社会人になってから、ひたすら職場で求められる役割に応え続け、疲弊してきたミドル世代は多いのではないだろうか。
ほかの人が理由をつけて引き受けない仕事や、気が進まない管理職のポジションも断れない。
今回、話を伺ったのは、そこで「このままではいけない」と立ち止まった一人の女性だ。背中を押してくれたのは、モンゴルツアーで聞いた赤ちゃんの泣き声だったという。
“ミドル独女”の一人として、彼女が選び取った生き方をひもといていく。
■真面目にこなす独身女性ほど仕事が大変になっていく
「友達からよく『私の友達のなかでいちばん幸せそうだよ』って言われるんです」
そう言って笑う瑞希さん(仮名49歳)。「次は何をしよう」と日々ワクワクしながら過ごしているパワーが、取材のあいだ、ずっと伝わってきた。
瑞希さんは、40代半ばで公務員の仕事を辞めてニセコに住み始めた。ニセコを選んだのは、モンゴルツアーで出会ったガイドさんの影響だ。ニセコは「英語ができれば仕事がたくさんある」と聞いたのを覚えていた。スノボもできるし、外国人観光客と触れ合える環境も魅力的だった。
公務員を辞めた2021年12月、旅行の延長のような気持ちでやってきて、ホテルの事務やレストラン、馬のお世話の仕事をしながら生活してきた。
スノボやリゾバに夢中になっているとき、ふと市役所時代の同期たちの顔が浮かぶ。
「与えられた仕事を完璧にこなす独身女性は、組織にとって『便利すぎる存在』なんです。たいして望んでいなくてもどんどん役職が上がり、責任だけが増えていく。一方で、『私、無理です』と主張して大変な仕事を避ける人は、楽な仕事しか振られない。そんな不条理をたくさん見てきました」
瑞希さん自身も理不尽な思いを経験した。他の人が断り、瑞希さんが引き受けた仕事は、いつの間にか『瑞希さんの仕事』になっていた。そして、『瑞希さんならやってくれる』と低くみられ、次々と仕事が振られるようになった。
真面目に働く人にばかり負荷がかかり、自由が奪われていく。その矛盾に折り合いをつけられず、心身を削っている女性は少なくないはずだ。
瑞希さんはそんな彼女たちへ、静かにこう問いかける。
「もし迷っているなら、別の選択肢もあるよ、と伝えたいんです。退職してパートをしながら、貯金を運用して暮らしていく道だってある。
元同僚に伝えると、「やっぱり心配だし」とか「50歳まで待ったら割り増しで退職金をもらえるから」という答えが返ってくる。
最初は旅行のつもりで来たニセコ。収支は完全な赤字から始まったが、現在は公務員時代の4割ほどの収入を得られるようになっているという。
もちろん、生きてきた環境が違えば経済状態も違う。「たいして貯金がなかった」と言う瑞希さんだが、よく聞けば退職金と貯金、保険等を合わせて1000万円ほどの蓄えがあった。だが現実的には、蓄えがなく日々の生活にいっぱいいっぱいな人も多い。
すぐに仕事を辞めて「好きなことで生きていく」とはならないかもしれない。瑞希さんが伝えたいのは、「いろいろな選択肢があることを知って人生の時間を大切にする」というマインドの持ちようなのだ。
■モンゴルの草原で聞いた、赤ちゃんの泣き声
「この泣き方は、“満たされている子の泣き方”ですね」
2019年5月、瑞希さんはトナカイに乗れるモンゴルツアーに参加した。
現地住民のゲルにホームステイしたとき、夜泣きする赤ちゃんを見て、同行していた保育士がそう呟いた。
嘘をつけない子どもたちをみてきた保育士だからこそ、キャッチできた“違い”だ。
日本では、24時間コンビニに行けて、交通網も発達し、物質的な不足は少なくなっている。
一方、不便なモンゴルの草原で、家族に愛され、動物たちと共にある赤ちゃんの心は満たされていた。
幸せとは? それは持っているモノ、社会的地位や組織でのポジションとは関係がないことに気がついた。
「これまで必死に守ってきた『安定』は、私の心を満たしてくれているのか?」
この疑問が生まれた瞬間、瑞希さんのなかで「市役所で定年まで働く」という未来が、色褪せて見えた。
「このまま働き続けても、将来は管理職として議会対応でもしているのかな。それって絶対面白くなさそう」
そんなことを考えるようになっていた。
当時は仕事内容も人間関係も良好だったが、心の声は「NO」を伝えてくる。
やがて、朝起きると「今日も市役所に行くのか」という思いが湧いてくるようになった。休日に推し活を満喫していても、日曜日の夕方には職場に戻るのが憂鬱になった。
■「働き続けた先」が、はっきり見えてしまった
3年後、瑞希さんは、防災関連の部署に異動になった。
