バブルと不景気に翻弄された装丁家・斉藤啓氏がその想定外な仕事人生を振り返る、シリーズ「どーしたって装丁GUY」第8回。大手広告会社での大プロジェクトをやり遂げるも、まだまだ“デザイナー未満”だった21歳の斉藤青年。
■デザイン業界すみっこ暮らし
東京電力のブースデザインを無事コンプリート(前々回コラム参照)し、あれから早や2年。21歳になったぼくは、いまだデザイナーにはなっていませんでした。
1990年、東京原宿。
イトキンビルの裏手にあるマンション1階の小さな〔インレタ屋〕。ぼくはここでせっせとインレタ製作のバイトをしていました。そう、あの、シートをゴシゴシ擦って文字を転写させるインスタント・レタリングのことです。
バブル景気が頂点に向かいつつあるそのころ、青山・渋谷・原宿界隈では「石を投げればデザイナーに当たる」ほどに、デザイナーは人気の職業。これは80年代後期から続いている流れで、業界人口はもはや飽和状態寸前。大小問わずひしめきあうデザイン事務所の需要を当てこんでオープンしたのが、ここのインレタ会社でした。
「てか、インレタってデザインと何の関係があるの?」と首をかしげる向きもあるかもしれないですが、当時、インレタは広告デザインのプレゼンテーションにはマストだったんです。
広告デザイナーさんが、ポスターのデザインをクライアントにプレゼンする場合を例に取ると、デザイナーさんは、まずカンプライターと呼ばれるイラストレーターさんに、広告ビジュアル(タレントや商品など)の写実的なイラストを指示発注、同時に、キャッチコピーや企業ロゴなどのオリジナルインレタも発注します。
その受注先である、ぼくらインレタ屋が製作・納品したインレタを、デザイナーさんが先のイラストに転写。これが広告ポスターの完成見本〔カラーカンプ〕になり、これをクライアントへプレゼンテーション→協議・修正・承認を得たのち、本番の撮影→デザイン・フィニッシュ→印刷へ。こうしてやっと広告が完成し、街中に掲示されることになるのです。
今では、フォトショや、なんならAI画像生成でチョチョイのチョイ♪なこの作業ですが、当時はこのように全工程アナログ手作業で進められていた、というわけ。
とにもかくにも空前の好景気、仕事はうなるほどある。
先輩の尾崎さんとぼくで仕上げたインレタを、デリバリー隊の男子軍団がジャイロ(屋根付き原付)を飛ばしてデザイナーさんに配達、ついでに新規の原稿もどっさり引き取ってきて、またぼくらが作業をはじめる、この繰り返し。ざっくりインレタってシルクスクリーン印刷の応用で製作するゆえ、常にシンナー臭と塗料にまみれた狭い職場は、バタバタとせわしなくも活気にあふれ、いつもワイワイ賑わっていました。
■わるいやつら
ワイワイの震源地は、数人在籍していたデリバリー男子たち。揃いも揃って不良の子たちばかりで、24歳の高校生が2人もいました。不良といっても所謂イナカのヤンキーとはまったく違うタイプ。オシャレで、個性的で、多趣味で、話がおもしろくって、立ち振舞いが洗練されてて、ジャニーズよろしく、歳の差関係なくお互いの名前を“くん付け”で呼び合ってたりして。「斉藤ちゃんはウブだから」と、ぼくは“ちゃん付け”で呼ばれてはいましたが。
みんなアメカジ古着や軍モノファッションを思い思いに着こなし、足元はチペワのエンジニアブーツやNIKE。左腕には、当時出たてのG-SHOCK。SALEMやKOOLやマルボロなどの洋モク(なぜかみんなボックスでなく、ソフトを選ぶ)をくゆらせ、小さなソファでダルそうに駄話しながら配達の出番を待っている。
ここの社長のノギさんは、都内の別会社数社へデリバリーの派遣業務もしていたので、その子たちもヒマな時に集まってきて、この原宿の狭い事務所はまるで“不良の溜まり場”の様相となっておりました。
そんな彼らと、時間とお金がある時は、〔ギー〕でカレーか、千駄ヶ谷小学校脇の洋館を改装したスパゲッティ屋(店名は、忘れちゃった)でランチ。夜ともなれば誰かのボロボロのVWビートルに乗りこみ、24時間営業の青山の〔SARA〕や、六本木〔HAMBURGER IN〕で飯食ったり、六本木の防衛庁脇のバー〔Geoge’s〕で、ジュークボックスから流れるブラックミュージックを肴に一杯飲んだり。
知る人ぞ知るオシャレでおいしい飯屋や、カッコいい洋服、ラジカセから爆音で流れるHIP HOPのMIX TAPE。不良たちのそんなライフスタイルに、マルイかTAKA Qでしか洋服を買ったことのない、イモ美大生だったぼくもすっかり感化されましたね。自衛隊のPXでお揃いのG-SHOCK買って、バイト代(時給700円!)をアメカジ洋服や遊びに全振りして、悪い遊びもたくさん覚えて。
小平市で過ごした暗黒の美大時代から一転、見たこともない楽しさと新しさだらけの、原宿バイト・ライフ。ギラギラした東京のど真ん中で、その裏道を縦横無尽に不良たちと遊ぶ。その刺激的な楽しさにぼくはすっかり魅了されていました。
