早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。連載「揺蕩と愛」#20は「京都の夜はもっと長いはずだったのに…〝書かないと死んでしまう〟そんな衝動とともに帰京した日」



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【書かないと死んでしまう】



 「あと少し」の声で街が騒めく中、耳をイヤフォンで塞いで人混みを掻き分けていく。コートの隙間から冷たい風が吹き込んできて、ポケットに両腕を入れてどうにか寒さをやり過ごそうとした。血中に溶けているはずのアルコールは何も作用せず、私をいつまでも冷たい現実にはりつけにして夢を見させてはくれなかった。



 京都の夜はもっと長いはずだった。表情が緩み切る時間まで飲み続け、そのまま眠りにつくのが常で、こんなにも意識がはっきりとしたまま、言ってしまえば東京の夜ぐらい緊張感が張り詰めているのは初めてだった。単純に飲んだ量が足りなかったのか、思いつきで入った店が上振れしなかったか、はたまた昼間に喫茶店で「PERFECT BLUE」を観てしまったせいなのか。ふと立ち止まる。このまま帰っていいんだろうか。



 せっかく京都まで足を伸ばしたのだから、と思ったところで、私はビルの窓ガラスに反射した私を見つけた。映るのは痛みを隠したがっている私。このまま進んでいく地獄を受け入れられない私。

向こう側の私が微笑んでいる。



 「はやくこっちに逃げてきなよ」と。



 思わず磨き上げられたガラスを割りたくなった。踵を返して求めるものがあるところへと進んでいく。エレベーターに乗り込み、鍵のパスワードを急いで打ち込んだ。扉が開くなり身につけていたコートとバッグを乱雑に置き、そのままパソコンの電源を入れた。



 書かないと死んでしまう、と思った夜はいつぶりだろうか。身体に留まったままの何かが私の中で密かに蠢いている。先々週に出された安定剤を飲んだときも同じような気持ちだった。中途半端なところで上にも下にも触れない気持ちを抱え、排出できない気持ち悪さが喉元で止まったままだった。早く。早くどうにかしないと私はこのまま時が止まったまま何もできなくなる。

迫り来る衝動に急かされるまま、文字を進めていく。これも全て京都のせい。そう、全ては私を京都まで連れてきた、いや戻らせた人間のせいだ。





【曖昧さを愛せるようになったのは歳を重ねた証拠?】



 薄水色の空にオレンジ色が混じり、徐々に一つへと変わっていく。二カ所目のサービスエリアに立ち寄る頃には、背筋を思わず伸ばすような冷たい空気とどこまでも続く黒に包まれていた。東京の家から見える空は狭く、そして均一だ。空を眺めようとすると、所狭しと立ち並んだビルが目に入る。空は私の頭上に広がっているものではなく、横に見えるものだった。緩やかな色味を拾い上げることもなければ、季節によって違う空気が漂っていることにも気がつかない。誰かが窓の外を映像にすり替えても私は何食わぬ顔で生活してしまうだろう。



 隣で運転する男が煙草に火をつける。googleマップの言う通りになりながらも、いくつかある選択肢の中で私に良い空を見せようと道を選んでくれる人。

この時間がそのまま真空パックに詰められればいいのに。画面に映される表示時間が短くなっていくのに、私の口数は少なくなってしまった。それと同時に私の中で音が浮かんできた。人間性との関係性は不思議だ。私の一つ一つの選択で、出会える人もいれば、別れる人も再会する人もいる。関係性の濃淡がつき、貼り付ける名前も一定でなくて良い。曖昧さを愛せるようになったのも歳を重ねた証拠なのだろうか。



 ぼんやり窓の外を眺めていると品川駅への到着アナウンスが耳に入る。4日分の荷物が入ったキャリーケースは行きよりも軽くなった気がした。ホームに降り立つ。やっぱり京都の寒さは東京のそれとは違う。身体にひんやりとした空気を取り込み、そしてそれ以上に長く吐き出す。



 私の道が始まる。一人だけど、一人ではない。目を閉じれば誰かが隣にいる感覚がある。よし。足元に落としていた視線を上に移し、改札へと向かった。





文:神野藍

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