子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【29冊目】「作文のお題は『ダカーポ』で」をどうぞ。



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【29冊目】作文のお題は『ダカーポ』で

 



 昔も今も就活は大変だ。いや、今どきの就活のことはよう知らんけど、みんなそれなりに大変でしょ? 就職氷河期と呼ばれた時代はもちろんのこと、最近は売り手市場とも聞くが、そうはいっても第一志望の会社や業界にすんなり入れるのは一握りだろう。 



 コンプライアンス重視の時代とはいえ、面接では確実にメンタルを削られる。今の大学生は3年生どころか2年生ぐらいから就活スタートするらしいし、大学が就職予備校みたいになってるのも正直どうかと思う。それでも氷河期よりは売り手市場になった分だけずいぶんマシなのかもしれないが、入試とは違う正解のない難しさはある。



 売り手市場といえば、私が大学4年生だった1986年もそうだった。日本経済がバブルの坂を上り始めた頃で、選り好みしなければどこかしらには就職できた時代である。しかし、私が志望したのは出版社。いくら好景気でも採用人数は少なく、大手でも十数名程度、中小は数名で、そこに数百人から場合によっては数千人もの志望者が殺到する狭き門だった。



 インターネットのない時代、情報は紙媒体が基本である。当時のマスコミ志望者のバイブルとして『マスコミ就職読本』(創出版)というのがあって(検索したら今もあるらしい)、私もそれを主要な情報源としていた。最近流行(?)のインターンシップみたいなものは、かつてもバイトという形で存在したようだが、そんな知恵もツテもない私はバカ正直に各出版社の新卒社員募集に応募するところから始めていたのである。

 



 講談社、小学館、集英社の大手3社はもちろん、その年に募集のあった出版社はいろいろ受けた。そのひとつが、マガジンハウスである。平凡出版からマガジンハウスに社名変更して3年、入社試験で初めて訪ねた東銀座の社屋はとてつもなくオシャレに見えた。出入口がポパイとオリーブのイラスト入りの自動ドアなのも感動した。 



 どこの入社試験もだいたいそうだと思うが、書類選考→筆記試験→一次面接→二次面接……と進んでいく。何しろ40年近く前のことで記憶が定かでないが、応募時の課題だったか筆記試験の問題だったかで、作文があった。お題は「弊社の雑誌をひとつ選び、それについて論じよ」みたいなやつ。そこで私が選んだのは、『平凡パンチ』でも『ポパイ』でも『ブルータス』でもなく、『ダカーポ』だった。



 『ダカーポ』の創刊は、1981年11月20日号。A5判、月2回刊で「『現代』そのものが圧縮されているリトル・マガジン」とのキャッチコピーを掲げる。100ページほどのボリュームだが、170円という値段は当時としてもお手頃価格と言えよう。



  表紙にビジュアル要素はなく、文字で埋め尽くされている。

大見出しは「長嶋茂雄の言語感覚」「全調査 夕刊フジvs日刊ゲンダイ」。ほかに「イスラム原理主義」「レーガン避妊法改悪」「『吉里吉里語』研究」「見えない爆撃機」「カプセル・ホテル」「ニュートラ=ドブネズミ論」「幻の視聴率測定器」など、各記事のキーワード的なものが羅列されており、時事ネタを押さえておきたいと願う層への訴求力はありそうだ。





作文のお題は『ダカーポ』で【新保信長】  連載「体験的雑誌クロニクル」29冊目
『ダカーポ』(平凡出版)1981年11月20日創刊号の表紙ともくじ



 



 初代編集長・甘糟章氏による創刊の辞(編集後記)はこんな感じ。



〈現代ほど情報が氾濫している時代はありません。TV・ラジオ・新聞・雑誌・単行本・PR誌・ミニコミ誌等々……数えあげればきりがありません。(中略)そこで、わたしたちは、自分の感性をたよりに、いくつかのキーになる、点のような断片的情報を結びつけて、「現代」そのもののイメージを創りあげなければならないわけです。/ダカーポは、わずか90ページの中にさまざまな現代的“点情報”をギッシリ詰め込んだリトル・マガジンです。/わたしたち編集部の情報の取捨選択・情報処理が的確ならば、読者は頭の中に、おぼろげにしろ、「現代の感覚的見取り図」のようなものをイメージすることができるはずだ――こんな期待をこめて、編集したつもりです〉