■裏道と表通り
一方、あいかわらずぼくは東電広告のデザイン仕事もやり続けていました。
こちらの仕事は、予告なしにいきなり依頼がやってくるので、その作業期間中(軽いものは3日、重いもので2週間とか)は、インレタ屋を急遽お休みして、主に東電広告の会議室を借りてデザイン作業に専念。
コマ切れの単発バイトながらも、やっぱりデザイン仕事はめっちゃ楽しいし、クセ者ぞろいのこっちの仲間にもめっちゃ良くしてもらえて。最近は、電通vs博報堂vs東電広告の3社競合での、東京電力の広告ポスター・デザインとかもやらせてもらえるようになってきて(ほぼ負け、でしたが)、実作業のリアルな流れや勘どころも掴み、より大胆にデザインを動かせ始めていた時期でした。
ただですね、思いっきりテンションMAXで東電のデザイン仕事をやりきった翌日、いつものインレタ屋に戻るタイミングが、誰の何にむけてかわからんけど、なんか気まずい…。インレタ社長は「いーよ、いーよ。斉藤の好きなようにやればいいじゃーん」と軽いノリの人でしたが、バイト仲間の不良軍団や、とくに、インレタ製作係の先輩である尾崎さんにはかなり負担をかけていたはず。みんな優しい人たちだったので、そのことについては何も言われたことはないんですけども。
デザインも楽しいけど、東京ライフも楽しい。どちらも別の楽しさや刺激がある。でも、この2つの楽しさをゴチャ混ぜにして、このまま中途半端に首を突っ込んでいっても、何者にもなれない気がして。
美大生時代なら、孤独や怒りを燃料に、アートやデザインへまっすぐに情熱を燃やすことができたのだけど、じっさいに自分がこう、リア充?エンジョイ勢?的な立場になってみると、まるで巨大遊園地のごとき東京の多種多彩なアトラクションを、ただただ楽しく遊び費やすうちに、そのうち自分が何をやりたかったのかすら忘れてしまいそうな怖さも感じていたのです。
東京不良ライフとゆう「裏道」で迷い遊ぶ傍ら、無意識ながらも、グラフィックデザイナーという「表通り」へと、その道筋にパンくずを撒いていた。今思えば、そんな時期だったのかもしれません。
■モラトリアムとシーラカンス
*
「啓ちゃん、でもやっぱさグラフィックデザイン作りたいよね!」
自由が丘の〔シーラカンス〕というバーで、何杯目かのバーボンロックを嘗めながら熱っぽく語りかけてくるのは、おーちん。
おーちんとは、東電広告営業のみっちゃんが「たぶん2人は気が合うんじゃないか」と引き合わせてくれた同い年の友達。東京生まれ東京育ちの長身の彼は、ふだんは寡黙で、ダークなパッションを内包しながらも、とてもアツくって優しくて思慮深くて正義感が強くて、そしてときどきクレイジー。ロックが大好きな彼と、HIPHOPにハマっていたぼくとの邂逅は、まさにミクスチャー。ともにアートやグラフィックにお熱だった彼とのひとときは、おもしろくて、刺激的で、時に呆れるほどくだらなくて、ぼくはこの時間が大好きでした。
不良にもオタクにもなりきれない。でも、好きなこと、表現したいことは山ほどある。そんな似たタイプの、ぼくとおーちん。インレタ屋不良軍団が「裏道」のカッコよさだとしたら、おーちんからはなんだか「表通り」の匂いがする。
そんな雰囲気にすっかり相好を崩し、どんどん杯を傾け、いつしかぼくは自分のモヤモヤをぶちまけていました。
「おれさ、近々にどこかデザイン事務所に就職するつもりだよ」と、ぼくの目をまっすぐ見つめてボソリ。その一言が、ぼくの手をとりぐっと引き上げてくれたような気がしたのは、バーボンコーラの酔いのせいだったか。そうだよ、カッコいいデザイン作るんならまずそこから、だよね?
その日は明け方まで、夢や希望をおおいに語り合い酩酊、けっきょくおーちんの家(実家)にお泊まり。翌朝、半分寝ているおーちんに見送られ、ひとりぼんやり田園調布駅まで歩く道すがら、ぼくは戻るべくレールに、いまやっと転輪を下ろし込んだような感覚になっていました。試しに「カッコいいグラフィックデザインとやら、ぼくが作らなきゃどーする」とつぶやいてみる。うん、なんかそれ、すげーしっくりくる。
ぼんやり、ゆっくり、朝靄は晴れ、ぼくのモラトリアム期もここで終わり消えていったのです。
*
ちなみにその後。おーちんは、ピチカート・ファイブやフリッパーズ・ギターなどいわゆる〔渋谷系〕のジャケットデザインで一世を風靡したアートディレクター信藤三雄さん率いるコンテムポラリープロダクションに入社、ミスチル、SMAP、サザン、ユーミンなどのCDジャケットデザインを多く手がけたのち、自身の会社Z&Z incを設立。その後も、エレカシ、チャゲアス、ゲスの極み乙女などなどのジャケットデザインやPVディレクターなどを手がけ、音楽グラフィック業界の第一線で活躍している、アートディレクター大箭亮二おおやりょうじさん。おーちんとは彼のことです。
絵と文:斉藤啓
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