森博嗣先生が日々巡らせておられる思索の数々。できるだけ取りこぼさず、言葉の結晶として残したい。
第19回 具体的な情報を避けています
【読者は具体性を求める】
最近食べて美味しかったものはこれとか、あそこへ行ってみたら素晴らしかったとか、そういった内容をエッセィやブログで書くと、途端に読者から反応が増える。デビューした頃にそんな経験をしたため、人様に気軽に影響を与えてはいけないな、と反省した。
僕自身が、人から影響を受けることが少ないし、同時に、なるべく人に影響を与えないように注意をしている。少し飾った言葉で表現すれば、人それぞれの個性や自由を尊重している立場だ。このため、意見や方針なども、できるかぎり抽象的に書いているつもりである。それにしても、皆さんは何故これほどまで具体的なものが好きなのか?
小学校の算数のテストには、計算問題がまずあって、そのあとに応用問題がある(もしかしたら今は文章問題という?)。少なくとも僕が小学生のときはそうだった。算数のドリルなどもだいたい同じパターンで、1問めから応用問題が出ることはなかった。
計算問題は具体的だ。一方、応用問題は抽象的なのである。だが、数学的、論理的には、実はこの逆で、計算問題こそ抽象的であり、応用問題の方が具体的だ。しかし、今から解答しようとしている人間にとっては、計算問題はすぐに手がつけられる。具体的な計算式が提示されている。一方、応用問題は、式がない。問題が文章で示されていて、自分が覚えている計算法をどのように応用するのかを考える必要がある。応用問題が難しいのは、「抽象力」が問われているからだ。解答者は、文章中から数値の関係を抽出(抽象)しなければならない。このように物事を抽象化する力が数学の真髄であり、数学が不得意だという人たちは、この抽象力に自信がない。
小説は具体的だが、エッセィは抽象的だ。小説が好きな人たちは、エッセィに面白さが見出せない。逆にエッセィが好きな人は、小説があまりにも具体的すぎて、自分の人生に活かすことができない、と考える。だいたいこんな傾向にあることを、作家になって知ることができた。僕の読者にも、このような2種類の人たちがいる、ということ。
【固有名詞を覚えられない作家】
趣味の工作とか庭園の作業とか、けっこう具体的な話を書いているように見えるけれど、実は意図的にぼかしている。具体的に書くとしたら、たとえば、ネットで見ているドラマで面白いのはこれとこれだとか、YouTubeで毎日見ているのはこの人の動画だとか、そういう話になるところだが、僕は臍曲がりだからそれを書かない(臍曲がりだからときどき書きたくなるが)。書けば、今よりも僕の嗜好を理解してもらえるはずだが、そういう理解をそもそも、これっぽっちも求めていない。
どこか特定の場所へ行ったとしても、具体的な国や地名を書かない。なにかを買って、とても良い商品だったとしても、その名称を書かない。デビュー当時はそれを書いていたけれど、15年くらいまえから、そういう情報を少しずつ減らすようにしてきた。
小説では、舞台となる場所を、現実とは少しずらした位置に設定している。
また、価値を見出さないどころではなく、方々で書いたことだが、僕は固有名詞を記憶できない。これはジョークではなく、子供のときからの特性であり、一種のディスレクシアだったと考えられる。大人になって、かなり克服できたつもりでいるが、今でも大の苦手ではある。物体や事象に名称をつける、いわゆる記号化に感覚が馴染まない。無理に覚えることを放棄し、本を読むときは固有名詞を読み飛ばす。人の名前も覚えられないし、地名も店名も、お菓子の名前も覚えない。趣味の関係でも、機関車や飛行機の名前を覚えない。理由は簡単だ、固有名詞は他者に伝達する機能以外にほぼ意味がない。
固有名詞を書くときは、ネットでいちいち検索している。
【映像を記憶し、映像で考える】
思考も記憶も、ほぼ映像(画像か動画)であり、文章でものを想像することはない。人の顔は簡単に覚えられる。地名は駄目でも、地図上のどこかは示すことができる。小説を読めば、キャラクタ名は覚えていなくても、ストーリィは映像として記憶しているから、ほぼ忘れない。自作も他作も、小説は自分の体験とほぼ同じレベルで覚えている。
固有名詞は、忘れてしまうと役に立たなくなるが、映像記憶というのは、忘れてもピントがずれ、ぼんやり霞んでくるだけなので、だいたいの雰囲気や動きは再現できる。
