子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【33冊目】「『ポパイ』vs『ホットドッグ・プレス』」をどうぞ。
【33冊目】『ポパイ』vs『ホットドッグ・プレス』
戦後の雑誌文化を語るうえで、どこを起点にすべきかといえば、やはり『平凡パンチ』(平凡出版/マガジンハウス)ということになろう。東京オリンピックが開催された1964年、団塊世代が青春期を迎えるのに合わせて誕生した『平凡パンチ』は、若者のバイブルとして一世を風靡した。そのあとを追うように、1967年『週刊プレイボーイ』(集英社)が創刊される。当初は先行する『パンチ』のほうが優勢だったが、ある年を境に両者の関係は逆転する。
それは1976年。平凡出版が『ポパイ』を創刊し、『週プレ』で本宮ひろ志『俺の空』の連載が始まった年だ。同じ若者向け雑誌でも『ポパイ』は格段にオシャレだった。会社としても新雑誌に力を入れるのは当然で、読者を食い合わないよう『ポパイ』はオシャレ担当、『平パン』は下品担当という棲み分けが進む。社内的にも『平パン』は男性誌で2番手の位置づけとなる。逆に『週プレ』は『俺の空』人気で読者を増やす。
そこから『平パン』の凋落が始まり、1983年にサラリーマン向けにリニューアルするもパッとせず(表紙がまさかのサトウサンペイ)。1984年には『週プレ』に「ぐわんばれ!『平凡パンチ』」というエール記事を組まれる始末だった。
つまり、『平凡パンチ』休刊のきっかけを作ったのは『ポパイ』だった――というのは言いすぎかもしれない。前述の社内事情も推測にすぎない。しかし、平凡出版が『ポパイ』創刊に並々ならぬ力と期待を込めていたことは事実である。
『ポパイ』創刊号は1976年6月25日発行。編集人は木滑良久、Directorとして石川次郎、Reporterに小林泰彦、松山猛がクレジットされている。価格は780円で当時としては結構高いが、平綴じ・234ページの特別版だ(前提として木滑らによる『Made in USA catalog』という伝説のムックがあったことは一応記しておく)。キャッチコピーは「Magazine for City Boys」。巻頭の創刊の辞には、次のように記されている。
〈都会に住んでいる人なら、一週間も街を離れるともう、あの空気が恋しくなってしまうでしょう。街がいつの間にか、精神的な故郷になっていることに気づくのです。
特集はカリフォルニア。ハンググライダー、スケートボード、ジョギングといった当時の日本では珍しかったスポーツの紹介から、松山猛によるUCLAリポート、CALIFORNIA LIVING(若者たちのカリフォルニア的な暮らし方)、BIG DADDY(ウエストコースト的な父親と息子のつきあい方)、CALIFORNIA GIRLS(カリフォルニアの女のコ)、カリフォルニアの旅まで、ひたすらカリフォルニア推しである。
特集扉のリード文でも、雑誌のコンセプトを饒舌に語る。
〈《ポパイ》は、都市生活(シティー・ライフ)をテーマにした、まったく新しいライフスタイルマガジンです。(中略)好奇心の固まりのような《ポパイ》は、どこへでも飛んで行き、どんな題材でもとりあげますが、ヌードと劇画は登場しません。このこと自体は大した問題ではないのですが、新しい雑誌としての方向を象徴するひとつの特質としてうけとっていただきたいと思っています〉
逆に言えば、ヌードと劇画は『平凡パンチ』にお任せというわけだ。一方、『ポパイ』は、この創刊号のためにロサンゼルスに臨時の編集部を置き、約50日間の取材を敢行したという。当時1ドル=300円近くだったことを考えれば、その経費はいかばかりか。その点からも新雑誌への力の入れようが感じられる。
第2号は同年9月発行で380円(146ページ)、第3号は12月発行で240円(98ページ)とスリム化していく。
