2017年に出版された柚木麻子の小説『BUTTER』(新潮社)は、世界38か国で翻訳され、全世界累計150万部(日本では60万部)を突破している。一方、発売当初の日本では「拒否反応を示す批評が多かった」と柚木氏は振り返る。

そこからどのような経緯を経て、世界的なヒットへとつながったのだろうか。イギリスでの大きな成功の背景を探るなかで見えてきたのは、日本文学への関心の高まりという土壌と、作品の魅力を異なる文化圏へと橋渡しした翻訳者の丁寧な仕事だった——。柚木麻子✕英訳者ポリー・バートン対談<前編>。





■日本文学ブームの土壌は徐々に耕されてきた



 英国推理作家協会主催のダガー賞候補に挙がるなど、日本文学への関心の高まりを象徴する作品になった『BUTTER』。当の柚木氏はイギリスでの大ヒットを、どのように受け止めているのだろうか。







「やっぱりイギリスに行くと本当にびっくりします。私、(日本で)普通に生活してて、電車の中で自分の本を読んでる人に会うのって1年に1回あるかないかだと思うんですけど、イギリスでは本当に読んでる人がいる。『BUTTER』を書いた人だ!という風に言われたりとか、ブックフェスティバルの最中だったのもあるんですけど、『あちらのお客さまからです』みたいに食べ物が出てきたりとかして。日本ではまずないので。



 津村記久子さん、松田青子さん、村田沙耶香さん、川上未映子さん…日本の女性作家ブームがすでに土壌にあってそれにうまく乗っかれたのかなと思ってます」



 この見方については、英訳者のポリー氏も同じ意見だ。



「『ゼロから100に一瞬で』というような感覚は自分はなくて、徐々に徐々に盛り上がってきているというのを(感じます)。ここ10年ぐらいずっと仕事をしてきた人たちがいることを知っているので、突然始まったブームというような感覚は、自分はあまり感じてないです」



 その変化は、身近な人の声からも実感しているという。



「8年前は、イギリスに戻って『日本文学の翻訳しています』と言っても『え、何ですか?』みたいな反応でした。それが8年経った今は『日本大好き』『この前、日本行った』という(返事が返ってくるんです)。反応が全く違うものになっていて……。やっぱりそれは文学の世界だけではなく、本を読まない人たちの間でも、とにかく日本大好きという人たちがあまりに多くなって、びっくりしています。何が起きたのか分からないんだけども、そういう空気になっているというのはとても感じます」







■翻訳で意識したのは「共感に至る道筋」をつくること



 土壌があったとはいえ、もちろん英訳された日本文学がすべて受けているわけではない。『BUTTER』ヒットには翻訳者のある設計があった。ポリー氏が語る。





日本では拒否反応もあった『BUTTER』、なぜイギリスで大ヒ...の画像はこちら >>



「自分のなかに共感メーターのようなものがあって、翻訳するときは常にどうすれば共感につながるかを測っています。例えば日本の読者がこの作品を読むとき、どこまで共感できるのかを考え、それと同じレベルの共感をイギリスの読者にも持ってもらいたいと思って翻訳しています。



(もともと)『BUTTER』は、自分が共感できる普遍的なテーマが描かれていると思い翻訳を引き受けました。例えば、食べ物に対する表現や女性の体重に対する社会の目など、いくつかのテーマがあります。日本の読者が共感しているテーマについて、どの道筋を通ればイギリスの読者に共感してもらえるかを考えました」





■日本では「よくいる人物」がイギリスでは批判の的に



 一方、柚木氏のもとには、イギリス読者から意外な反響も届いた。



「一番面白いと思ったのは、主人公(週刊誌記者の町田里佳)の恋人である誠に対する評判の悪さです。私は決して彼を悪者として書いていません。私自身アイドルが好きですし、アイドルオタクのごく普通の男性だと思って書いたのですが、本当に誠の評判が悪くて……。みんな『ローティーンの少女を応援してるなんて本当に気持ち悪い。ペドフィリア(小児性愛)みたいだ』って言っています。



 しかも、『彼女に“痩せろ”っていうやつなんて本当にありえない』って、男女問わず死ぬほど嫌われてて……。それが本当に面白かったです。私は、こういう人いるよな、悪いやつじゃないんだろうな、ぐらいの思いで書いたのですが」



 ポリー氏が解説する。



「やっぱり30代で会社員をやっていて10代の女の子たちに熱を上げているっていうのは……。それだけでイギリスの読者はペドフィリアだと判断してしまう。そこは、すごく具体的なリアクションとして理解できます」







■「言葉にできなかったこと」への驚き



 文化の違いが生み出した反響は、ほかにもあった。



「例えば、日本のメディアは嬉々としてカジマナ(作中の被告・梶井真奈子。

木嶋佳苗がモデル)の体重や外見についての報道ばっかりをしていましたよね。イギリス人は、そこまでストレートにメディアがレポートしていることに、まずびっくりする。



 里佳がオフィスに入ってきて『ちょっと太ったんじゃない』とか『体重増えたんじゃない』と会社で言われるということも『そんなことを言うんだ』というような。



 もちろん自分たちも外見に関して感じることもある。それをやっぱりどこまで人に直接言うかということは常に意識しているので、ここまでストレートに周りの人間から(言っていること)、そしてメディアで描かれていることに対しての驚きはあるというふうに思います。



 書くこともできない、発言することもできないというところで『BUTTER』の中でこんなにはっきりと書いてくれたというところに一種の快感、気持ち良さというのも感じてるのかもしれないです」



 それは、『裸の王様』の童話で、小さな子どもが誰も言葉にできなかった事実を口にした瞬間の感覚に近いのかもしれない。イギリスでのヒットを経て、日本で『BUTTER』に向けられるまなざしも変わった。柚木氏は嬉しそうに語る。



「昔は本当に『女同士のドロドロが怖い』とか『読んでて疲れる』といった批評が多くて、必ずしもしいい批評ではなかったし、プロの書評家の人とかでも拒否反応を示す方ってかなり多かったと思うんですけど。これが英語だと明らかにポリーさんの力で得た“とてもいいもの”が私に付随したとしか思えないんですけど、非常に穏健な物語として読まれる。楽しませながらフェミニズムのことも、食のこともいろんな要素がある面白い話、という受け入れ方をされるようになった」





日本では拒否反応もあった『BUTTER』、なぜイギリスで大ヒット?気鋭の翻訳者が「共感」の仕掛け語る
世界的なヒットになっている『BUTTER』



 後編では、日本とイギリスの読書文化の違いに迫っていく。





取材・文:谷口友妃

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