防災部署では、何かあれば休日・夜間の緊急対応が必要になる。昼・夜なく働かなければいけない状況になったことで、「無理して市役所の仕事を続けなくていいよ」と母は言ってくれた。
その後、コロナワクチン接種業務の部署に異動した瑞希さんは、さらに激務になった。接種スケジュールの調整をしながら、電話でクレーム対応や問い合わせ対応に追われる者、会議室の片隅に山積みになった何千枚もの書類を一人で処理する者、部署のメンバーはもれなく疲弊していた。出入り業者に状況を聞いても、「同規模の自治体と比べて、かなり少ない人数で回している」と言われるほど、人手不足だった。
それを上層部に訴えても、「対応できる人ばかりを集めた部署だから」と取り合ってくれない。「もう無理です」と訴える職員がほったらかしにされる状況を見ながら、瑞希さんはモンゴルの赤ちゃんのことを思い出していた。
「この泣き方は、“満たされている子の泣き方"ですね」
果たして、私はいま満たされているのだろうか。
そして、瑞希さんは2021年12月で市役所を退職した。「こんなカオスな状況なら、後腐れなく辞められるわ」と考えて。
公務員になって19年と半年だった。あと半年我慢していれば、退職金の金額は上がっていた。しかし、瑞希さんの頭にあったのは、「いまの時期やったら北海道でスノボとリゾバがめいっぱいできるやん!」という考えだった。
■安定は、「幸せな人生」を保証してはくれなかった
瑞希さんの「人生を楽しむ力」が磨かれたのは、大学休学中のファームステイでの体験も大きい。
特に印象に残ったのは、スロバキア人夫婦の生きざまだ。ご主人は教員だったが、1年の休暇を取ってフランスに来ていた。瑞希さんが「休んでいるあいだ、仕事はどうしてるんですか?」と聞くと「同僚に任せた」と言う。自分がやらなくてもほかの教員がカバーできるし、それがみんなの成長にもつながるという考えだ。
日本人なら、「周りに迷惑をかけてはいけない」「仕事を手放したら生きていけなくなる」と思う人が多い。
「人生には、決められたレールのまま生きる以外にもたくさんの選択肢がある」
このとき芽生えた思いは、20年後、退職を選ぶ彼女の決意を確かに支えていた。
■話したいときだけ話せて、あとは自由がちょうどいい
瑞希さんは現在、スノボや推し活のほか、野球観戦にもハマっている。自宅から3時間ほどの場所にできた北海道日本ハムファイターズの本拠地「エスコンフィールドHOKKAIDO」に通っていたが、やがて日ハムファンになった。現在は、球場近くにお部屋を借りてニセコとの二拠点生活を堪能している。
移住でニセコにやってくる人たちは、ほとんどが独身だという。
「ニセコは、気の向くままに生きているように見えて、何かしらしっかり仕事をしている人が多いんです」
そうした人達と触れ合うのも刺激になっている。
30代半ばまでは結婚も考えた。しかし、子どもの頃から「好きなことに没頭する時間」が何より楽しかった瑞希さん。両者を天秤にかけたとき、迷いはなかった。
「他人の人生まで背負うのは、面倒くさいというか、しんどい気がする」
この発言を、「わがままだ」と受け取る人もいるかもしれない。しかし、面倒くさいと思いながらも「世間」を意識して家庭に入り、我慢を重ねて苦労している人もいるのではないだろうか。
今後についてはどう考えているのだろう。
「不安がゼロではないけど、どうにかなる気がします」
それは、新しい土地で自分の人生を切り拓いてきた「これまで」のうえに築くことができた自信だ。
「これから先、独身で子どもがいない高齢者も増えて行くやろうから、年取ったら高齢者が住むシェアハウスみたいなのに住みたいな。話したいときだけ話せて、あとは自由っていうのがちょうど良いですね」
瑞希さんは、今年、友達と中南米への旅行を計画している。
「市役所やめたときに海外旅行に行こうと思ってたんやけど、コロナで延期になってたんです。今年こそはと、楽しみにしています」
瑞希さんの「やりたいこと」は、まだまだ終わりそうにない。
40代になってから、仕事も住む場所も変え、アルバイトから新しい人生を始める——。それは、決して簡単な選択ではない。これまで積み上げてきたキャリアや収入があればあるほど、「ここまでやってきた自分」を手放すことに、ためらいが生まれる。
それでも瑞希さんが、人生を再起動できたのは、彼女の中にあった好奇心を無視しなかったからだ。それが、真面目に生きてきたのに、どこか報われない思いを抱えている女性たちにとって、大切な一歩になるのかもしれない。
取材・文:谷口友妃
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