総選挙での中革連、共産、れいわなど左派的な政党が惨敗し、その後の彼らの相次ぐ失態・失言が相次ぎ、「リベラルの終焉」が語られている。三月後半の辺野古沖の死亡事故とれいわの秘書給与上納・口止め問題は、それを象徴しているように思える。
英語の名詞の〈liberal〉は、普通「自由主義者」という意味だが、日本語で「リベラル」とカタカナ表記されるのは、「自由主義者」一般ではない。かなり「左」寄りのニュアンスがある。
「リベラル」という表記は元々、資本主義の枠内での改革を目指す、アメリカ的な左派を指す言葉だった。アメリカでは、ルーズヴェルト政権時代のニューディールのようなケインズ主義的な経済運営を肯定し、公民権運動、女性解放運動等のマイノリティの権利擁護やベトナム反戦のような平和運動、環境保護等にコミットする民主党左派的な立場の人たちを指して〈liberal〉と呼ぶようになった。ラディカルな暴力革命に突き進むのではなく、弱者にやさしい政治を目指す人たち、というイメージだ。〈liberal〉が、左派的な人たちに取られたので、市場を中心に形成される自然な秩序に政府ができるだけ介入しないようにすることこそ自由主義の本質だと考える人たちは、「リバタリアン libertarian」と名乗るようになった。
「リベラル」は、民主党系の政策や運動と結び付いた政治的潮流であるというだけでははない。「リベラル」の立場を哲学的に基礎付けようとした有力な理論家は少なくない。『正義論』(一九七一)で有名なジョン・ロールズ(一九二一-二〇〇二)は、自分がその社会の中で相対的に弱者か強者かを分からなくする「無知のヴェールthe veil of ignorance」という仮想の装置がある状態で人々に社会の基本原理を選択させるという思考実験によって、結果的に弱者によって有利になる、という条件付きで社会・経済的な「格差」を容認する正義の原理が望ましいという結論を導き出した。
法哲学者のロナルド・ドゥウォーキン(一九三一-二〇一三)は、裁判官は、法を単なる個々の事案に機械的に適用されるルール・ブックのようなものではなく、社会を方向付ける政治的・道徳的な諸原理をも含んだ体系と見なしたうえで、社会にとっての「正しい答え」を目指すべきだと主張し、(リベラルな方向での)司法積極主義を擁護した。分析哲学者のリチャード・ローティ(一九三一-二〇〇七)は、アメリカにはマルクス主義のように硬直化した教義を振り回すのではなく、現実的な改革を着実に積み上げていく、プラグマティズム的左翼の伝統があり、ロールズなどの「リベラル」の議論はその伝統の上に成り立っていると主張した。
後期の著作『政治的リベラリズム』(一九九三)でロールズは、自らが掲げるリベラルな正義論とは異なる価値観を持つ、リバタリアンやキリスト教右派、社会主義者などが対立し合いながら存在する現実の社会で、いかにすれば、憲法の中核である基本的諸原理について合意し、単なるパワー・バランスや妥協ではなく、理性的な討論によって意志形成する熟議民主主義が可能になるのか、その見通しを示そうとした。
これに対し、日本で何となく「リベラル」と呼ばれているものは政策的にも哲学的にも基礎付けがなされたことはない。アメリカ的な意味での〈liberal〉と似た思想的立場の人たちを、日本における「リベラル」と呼ぶ、といった合意があるわけでもない。いつのまにか、「左翼」の言い替え、あるいは、さほど「ラディカルではない左翼」の意味で使われるようになった。言葉に対応する実体がない。なのに、それが崩壊したとか、まだ未来があるとか論じられる、というのは妙な話である。
そういうおかしなことになった背景に、戦後の日本で、反体制という意味での左派の間で、「マルクス」の権威があまりにも強かったということがある。マルクス主義とあまり関係ない理論家・活動家も、何らかの形で「マルクス」との深い繋がりが明らかでない限り、発言しにくい状況があった。吉本隆明(一九二四―二〇一二)は、人々の意識が神話的無意識によって支配されていると示唆する『共同幻想論』(一九六八)を執筆した時点で、マルクス主義から大分離れていたが、新左翼の一部に強い影響力を及ぼしていたので、「マルクス」に連なる思想家と見なされていた。
江戸時代の儒学との批判的取り組みから出発した丸山眞男(一九一四―九六)やプラグマティズムを日本に紹介した鶴見俊輔(一九二二―二〇一五)はそれぞれ個人的には影響力を発揮したが、マルクス主義者ほどラディカルになれず、市民(ブルジョワ)社会に安住する中途半端な存在という意味合いで、「市民派」と総称された。
