音楽の力は強大だ。リズム、メロディー、ハーモニーは、人間を具体的な行動に導いていく。

厭世的な生活を送るわれわれも、厭世的な音楽に身を委ねたい。人間にとって音楽はなんのために存在するのか? 作家・適菜収氏がシャンソンとサルサの魅力について語った。当サイト「BEST T!MES」の長期連載「だから何度も言ったのに」が大幅加筆修正され、単行本『日本崩壊  百の兆候』として書籍化された。連載「厭世的生き方のすすめ」では、狂気にまみれたこのご時世、ハッピーにネガティブな生活を送るためのヒントを紹介する。



人間にとって音楽はなんのために存在するのか?【適菜収】 連載...の画像はこちら >>



◾️小室哲哉と島倉千代子



 デューク・エリントンは「世の中には2種類の音楽しかない。良い音楽と、それ以外の音楽だ」と言った。僭越ながら私はこう付け加えたい。それと「ヤナ音楽と」。



 聴いているうちに厭世的な気分になる音楽がある。



 90年の初頭くらいから約10年間、どこに行っても、小室系と呼ばれる音楽がかかっていた。コンビニに行ってもスーパーマーケットに行っても、ピコピコピコピコとうるさい。あれで精神をやられた人間は多いと思う。



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 四六時中横にピコ太郎が座っていたら嫌だろう。それと同じ。ピコピコピコピコと人の心の中に土足で踏み込んでくるような感じもある。小室哲哉より武田鉄矢の方がまだマシ。暗い気分になるのは同じだが。



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 逆に言えば、厭世的な気分、アンニュイな気分になりたいときは、小室系に浸ってもいい。責任は取れないが。



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 前向きの音楽より、後ろ向きの音楽のほうが面白い。島倉千代子の「人生いろいろ」もいい。「死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ バラもコスモスたちも 枯れておしまいと」。花壇に除草剤を撒くのもいい。



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 バンドを組んで、嫌いな曲を大音量で演奏してもいい。

例えば長渕剛の「とんぼ」をユニゾンで演奏する。それに飽きたら、aiko「カブトムシ」でもいい。いや、ただ昆虫つながりで思い出しただけだが。



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 私はこれまでたくさんバンドをつくってきた。学生時代にはケミカルズというバンドをつくった。90年代初頭、上野公園に行くと大勢のイラン人がたむろし、変造テレカ(違法テレホンカード)を売っていた。テレホンカードのパンチ穴が開いたところに銀色のシールが貼ってあり、100回分のカードが10枚で1000円だった。それでイラン人がよく穿いているケミカルジーンズを衣装にして、中東問題を歌うというコンセプトの企画を立てた(その後、諸事情により頓挫)。



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 そんなことをして何のためになるのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、音楽活動の目的は、商業的な成功だけではない。バンドをつくること自体が楽しい。また、どんなにロクでもない曲でもつくった人は、一生懸命だったのだと思う。まずい料理でも栄養にはなる。

それと同じで「ヤナ音楽」にもなにかしらの意味がある。



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 20年くらい前の話。スーパーマーケットで買い物をしていると、急に心が重くなった。軽い吐き気もした。この不快感は何だろうと思い、しばらくして聞き取れないくらいの小さな音で音楽が鳴っていることに気づいた。それで全精力を傾け耳を澄まし、歌詞の一部(横浜など)を聞き取ってメモした。おそらくクレイジーケンバンドだろうと思い、自宅に戻ってパソコンで歌詞を検索したらクレイジーケンバンドだった。



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「ヤナ音楽」は人を動かす力がある。マイナスの方向に。





◾️ラジオのDJにかけてもらいたい曲



 私が子供のころ聴いていたシャンソンのラジオ番組がある。落合恵子の文化放送の番組だと勘違いしていたので、これまでいくら調べてもわからなかった。しかし先日、AIのおかげでNHK-FM「ミュージックプラザ」と特定することができた。



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 記憶の断片を入力し、AIに調べてもらった結果は以下の通り。



 なぜ「ミュージックプラザ」なのか



 時代・条件が一致



 1980年代後半(1988年前後)



 夜の放送(21時台~23時台)



 NHK-FM全国ネット→ 甲府でもそのまま受信可



 女性の落ち着いた語り



 「昨日、今日、明日」というキーワード



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 番組はこんな感じで進行する。「スタジオ前の銀杏並木もすっかり色づいてまいりました。それではお送りいたします。イヴ・モンタン『枯葉』」。



 Mais la vie sépare ceux qui s’aiment,



 Tout doucement, sans faire de bruit



 Et la mer efface sur le sable



 Les pas des amants désunis.



 (でも人生は愛し合う二人を引き離す。優しく、音もなく。海は砂浜から消え去ってしまう。



 別れゆく恋人たちの足跡を)



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 私もこういうラジオ番組をやってみたい。以前文化放送のプロデューサーに「適菜さんは深夜放送のほうが向いているのではないですか」と言われたが、たしかに深夜に流したい曲は多い。「空は晴れているのに心の中は吹雪でございます」などと言いながら、暗いシャンソンを流す。受験生が聴いているかもしれないので、応援のメッセージも入れる。

「やあ、受験生のみんな、勉強がんばっているかい。どうせ落ちるから勉強しても無駄だよ」「そもそも勉強中にラジオを聴いている時点で、待ち受けている未来は地獄だよ」と、クルト・ヴァイルの「セーヌ哀歌」を流したりする。セーヌ川の底に沈む死体の歌。



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 ラジオ番組ではサルサも流したい。サルサはニューヨークのイースト・ハーレム発祥の音楽である。そこにはプエルトリコ移民の悲哀がある。売春婦と連続殺人犯がお互いを殺し合うウィリー・コロンの「Pedro Navaja」、過ぎ去った愛を「昨日の新聞」のように無意味なものと捉えるエクトル・ラボーの「Periodico De Ayer」、心に深い傷を負った男を描くファニア・オールスターズの「Juan Pachanga」もいい。



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 エディ・パルミエリがニューヨークのシンシン刑務所で行ったライブを収録した「Live At Sing Sing」は、私が一番聴いたサルサのCDかもしれない。弟のチャーリー・パルミエリのキーボードも素晴らしい。コーネル・デュプリーもなぜか参加。先日、急に思い出して、YouTubeで検索してみると、1972年にセントラルパークでチャーリーが演奏している動画が出てきた。人生の時系列が狂うよね。



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 それとは別にニューヨークのライカーズ島にある刑務所で行われたパルミエリ兄弟のライブ映像も出てきた。刑務所で聴くサルサは身に応えると思う。受刑者がより厭世的な気分になり、血が湧きたち、再犯を繰り返すようになれば、サルサ冥利に尽きるのではないか。





文:適菜収

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