奈良地裁は山上被告に対して、検察の求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。統一教会問題が安倍元首相を殺害する動機に直結したので、彼に同情すべきだと、という弁護側、そして日本のリベラル・左派の主張が、司法の場では退けられることになった。
ほとんどの左翼は差別と闘うことを標榜するが、私は信用していない。「統一教会」に対して彼らの多くは、「反日の外国の宗教、出て行け!」と平気で言い放つ。(日本人の)信者が学校で差別され、職を奪われたと訴えても、カルトだから自業自得、MC(マインド・コントロール)が解けないので仕方ない、と言って取り合わない。教団への解散命令が確定した場合、信者たちがどうなるか、どういう状況に置かれるか考えようとしない。精々カルトをやめればすむことだ、くらいにしか思っていないのだろう。
彼らの中で「統一教会」は、政府や財界等の巨大な権力と一体化した悪の勢力であるので、その信者の個別の生き方には関心がいかないのだろう。ひょっとするとこの宗教は社会的偏見ゆえに、あらぬ疑いをかけられて苦しんでいる「社会的弱者」かもしれない、自分たちの見方が間違っていたかもしれない、と自己批判的に振り返ることはないのか? 統一教会を叩いている自分たちの方が、社会のマジョリティ側かもしれないと自問することはないのか?
「統一教会」と聞いた途端にいくら差別してもいいと思ってしまい、思考停止するのは、左翼の知的怠慢である。山上が安倍元首相殺害に至った“動機の分析”にその杜撰さが集中的に現れている。山上の殺人の動機は統一教会への恨みで、教団によって彼の人生は破滅へと運命付けられていたという言説のおかしさについては既にBEST TIMESに掲載された拙稿「【安倍首相暗殺犯裁判】山上徹也の殺害動機はそんなに単純なものだったのか」で既に論じたので詳細は省略し、ここでは、統一教会問題が強調されるため、左翼・リベラル系の思想家・理論家が完全に見落としている問題を指摘したい。
山上が育った家庭事情が影響を与えたことは前提にするとしても、それが母親の統一教会と遭遇したことで、急に生じた事態なのか、統一教会のMC術だけで家族の事情が急変したのか、ということがある。通常、宗教に批判的な左派でも、というより、そういう人たちこそ、それまで平凡な生き方をしていたと思われる人が、急に新興宗教やスピリチュアルな運動に傾倒すると、それ以前にその人の人生に何かあったのではないか、と考えるだろう。
ところが「統一教会」と聞いたとたん、「様々な問題で悩んでいる人の弱みに付け込んで…」という一言で片付けてしまう。それがどういう“弱み”なのかきちんと分析して、考えようとしない。まるで、統一教会のMC術があれば、どんな“弱み”でもMCできるので関係ない、と言わんばかりだ。統一教会のMC術というのが、あらゆる社会学・宗教学・心理学の分析を無効にしてしまうほど強力なものなら、それはそれで学問的にも法律的にも極めて興味深い事態なので、本気で分析しないといけないはずだが、ちゃんとした研究など行われていない。心理学者の肩書を使って、実験も観察もしないでプロパガンダをしている人間なら若干名いる。
山上の場合、実際どうだったか? 山上の家庭事情については、『月刊 Hanada』二月号の楊井人文弁護士の傍聴記や、『正論』二月号のジャーナリストの加藤文宏氏の記事で詳しく述べられている。山上の一つ上の兄は、生まれてまもなく大きな病気を抱えることになった。彼の父親は、妻の父(母方の祖父)が経営する土木会社に現場監督として勤めており、会社を継ぐことになっていたが、何かのきっかけで社長であった義理の父と対立するようになる。結果アルコールにおぼれ、妻に暴力を働くようになる。
つまり、統一教会に出会う前に、家族の健康問題や夫のDVが原因で、宗教に救いを求める姿勢が既に形成されていたのである。統一教会がMC術によって母親にいきなり、献金しないといけない、大変なことになるという気持ちを植え付けたわけではない。