批判的な思想が、日本の論壇で無事に市民権を得、インテリ層に流通するには、実際にはマルクス主義とはかなり隔たった理論的なバックボーンを持つ者でも、「マルクス」を継承するかのように装わねばならないという日本的な状況は、日本社会党が五五年体制の一角を担っていたことと関係しているように思える。社会党には、戦前の労農派の流れを汲み、ブルジョワ革命を経ないで直接社会主義革命を実現することが可能だとする社会主義協会派から、市民社会を解体することなく具体的な改革を進めていくべきとする構造改革派まで、かなり広い幅の左派勢力が含まれていた。
社会党内には構改派のように、社会主義革命を事実上放棄して西欧諸国の社会民主主義に近い立場の派閥もあったが、協会派主導で起草され、一九六四年の党大会で採択された綱領的文書「日本における社会主義への道」を八六年まで掲げ続けた。日本は資本主義の矛盾が蓄積した最終段階にあり、社会主義革命の前夜にあるという認識を前提とし、革命による搾取階級の一掃、生産手段の公有化、計画経済などを実行する、という青写真を示している。江田が離党した頃には、「社会主義への道」が非現実的であることは既に明らかだったが、「マルクス」の看板を下ろすわけにはいかなかったのだろう。
冷戦構造崩壊後、日本でもマルクス主義の影響は理論面でも実践面でも低下し続けたが、それにとって代わるほど包括的な影響力のある政治・社会思想は登場しなかった。ロールズなど英米系の正義論や、フーコーの生権力論、ガタリの分子革命論、ネグリ+ハートの〈帝国〉論、シャンタル・ムフの闘技民主主義、デヴィッド・グレーバーの文化人類学的アナーキズムなど、欧米で流行した左派思想が次々と輸入されたが、どれも一過性の影響しかなく、「マルクス」に取って代わるには程遠かった。西欧諸国も似たような状況だが、日本では「マルクス」の権威が強かった分、ギャップが大きかった。輪郭もゴールもはっきりしない「日本的リベラル」では、ラディカルさの象徴である「マルクス」の替わりにはなりえなかった。
二一世紀のゼロ年代くらいまでは、資本主義の中での改革を目指す「リベラル=市民派」と、マルクス主義的左派、フーコーやガタリのようなポストモダン系の権力批判論を受容するポストモダン左派は相互に相容れない、といった議論もあったが、難解な左派思想に対する関心が全般的に低下するなか、“専門家”の間でも区別が曖昧になり、左派的な思想全般を「リベラル」と呼んでも、どこからも突っ込まれない雰囲気になっている。
政党政治のレベルでは、社会党の衰退と共に使いにくくなった「社会主義」の代わりに、それまでアメリカの左派の名称であった「リベラル」が広く使われるようになったが、「リベラル」をはっきり定義したうえで、自らのアイデンティティにした政党はない。曖昧にしておいた方が都合が良かったのかもしれない。共産党・社民党以外は誰が「左」か曖昧な状態になっている。
一九九三年に小選挙区制の導入を目玉とする政治制度改革めぐって、自民党の旧竹下派が分裂し、小沢一郎等が離党して新生党を結成する。総選挙後、社会党、新生党、日本新党、公明党、新党さきがけ、民社党、社民連など、共産党以外の反自民勢力が結集して細川内閣が成立する。社会党は最盛時の半分くらいに議席を減らしたうえ、保守系の新生党や日本新党と連携したため、全体的に右派の比重が高まる。一方で、連立与党を構成する他の党にも、左派的な性質を示すものがあった。特にさきがけは、革新統一候補として滋賀県知事になった党首の武村正義他、鳩山由紀夫(自民党出身)や菅直人(社民連出身)など“左派”的なメンバーが目立っていた。
その後、九四年に社会党の連立離脱、村山社会党委員長を首班とする自社さ連立政権の成立、それに対抗する形での旧連立与党の合併による新進党の誕生といった慌ただしい動きがあり、「左/右」が一層混沌とした。
さきがけと社民党に改称した旧社会党が合流する形で民主党が結成され、そこに分裂した新進党から生まれたいくつかのグループが加わった。そこに更に小沢一郎の自由党が合流して、民主党政権(二〇〇九―一二)で知られる民主党が誕生した。この党には旧民社党の系譜の反共色の強いグループ、自民党からの離党者など保守本流を自認するグループ、旧社会党系など様々な勢力が「政権交代」のために結集したので、何を目指す党か最後まで分からなかった。新自由主義的改革を志向していたはずの小沢が、大きな政府を志向するはずの旧社会党系のグループを味方にし、社民連・市民運動出身の菅直人と対立する、といった思想的にどちらが右/左が分からない内紛が頻発した。