鳴り物入りで創刊した新しくオシャレな雑誌『ポパイ』は、まだアメリカへの憧れがあった若者たちに大いにウケた。同時代の『宝島』(JICC出版局)が紹介したカウンターカルチャー発信地としてのアメリカとは違って、とにかく明るいアメリカ。思想よりも情報やグッズがカタログ文化として受容されていった。当時中学生だった私は読者ではなかったが、書店で目立つ場所に平積みされていた記憶はある。
となると、他社も黙っていない。『ポパイ』に遅れること3年の1979年、講談社から『ホットドッグ・プレス』が創刊された。前出の『週刊プレイボーイ』も含め、こうした“2匹目のドジョウ”狙いは、出版界のお約束だ。『an・an』(平凡出版/1970年)が出れば『non・no』(集英社/1971年)、『フォーカス』(新潮社/1981年)が出れば『フライデー』(講談社/1984年)といった具合に、新ジャンルで成功例があると後追いが続出する。
『ホットドッグ・プレス』も完璧な後追い雑誌だった。判型、値段ともに『ポパイ』と同じ。
〈ボクたちは、ホットドッグが大好きだ〉という一文から始まる創刊のあいさつは、こんなふうに続く。〈Hot-Dog Pressは、できたてのホットドッグみたいに、いつもホカホカとしたぬくもりを伝えたい。ボクたちの青春の血そのもの、ボクたちの青春の心そのものでありたい。そう、Hot-Dog Pressはボクたちの意識の空腹をみたす、なんでもつめこんだスーパー・ドッグなのだ〉。
ホットドッグ=アメリカみたいなイメージなのか、とにかく手軽にいろんな情報が手に入るということらしい。確かに、誌面の密度はかなり高い。「World Hot PRESS」と題した巻末の情報コーナーは、10ページに50のコラムを詰め込んでいる。そのうちのひとつに「関西面白主義共和国建国秘録」と題した村上知彦によるコラムがあり、峯正澄、いしいひさいちらが所属した同人グループ「チャンネルゼロ」を紹介しているのが個人的にはポイント高い。
チャンネルゼロは同号で「いま、スイミンになにが可能かっ!?」と題して「睡眠家・鈴木春生氏」にインタビューもしている。手書き文字とトボケた写真で構成されたページは明らかに浮いていて、よく載せたなと妙な感心をしてしまう。
「AMAZING LAND」というコーナーでは、SF作家の「ヨコジュン」こと横田順彌が、なぜかハンググライダーに挑戦している。〈無気力な現代の若者たちに活を入れんとしたか、はたまたスーパーマンの人気をネタんで自分も世間の喝采を博さんとしたか。われらがヨコジュン、初体験のハングで大空に挑む〉って、あの博覧強記の作家がそんな若手芸人みたいな仕事をしていたとは、まさにアメイジングだ。
ことほどさように、『ポパイ』の真似をしつつもちょっと庶民的というか、オシャレになり切れないのが『ホットドッグ・プレス』だった。
しかし、80年代に入ると様相が変化する。『ホットドッグ・プレス』は1980年6月号で「FIRST SEXIAL EXPERIENCE」と題したSEX記事(ヌードあり)を組む。創刊1周年となる7月号でも「FREE TALK ON SEX」という記事を載せ、さらに8月号では「クルマ少年のTHE DATE BOOK 恋のクルージング・テクニック18章」なる記事を繰り出す。ここから同誌はデート&SEXマニュアルへと舵を切っていく。
この路線変更が大当たり。月刊から『ポパイ』と同じ月2回刊となり、「いま、堂々と読むSEX BOOK」(1981年8月10日号)、「女のコによる男のコのための女のコ事典」(1983年9月10日号)、「女のコ攻略120の戦術書」(1984年2月25日号)、「ちょっとHな男女交際読本」(1988年8月10日号)といった特集を連発、童貞男子のハートをわしづかみにする。具体的な数字はわからないが、この時期、部数も伸びたはずだ。