加藤氏によると、母親自身は、宏正会の活動に参加したことで、イライラが浄化され、夫と子供に対してやさしくできるようになったと感じていたが、夫や他の家族は反対していたという。山上の父の兄にあたり、弁護士資格を持っている伯父は、母親が宏正会の「朝起会」に参加していたため、山上と兄の二人が当時ネグレクト状態にあったと証言しているが、加藤氏はそれがネグレクトと言えるのか、言えるとして、どの程度のものだったか疑問だとしている。
これは重要な論点である。「統一教会」が出てくると、すぐにこの教団がやることは全て悪だという話になってしまうが、宗教あるいはそれに類するスピリチュアルな活動に参加することで、他人にやさしくなれ、周りの人たちとの関係もうまく行くようになったと感じる人が少なくないのは確かだ。ただ、本人はそう思っているのに、家族が不快に感じることも少なくない。確信的な無神論者でない限り、家族が正しい、宗教はまやかしなので、やめるべき、と即断したりしないだろう。
多くの人は、「本人の心の中まで分からないし、基本、家族でない他人がとやかく言うべきではないと思うが、活動への参加と献金が家族への過度の負担、迷惑にならなければ、認められるべきではないか」と言うだろう。その許容限度をどうすべきかについては、その人が、リベラルな個人主義者か、コミュニタリアン的な考え方を持っているか、フェミニスト的な価値観あるいは宗教的価値観をどの程度持っているかによって左右されるだろう。
フェミニストにも様々な立場があるが、女性の家族内の内心の自由を認めたい派と、宗教は女性が従順になるよう作用するのでできるだけ排除したい派に分かれるだろう。
山上が二歳の時、父親はアルコール依存症と鬱が原因で飛び降り自殺する。そのため母親は二人の子と妊娠中の長女と共に、実家に帰り、祖父の会社経営を手伝うようになる。実家は、祖父の会社が順調だったこともあって、子供たちは高価なおもちゃを買い与えられるなど、決して貧しい暮らしではなかったという。
しかし一九八九年、山上が九歳になる年、彼の兄は病気が悪化して失明し、九〇年初頭のバブル崩壊の影響で、祖父の会社の業績も思わしくなくなる。
その時期、一九九一年、山上が十一歳の時、母親は統一教会に出会い入信し、すぐに二千万円献金する。実践倫理宏正会での道徳的実践では長男を病気から救えなかったので、神仏の見えない力に頼ろうとしたのだという。母親が入信したのは、正確には日本の統一教会そのものではなく、在日韓国人に布教するため韓国の信者で運営される教会だった。施設を運営する韓国人たちが日本の事情をよく知らず、彼女を財産に余裕のある資産家と思ったため、高額の献金を受け入れてしまった、と当時のスタッフ等は、加藤氏の取材に対して証言している――その後、この教会は廃止になり、母親は改めて日本の教団に入会することになる。
献金のことが家族に知られる所になると、バブル崩壊で先行きに不安を感じていた祖父の激しい怒りをかった。祖父は包丁を持ち出すなどして、母親を子供ともども家から追い出そうとすることがあった、という。
祖父は九八年に亡くなったが、それと同じ頃、高校を卒業した長男は引きこもりになり、家庭内で暴力を振るうようになる。こういう状況の中で母親はより強く信仰に救いを求めるようになり、家を売却して、その代金を献金するまでに至った。
統一教会との出会いで、家庭崩壊が更に進行したと見ることはできるが、祖父の脅迫的言動や息子のDVといったリアクションのために、母親は更に強く信仰に救いを求めるようになったと考えられる。それが更に負のリアクションを強めるという負のスパイラルに入ってしまったように思われる。
統一教会に限らず、宗教でこうした負のスパイラルが生じるのは珍しくないように思われる。宗教に限らず、親密圏で生じた問題について第三者に相談することが、かえって負のスパイラルを生む恐れがあるというのは、人間関係においてしばしば生じることだろう。
自分の家庭の状況を顧みずに続ける献金をそのまま受け入れてしまう、という点で統一教会側に確かに大きな非がある。人の心を扱う宗教にしてはあまり無神経という批判は受けてしかるべきだろう。
しかし、家庭内不和がエスカレートしたのは全て教団のせいなのか? 祖父が包丁を持ち出してきて、孫にまで出ていってくれと言う人ではなかったら、兄の引きこもり、DVがなかったら、母親はもっと冷静になっていたかもしれないし、統一教会が介在しなくても、遅かれ早かれ家庭内問題が深刻化した可能性はある。教団と出会う以前に、既にかなり深刻な状態になっていたのだから。
