の故だった。若いエドモンが自分をさしおいて船長に抜擢されたことに嫉妬したファラオン号の会計士ダングラールがメルセデスに恋焦がれ、婚約者であるエドモンに嫉妬しているフェルナンと共謀して、エドモンを死よりも辛い絶望の底へと突き落としたのだ。



 奇跡的に監獄を脱出したエドモンはモンテ・クリスト伯に扮し、自分の人生を奪った相手に対し緻密にして壮大な復讐の罠を仕掛ける。



 



 復讐譚は敵が明確だ。主人公のエドモンがダングラール、フェルナン、そしてもう一人、陰謀に加担した検事代理のヴィルフォールを容赦のない手段で追い詰め破綻させるのを見て、私たちは溜飲を下げる。

この快感は昔も今も変わらない。



 映画は178分という長丁場だが、3000ページにも及ぶ物語をその長さに凝縮し、最後まで飽きさせない緊張感を保っていた。



 魅力の一つは風景だ。セーヌ=エ=マルヌ県のフェリエール城をはじめ、ペルピニャン近郊ドービリー城、モンペリエ近郊のレンガラン城といった名城でロケが行われ、歴史が刻まれた美しい風景は観客を一気に物語の世界へと誘ってくれる。



 さらに、エドモン・ダンテスを演じたピエール・ニネの美麗なこと。彼は、2014年公開の『イヴ・サンローラン』で、サンローランを演じ、史上最年少でセザール賞主演男優賞を受賞している。19歳の若くて無垢な船員から40代のミステリアスな威厳に満ちた伯爵までを演じ切り、見事だった。



 



◾️全身全霊で人生を楽しみ尽くした作家と「嫉妬の本質」

  岩波文庫の『モンテ・クリスト伯』は山内義雄訳で、七巻が揃っている。高校生の時に一巻の途中で挫折した私は映画を見るにあたり、小説を読み直すことにした。すると、ページを捲る手が止まらないという言葉のままに七巻を一週間で読破してしまった。



 まず、人物造形が見事だ。



 この小説には、エドモン、メルセデス、ダングラール、フェルナン、ヴィルフォールはじめ、30人を超える主要人物が登場する。

それも貴族、神父から船乗りや山賊まで、多層の階級にわたっている。それぞれが強烈な個性を持って立ち上がり、躍動し、その関係は複雑に絡み合う。



 さらに、プロットの隙のなさ。



 ナポレオンの百日天下を下敷きにし、当時のフランスの不穏な国内状況、その中で繰り広げられる陰謀の数々、破滅、そしてそこから生まれてくる希望を描き切っている。



 この小説は『ジュルナル・デ・デバ』という新聞で連載されたが、こんなに面白い小説が載っていたら、さぞ新聞は売れたことだろう。連載終了後は本にまとまり、大ベストセラーとなった。



 その人気はすさまじく、『モンテ・クリスト伯』の印税でデュマはサンジェルマン・アン・レーに贅をこらした城を建て、600人を招いて落成祝いをしたという。



 しかも、デュマには『三銃士』という代表作もあり、生涯に600冊もの本を出し、新聞、雑誌の創刊に携わり、34人の愛人と100人前後の子供(認知したのは2人だけ)がいた。ところが、それだけ稼ぎまくったにもかかわらず金遣いが荒く、破産し、晩年は『椿姫』の作家として知られる息子のアレクサンドル・デュマ・フィスの世話になっていたという。



 『モンテ・クリスト伯』はかくも全身全霊で人生を楽しみ尽くした作家が書いた作品なのだ。



 映画では原作の複雑な人物関係が整理され、原作にない人物なども登場させ、全体的に分かりやすくまとめられていた。3000ページの物語を3時間の映画にするにはそうせざるを得なかったのだろうが、そのために失われてしまったものもあった。



 嫉妬の本質である。



 原作ではエドモン・ダンテスと彼を陥れたダングラール、フェルナン、ヴィルフォールとの関係は、そもそも希薄だった。つまり、エドモンは自分を牢獄に押し込めた三人とはほとんど交流がなく、彼らについてよく知らなかったのだ。



 ところが映画では、まずダングラールを商船の船長とし、その地位をエドモンに奪われたとしている。フェルナンとエドモンは友人で、お互いにメルセデスが好きだったということになっている。ヴィルフォールにはナポレオン党の妹がいて、彼女がエドモンの加勢をしようとしたことになっている。



 よく知っている相手との直接的な利害関係によって嫉妬が生まれたことになっているが、嫉妬心というのはよく知っている相手だから抱くものではない。よく知らない相手でも、自分がかなわないと思ったら燃え上がるのが嫉妬心なのだ。



 そこのところが映画では描けていなかったのだが、それは小説に委ねるべきものなのかもしれない。



 嫉妬が巻いた種により、復讐が生まれた。



 私は壮絶な復讐よりも、人の心に潜む小さな嫉妬の方が恐ろしいと思う。



  



文:緒形圭子

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