ライバル誌の快進撃を見て『ポパイ』も恋愛路線に手を染めるが、「ポパイがはじめて真剣に女のコ特集」(1981年2月25日号)、「ボクたちの仕事は恋愛です。」(同11月10日号)、「ぼくはデートの天才だあ!」(1983年5月10日号)と、どこか及び腰。それでも「時代がエッチを求めてる。」(1985年1月10日号)、「男女交際A・B・Cの掟。」(1987年6月3日号)あたりからSEX解禁、「たまには性のこと真面目に考えてみよう。」(1988年7月6日号)では創刊号で禁じ手にしたはずのヌードも登場した。その甲斐あって(?)1992年には週刊化も果たしている。
90年代の『ホットドッグ・プレス』は頻繁にSEX特集を組む。『ポパイ』も「性感開発BOOK」(1996年1月10・25日号)と題した特集で「私、ココを開発されました」「男と女の感じるテクニック講座」なんて記事を載せたりしている。もちろん下ネタばかりではなく、メインはファッションであるが、背に腹は代えられぬというところか。
しかし、そうしたカンフル剤効果は長くは続かない。『Boon』などのストリート系ファッション誌の台頭も両誌には逆風となった。さらに雑誌市場自体が90年代半ばをピークに右肩下がりとなるなか、『ホットドッグ・プレス』は2002年6月10日号にて休刊する。
ただし、〈完全リニューアルして、この秋に戻ってきます!!〉との宣言どおり、同年11月号から月刊誌として復活。表紙ロゴを略称の「HDP」とし、内容的には完全にファッション誌となった。ただ、休刊時点でもファッション誌化していたので、リニューアルの意図がイマイチわからないというのが正直なところ。結局、2004年12月号(558号)にて再び休刊してしまう。
『ポパイ』のほうも2005年2月号より月刊化、判型や誌面をリニューアルしつつも長期低落傾向にあった。ところが、2012年6月号のリニューアルでムック的な作りになってから、V字回復に成功する。ファッション、カルチャー、インテリアなどに加え、「大人」がテーマになったりするのは、いかにも若者雑誌らしい。
創刊当時の「Magazine for City Boys」のシティボーイは東京出身者を指していたが、今の同誌がターゲットとするのは上京者だ。もちろん、それ以前の読者にも上京者は多数いたはずだが、そこを見ないふりして「シティボーイ」を標榜していた。その建前を取り払い、上京者のためのライフスタイルマガジンとなったのが現在の『ポパイ』である。
私自身は、両誌とも80年代に年に2~3冊買ったか買わないかぐらいで愛読者ではなかったが、『ホットドッグ・プレス』のマンガ特集号(1987年8月25日号)だけは書店で見つけて小躍りした。江口寿史、上條淳士、山上たつひこ、いしかわじゅん、しりあがり寿、桜沢エリカ、丸尾末広、望月峯太郎、内山亜紀といった豪華メンバー24人がオールカラーでショートコミックを描き下ろしているんだから、マンガ好きにはたまらない。
『ポパイ』に関しては、読者ではなくライターとしての思い出のほうが多い。90年代半ばからの数年間、結構いろんな仕事をした。「ブランド対決 どっちだ!」というコーナーで、AVメーカー対決(メディアステーション×KUKI)、スポーツ新聞対決(東京スポーツ×スポーツニッポン)などの取材を担当したり、「だって好きなんだもん! マニアの魂」という連載もやった(6回で終わったが)。今見るとノリが軽くて赤面モノだが、自分も若かったし、そういう時代でもあったのだ。
一番最近買ったのは2025年5月号。特集は「Hello,Tokyo! 僕の東京探訪記。」で、新宿・歌舞伎町のホテルの窓からのぞくゴジラヘッドの表紙に釣られて買った。が、とにかく文字が小さいうえに白抜きだったりして、老眼には無理。かつてのライバル、『ホットドッグ・プレス』は、2014年から電子版で復活しているが、そのキャッチコピーは「40オヤジと大人女子のための本音マガジン」。紆余曲折を経ながらも創刊50年を迎えた老舗雑誌が今も「シティボーイ」を読者としていられるのは立派である。
文:新保信長
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