統一教会にかなり批判的な人たちは、教団は家庭の事情を知っていて、因縁トークなどをして、献金しなければならないと焦燥感を抱くようMCし、意図的に家族を破滅に追いやり、子供たちも信者にしようとしたのではないか、と勘繰るかもしれない。その可能性は否定できないが、計画的にやったという証拠はない。
そもそも、教団に短期間の接触でMCでどんな人でも信者にするテクニックがあるのなら、家族を崩壊させるのではなく、まるごと信者にする方が遥かに得策だろう。家族をいったん崩壊させた方が各人を信者にしやすい、というようなMC理論があるなら、実行するかもしれないが、誰もそんな理論の存在を主張していない。
元信者としての私の経験から言うと、この教団は、家族を大事にする宗教であることを売りにしている割に、個々の家庭の個別事情、経済的余裕や家族の懸念や反対などをあまり把握しておらず、誰かが把握したとしても、きめ細かく情報共有されることは少ない――あまり細かい情報がその地区の教団全体で共有されていたら、その方が問題だろう。そのため、しばしば見当はずれの見込みに基づいて献金を勧め、それが後でトラブルのもとになる。
世間で思われているように、「~しないと、地獄に落ちるぞ」と脅すのではなく、むしろ、献金することによって、真の父母(文夫妻)を中心に進められている天の摂理に貢献することになり、父母様に、そして神様に覚えられる、というように、おだてあげる形で献金を促すのが基本だ。
私は十一年半信者だったが、信者を脅していうことをきかせるための地獄トークは聞いた覚えがない。ただ、家庭に多くの問題を抱え、そこからの“救い”、現実的解放を求めて入信した山上の母親のような人の場合、献金が先祖の悪い因縁からの解放に直結し、楽になれる、と理解していることも少なくない。
そういう個々の信者の不安定さをちゃんと見て、無理な献金はさせない、というのが本来の宗教の在り方だとすれば、統一教会は失格だろう。現在、家庭連合と名乗っているのだから、猶更のことである。ただ、信者の家庭の事情を踏まえて伝道すべくちゃんと努力しなかったのと、意図的にその家庭を破壊した、というのとでは全く違う。ちゃんとそうした分析を試みた左派知識人や宗教学者はいただろうか?
また、山上の母親は韓国の教団を訪問するなどして、家を留守にすることが多く、育児放棄、ネグレクトしていた、と言われているが、母親自身は、子供たちが幼い時は、韓国に長期滞在したことはなく、精々、一日か二日で、そういう時も食事の作りおきをして、温めればすぐ食べられるようにして、祖父に任せていた、と証言している。通常の家事はこなしていたとも証言している。本当の所は分からないが、反統一教会派の宣伝を鵜呑みにして、母親はネグレクトしていた、と決めつけるのは侮辱だろう。
また、北大名誉教授の櫻井義秀氏は、そうしたネグレクトがあったという前提で、それを「宗教的虐待」と呼んでいるが、裁判で検察側が指摘していたように、「宗教的虐待」というのは通常、信仰を持つよう強制したり、宗教的儀礼に従わないので折檻するといった、直接その宗教に関わる虐待を指す。信仰を強制されたとは山上や妹も証言していないし、山上は母親の勧めで、さほど気は進まなかったかもしれないが、一応自由意志で修練会に出たり、母親の韓国の教団施設訪問について行ったりしている。
統一教会の負の側面を強調し、解散を確実にするために強い言葉を使っているのだろうが、「宗教的虐待」というレッテル貼りは、母親に対する二重の侮辱だろう。フェミニストたちは、統一教会信者という先入観ゆえに山上の母親の人格があまりに蔑ろにされている、と思わないのか?
更に言えば、夫を亡くした安倍昭恵さんにとって、反統一教会派による殺害を正当化するような発言、教団+格差社会の犠牲者である山上に夫に代わって謝罪すべきだという発言(鈴木エイト氏)はあまりに配慮を欠いていないか? 権力者の妻であった人は傷つけてもいいのか? それが弱者の権利のために闘うリベラル、フェミニストの姿勢だろうか? 私が左翼の知的怠慢だと言っているのはそういうことである。
文:仲正昌樹
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