具体的な政策をめぐって右と左の再編が起こるのなら、むしろポジティヴな動きかもしれないが、小沢の政治手法との相性といった曖昧なもので離合集散しているとしか見えなかった。
自民党が政権復帰した後、民主党が維新の党と合流して民進党になり、そこから、またも複雑な過程を経て、保守系の「国民民主」とリベラル系と見なされる「立憲民主」に分かれたが、後者も、依然として左右が混ざり合っていた。そこに更に、最近まで連立与党で、中道を標榜する公明党と合流し、中道改革連合になったのだから、ますますどういう党か分からなくなった。その中革連も来年六月の統一地方選までに解散するのではないか、とささやかれている。
「マルクス」あるいは「社会主義」が左派の共通の看板であった時代には、資本主義経済を止揚して、社会主義経済もしくはアナーキズムを目指すのが「左」と言えた。何となく「リベラル」な人たちの大半は、「資本主義」あるいは「新自由主義」「グローバル資本主義」に限界があり、変革が必要だと言っている。しかし、どういう変革で、ポスト資本主義社会はどうなるのか、抽象的な話しか聞こえてこない。共産党でさえ、当面は資本主義の枠内での改革…と言っている。政党も知識人も、共産主義者、(過激な)左翼と思われたくないがゆえに、とりあえず、「リベラル」という呼称を使っているふしもあるので、曖昧になってしまうのは当然とも言える。
「九条護憲」が「リベラル」の共通項のように見えなくもない。ただ、法哲学者の井上達夫や元立民議員の山尾しおりのように「リベラルな改憲論」を唱える者も「リベラル」と見なされているし、二〇一五年の安保法制をめぐる論議の際に、集団的自衛権は認めないが、個別自衛権は認めるリベラルがかなりいることが改めて明らかになった。更に言えば、革命をめざすラディカルな左派が、九条のために、天皇制に関する条項を含む現行の憲法=国家をそのまま維持するというのはおかしな話だ。
格差、反戦、ジェンダー、反原発など、それまで左派の十八番と見なされるテーマのいくつかで、大体同じような意見を持っていそうな知識人や政治家で、暴力革命をはっきり標榜していなかったら、「リベラル」と呼ばれてもおかしくない、くらいの曖昧な状態になっている。ただ、世間で注目されにくく、弱者の権利が蔑ろにされがちな個別のテーマに地道に取り組む人たちが、思想的共通項がはっきりしなくても、「リベラル」と総称されるのであれば、別に問題はないと思う。
しかし、自民党政権が安定し、再度の政権交代が難しい雰囲気になってくると、不健全な形での“リベラル結集”が目立つようになった。“リベラル”の諸勢力は自民党の欠点を探して、攻めるという一点で一致するようになった。[自民党のミスを許さない人≒リベラル]になってしまった。二〇一五年の安保法制をめぐる紛争くらいまでは、個別の政策の是非をめぐって真面目に議論しようとする気運があり、“リベラル”同士が論争することもあったが、二〇一七年の「森友学園問題」以降は、政策も理念もそっちのけで、自民党政権の足をどれだけ引っ張れるかの競争に血道をあげる態度が目立つようになった。
二〇二〇年からのコロナ禍にあっては、「緊急事態宣言」のように、市民の権利を制限する措置に踏み切ることに自民党政権が躊躇するのを批判して急かすといった“リベラル”らしからぬ統一行動を取ったり、アベノマスクのように、政権のミスだとしても些細な問題にすぎないことで大騒ぎしたりするといったことが目立った。そして、二〇二二年の安倍元首相殺害事件以降は、統一教会による日本支配という陰謀論にのめり込んでいったーーこれについては既に何度も論じたので、繰り返さない。
仲間が少なくなっているという危機感から、ウケそうなネタに集中することで、“リベラル”の命脈を給うとしているのかもしれないが、そんなものは“リベラル”ではなく、ただの悪口好きなネットの烏合の衆にすぎない。批判的思考を地道に積み上げていこうとせずに、キャンセル・カルチャーに頼る“リベラル”は既に死んでいる。
文:仲正昌樹
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