めちゃくちゃ頭の回転が速く、いつも愉快な優しい人だった。ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんが食道がんで1月29日に死去した(63歳)。
パートナーで女優の池田有希子さんと「オフィスモーリー スタッフ一同」として公式SNS上で発表があった。
「モーリー・ロバートソン儀 かねてより食道癌療養中でございましたが去る一月二十九日 午前〇〇時五十六分 六十三歳にて永眠致しましたことを謹んで御報告申し上げます」
葬儀は故人の生前の遺志により近親者のみで執り行われた。
「事後の御報告となりましたこと 御詫び申し上げます。ここに故人が生前中賜りました ひとかたならぬ御厚誼に深謝し 衷心より御礼申し上げます。尚 誠に勝手ながら御香典 御供物 御供花等の御厚志につきましては固く御辞退させて頂きます。まずは略儀ながら書中をもちまして謹んで御挨拶申し上げます」
モーリー・ロバートソンさんは1981年4月:東京大学理科一類に入学。ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学、イェール大学、カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン大学の各大学に合格。天才だった。
ハーバード大学に進み、在学中に自叙伝「よくひとりぼっちだった」を刊行。88年ハーバード大学を卒業し、多数のテレビ番組にレギュラー出演を果たす。タレント、ミュージシャン、国際ジャーナリストと幅広く活躍。1991 - 1997年にナビゲーターを務め、レギュラー出演していたJ-WAVE「Across The View」。
かれこれ30年前。筆者が20代中盤、モーリーさんは30代前半だった。
西麻布には伝説のクラブ「YELLOW」、青山には「APOLLO」、六本木飯倉には「PLASTIC」があった時代。なかでも「PLASTIC」はそのプロデューサーが音楽・芸能・マスコミ業界との人脈が広く有名な方だった。筆者はたびたび一人で、もしくは女の子を連れて夜中に繰り出していた。だいたい午前2時頃だった。酔いに任せてクラブミュージックに身を委ねていたその時、「PLASTIC」でモーリーさんと度々遭遇した。お互いにアルコールを一気飲みしながら踊り狂った日々がある。初対面にもかかわらず踊りながらおもむろに裸になり、下半身はスッポンポン。お互いの一物を握り合って爆笑しながら踊り狂った日はまるで昨日のことのようだ。
そんな狂った日々から幾星霜。モーリーさんはすでに63歳になっていたとは。ジャーナリストとしてのこれまでの発言は毀誉褒貶あったけれど、自ら道化に徹しながらも実に鋭い視点で権力に抗う姿勢を示していた。そしてモーリーさんの真骨頂は近年、「コンプラなんてなんのその」という精神があった。まだまだモーリーさんの視点や考え方に触れ続けることができるものだと勝手に思っていたのだが。とても残念な思いがする。ご冥福をお祈りいたします。
【報告】
モーリー・ロバートソン儀 かねてより食道癌療養中でございましたが去る一月二十九日 午前〇〇時五十六分 六十三歳にて永眠致しましたことを謹んで御報告申し上げます
葬儀は故人の生前の遺志により近親者のみで執り行いました
事後の御報告となりましたこと 御詫び申し上げます
ここに故人が生前中賜りました ひとかたならぬ御厚誼に深謝し 衷心より御礼申し上げます
尚 誠に勝手ながら御香典 御供物 御供花等の御厚志につきましては固く御辞退させて頂きます
まずは略儀ながら書中をもちまして謹んで御挨拶申し上げます
令和八年二月一日
池田有希子
オフィスモーリー スタッフ一同
文:BEST T!MES編集部
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