 要は、多種多様なメディアの情報をクリッピングする雑誌ということだ。さすがに特集は独自ネタだが、たとえば「ゴシップ」「語録」といったコーナーのネタは、週刊誌の記事からピックアップしたものだし、「グルメ情報」も雑誌や単行本からの抜粋。「マスコミがとりあげた店」の一覧表も掲載する。「ダカーポの選んだ三面記事」は地方紙の面白事件をセレクト。「キャンパス」では各大学の学内新聞やミニコミ誌の記事を紹介する。



 悪く言えば人のふんどしで相撲を取ってるようなもので、今でいう「まとめサイト」みたいなものにも思えるが、ネット検索ではなく地方紙やミニコミ誌までを手作業でチェックするのだから、それなりに手間はかかっている。一般週刊誌9誌(朝日、毎日、読売、サンケイ、文春、新潮、現代、ポスト、宝石)、女性・芸能誌5誌(平凡、明星、女性、セブン、女性自身)で扱われたテーマの頻度と総ページ数をランキングで見せる「雑誌の目次頻度」も、作業的にはなかなか面倒くさそうだ。 



 面倒くさいといえば、第2号(1981年12月5日号)の特集「世紀末的頭脳マラソン 雑誌『完全読破』の記録」もそう。『壮快』『中央公論』『婦人倶楽部』『微笑』『ニュートン』といった雑誌を表紙の法定文字(発行日や第三種郵便物認可日などの記載)からもくじ、記事本文、写真キャプション、広告、裏表紙の「Printed in Japan」まで、すべての文字を読破するというチャレンジ企画だ。挑戦者は、マスコミ系会社員と大学生。各自が読破までの過程と所要時間をリポートする。



 雑誌をそこまで精読することは普通ないので、それぞれにいろんな発見があって面白い。だいたい十数時間かけて読破しているなかで、気の毒なのは『ぴあ』をあてがわれた大学生だ。「はみだしYouとPia」のように読んで面白い部分はともかく、各映画館の料金や上映時間、路線図の駅名まで読まなきゃいけないんだから、たまったもんじゃない。結局、46時間42分(10日間)かけて読破したらしいが、この『ぴあ』のコーナーだけ活字が小さいのにグッとくる。どうやって数えたのか知らないが、データとして「約105万語」と記載されており、こういう数字を出すのも同誌の得意技だ。





作文のお題は『ダカーポ』で【新保信長】  連載「体験的雑誌クロニクル」29冊目
『ぴあ』のコーナーだけ小さい活字がぎっしり。『ダカーポ』(平凡出版)1981年12月5日号(2号)p10-11より



 



 取り扱う話題の主要ラインナップは、新聞、雑誌、本、テレビ、ラジオ、CM、プロ野球、そして“エロ”。

要はおっさんサラリーマンの関心事ということだ。創刊号の「ノーパン喫茶崩壊以後の経営努力」に始まり、「ラブホテル消し忘れビデオ鑑賞記」「作家別比較 ポルノ小説の言語感覚」「主婦出演のラジオ番組のセックス度」「『性感帯』論争史の35年」「わいせつ罪容疑本の摘発史」「スポーツ各紙駅売り版ピンク面の勝負手」「ピンク映画のタイトル雑学」「セックス業界・おんな仕掛人」「女流作家の性描写を比べてみる」「最新性教育映画の実情と限界」……と、特に最初の2~3年はエロ特集が頻出する。それも露骨なエロ企画ではなく、“現代社会を読み解く”風を装っているところが涙ぐましい。



「本」や「健康」といったコーナーと同列に「性」というコーナーもあった。連載においても、エロ雑誌やポルノ小説の濡れ場を抜粋する「くらいまっくす」、翻訳家の小鷹光信による「ポルノ英語講座(のちに和英ポルノ小辞典)」は名物コーナーとして長く続く。



 私が『ダカーポ』を一番よく買っていた大学3~4年生の頃にはエロ特集は鳴りを潜めていたが、「くらいまっくす」と「和英ポルノ小辞典」は健在だった。その頃は130ページで200円。キャッチコピーは創刊時のものから「『現代』が3時間でわかる情報の流通マガジン」に変わっていた。3時間というのは当時の東京-大阪間の新幹線の所要時間に合わせたのか。昨今のコスパ、タイパ的な風潮を先取りしていたとも言える。 