歳を取って言葉がすっと出てこないくらいで悩む人が多いようだが、僕は子供の頃からずっとそうだったのだ。今もほぼ子供のときと変わらない。どちらかというと、人の名前や地名はだいぶ覚えられるようになった。
固有名詞に限らず、どうやら大多数の人たちは、言葉というもので、事象のすべてを単純化し、記号化するようだ、と小学生の僕は気づいた。自分にはそれができない。どうしてできないのかはわからなかったけれど、名称を覚えられないから、とにかく映像的に考え、なんらかのストーリィ、仕組み、風景、動き、裏側、内部、作られる過程、歴史的な変遷などを映画のように想像して、その名称とのリンクを覚えるしかなかった。
たとえば、「地球の反対側の人はどうして宇宙へ落ちていかないの?」と子供が尋ねれば、「引力が引き寄せているからだよ」と大人は教える。しかし、「引力って何?」とさらに尋ねられたら、もう答えられない。「どうして鳥は飛べるの?」と質問すれば、「翼があるから」と答えるけれど、その翼にはどんな力があるのか教えてはくれない。
つまり、多くの大人たちは、名称を覚えることで、それを知ったつもりになっている。本当は知らない。それよりも深く考えないようにするために言葉があるのだ、ということを子供ながらに理解できた。だから、固有名詞を覚えるよりも、仕組み(道理)を知りたいという子供になった。
今回このような話題になったのは、次のような質問をいただいたからだ。「森博嗣先生は、映像を頭に浮かべて考えていると以前から書かれていますが、それは言葉がなくても複雑な思考ができるということですか? 映像だけでは、考えることに限界があるような気がするのですが」
映像で考えた方が複雑な思考ができます。逆に、言葉では限界があります。言葉で電子回路を説明できますか? 言葉で建築や機械の設計ができますか? 言葉で考えたこと、表現できることは、非常に単純で、しかも曖昧です。
【単純で曖昧なものは応用が利く】
上司がこう命じる。「このハッチがきっちり閉まって、水が漏れないようにしなさい」 指示された部下の技術者は、「きっちりとは、どのように実現できるだろう?」と疑問に思う。そのまま上司にきき返しても、たぶん答は得られない。だから、自分で考えるしかない。そこで、具体的な状況を想像し、どんな圧力がどのような頻度で加わるのかを周囲の状況から考え、同時に、使えそうな材料の性質や相性、あるいは時間的な変化傾向を把握する。そして、作る手順を思い描く。実際に製作を開始するものの、途中でいろいろな問題にぶつかるはず。これらのトラブルは、映像でなければ問題点の説明さえ難しい。現実は複雑であるのに対して、最初の命令がいかに単純で、言葉による記号化がいかに現実のごく一部しか示さないかということを、熟練の技術者は身に沁みて知っている。
言葉が人類にもたらしたものは絶大である。単純化することで他者への伝達を容易にした。しかし、もちろん単純化ゆえに切り捨てられたものがある。だから、最近になって、大勢が写真を他者へ送るようになり、さらには動画がそれに代わろうとしている。現実をより精密に記憶し、伝達したいという欲望を人間が持っているからだ。
すなわち、技術はどんどんものごとを具体化し、詳細化する。情報量は多いほど再現性が高いため、より精確となり、より誤魔化しが難しくなる。だが、その具体性とは、条件の精密化であり、反動として広範囲に適用できるような柔軟性、融通性を低減させてしまう。実は、抽象的なものほど応用が利く。言葉なら幅広く応用できるが、映像は常に差異を感じさせ、受け手の違和感を誘発するだろう。
ここで、最初の具体と抽象に話が戻る。曖昧で単純化された言葉は、応用ができる。数学の「応用問題」が、「文章題」とも呼ばれている点は興味深い。
では、臍曲がり根性で、最後に思いきり具体的なことを書いて波紋を広げてみよう。まず、最近見た海外のドラマでは、ニュージーランドの「シェパード警部 ブロークンウッドの事件簿」が面白かった。主人公の愛車が良い。サブキャラクタたちがユニークだ。また、僕が欠かさず見ているYouTuberは、名古屋のまーさんで、バイクと自動車の修理関係。トラブルが発生するほど楽しくなるのは、まさに工作の醍醐味といえるもの。名古屋弁のアクセントが懐かしく、登場するクルマがポルシェとかビートとか、彼のガレージの工具が僕の工作室のものと共通しているとか、親近感が湧きすぎる。
ほら、具体的なものを書くと、目が覚めるのでは? くわばらくわばら……。
文:森博嗣
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