 記憶に残っているのは、やはり本と雑誌の特集だ。100号「'85週刊誌目次頻度を集計する」(1986年1月5日号)、106号「雑誌の進化論」(同4月5日号)、110号「本と雑誌の特集号」(同6月5日号)など。

もともと雑誌好きとしては手が伸びるテーマであるが、就活対策的な意味も感じていたのだと思う。102号「出版社のつくり方」(同2月5日号)、121号「雑誌編集者って何だ」(同11月19日号)なんかは明らかにそれ目的で買っている。



 いくらボンクラ大学生でも記事を鵜呑みにするわけではないが、小出版社の社長たちの言葉にうなずき、「マンガ編集者残酷物語」に苦笑する。そういう業界研究的な面だけでなく、「『現代』が3時間でわかる」情報クリッピングの部分でも、何となく役に立つような気がしていた。「4大紙社説テーマ頻度」「現代用語事典」「情報感度テスト」などは、いかにも時事問題対策になりそう。同種のクリッピング雑誌としては『新聞ダイジェスト』(新聞ダイジェスト社/1967年創刊)もあったが、それよりカジュアルで値段も安く娯楽要素もあり、手に取りやすかった。





作文のお題は『ダカーポ』で【新保信長】  連載「体験的雑誌クロニクル」29冊目
左上から時計回りに『ダカーポ』(マガジンハウス)1986年2月5日号(102号)、4月5日号(106号)、6月5日号(110号)、11月19日号(121号)



 



 ここで場面は冒頭に戻り、マガジンハウスの入社試験である。作文のお題として、『平凡パンチ』でも『ポパイ』でも『ブルータス』でもなく『ダカーポ』を選んだのは、自分が愛読していたというのもあるが、それを言ったら『ブルータス』もまあまあ愛読していた。あえて『ダカーポ』にしたのは、『ポパイ』や『ブルータス』を選ぶヤツは大勢いても『ダカーポ』を選ぶヤツはあんまりいないだろうという逆張り的計算もあったと思う。



 何を書いたか具体的内容は覚えていないが、雑誌を表紙から順にめくっていく体で、「『和英ポルノ小辞典』か。小鷹光信ってのはスケベだね」なんて軽口も挟みつつ感想を述べるような口語スタイルで書いた気がする。無難な感想文を書いてもつまらないし、とりあえず目立とうとしたのだろう。



 ふざけてると思われたのか、最初の面接で「この作文が評価の対象になると知ってましたか」と聞かれたが、「はい」と言うしかない。落ちたかなと思ったものの、首尾よく二次面接に進み、それも通った。しかし、最終的にはあえなく不採用。受験した出版社の中では最も初任給が高かったので残念だったが、仕方ない。マガジンハウスとはフリーになってから何度も仕事をすることになるが、それはまた別の話。



 社会人になってからも『ダカーポ』は、ちょいちょい読んでいた。が、雑誌の現場で仕事をするようになってからは忙しさもあって手に取る機会は減り、いつしか買わなくなってしまった。その後は書店で見かけることはあってもスルーしたまま、2007年12月20日号(620号)をもって休刊となる。最後の特集は「今年最高!の本」「ヒト・モノ・ブーム・事件の総まとめ」と、同誌の締めくくりにふさわしいものだった。



 最盛期に20万部だった部数は7~8万部になっており、「インターネットやフリーペーパーの台頭で読者の情報収集手段が様変わりし、雑誌としての役割を終えた」(朝日新聞2007年10月11日付東京夕刊)というのが休刊の理由。同日の産経新聞の記事では「インターネットや携帯電話の普及で、情報収集の手段が様変わりした。情報誌としての役割を終えた」となっていて微妙に違うが、いずれにせよ納得の理由ではある。むしろ、そんな時期まで頑張っていたことのほうに驚く。



 とはいえ、インターネットにインチキ情報があふれる今、一周回ってきちんとスクリーニングされた情報クリッピング雑誌の出番はあるのでは……という気がしなくもない。単なるクリッピングではなく、片っ端からケンカ売る勢いでファクトチェックする雑誌があったら、需要はあるのではないか。まあ、それこそコスパ的に成立しないかもしれないが。



 



文:新保信長



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