平成から令和へと時代は移り変わり、世の中の祝賀ムードはすでに落ち着きを見せ始めている。
そんな一方でいまだ昼間のワイドショーで盛り上がりを見せているのが小室圭さんと真子さんの婚約のゆくえ。
「人の不幸は蜜の味」とでもいうように世の中はなにか猛烈にスキャンダルに飢えている。この度『平成の死 ~追悼は生きる糧~』(KKベストセラーズ)を上梓した著述家・宝泉薫氏が、平成時代の「自殺」にスポットを当て、「令和」を生きるヒントを特別寄稿した。(『平成の死: 追悼は生きる糧』より)■色っぽさと儚さが同居する美人の自殺
自殺の季節。女子アナも、ヴィジュアル系アーティストも、異色の...の画像はこちら >>
川田亜子。

 5月は自殺が多い月だ。また、平成は十数年にわたって年間自殺者が3万人を超えるという時代だった。それゆえ、平成の5月には印象的な自殺が目立つ。今から11年前には、フリーアナの川田亜子が29年の人生を自ら閉じた。

「母の日に私は悪魔になってしまいました。(略)産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」

 ブログにこう綴った12日後の5月25日、練炭自殺。悪魔云々については、のちに「妊娠中絶」の意味ではないかという見方も出たが、真相はわからない。

自殺の動機に関しても、彼女をめぐる「三角関係」が取り沙汰され、死から4ヶ月後には「最後の恋人」が「元カレ」を訴えるという事態まで勃発。ちなみに「最後の恋人」は米国人の平和活動家で「元カレ」は大手芸能事務所幹部とされる。「元カレ」は彼女を前年春にTBSから引き抜いたが、その後破局、ただ「最後の恋人」との接近には強く反対していた、というのが当時報じられた構図だ。

 そんな川田の性格について、TBSでの先輩でもあった小島慶子は一周忌にラジオでこう振り返った。

「クソ真面目すぎて、少し頓珍漢なの。そこが可愛くってね。全く邪気のない人でした。彼女がもっと計算高くて、もっと腹黒いところがあったら、あんなに傷付かなくても済んだんじゃないかなって思うこともあります」

 また、色っぽさと儚さが同居するような男好きする美人でもあり、それが彼女の運命を左右したといえる。

■儚く可憐な女性タレントたち

 平成9年の5月9日に32歳で亡くなった可愛かずみも、似たタイプだった。しかも、川田がアイドルアナから報道キャスターになりたくてもがいていたように、可愛もヌードのイメージを脱却し、女優で評価されようとして必死だった。

 にっかつロマンポルノの『セーラー服色情飼育』でデビューしたあと『オレたちひょうきん族』のひょうきんベストテンで中森明菜役を演じるなどして人気の出た彼女は、ドラマ『季節はずれの海岸物語』などで女優としてもそこそこの実績をあげた。私生活では、プロ野球・ヤクルトのエースだった川崎憲次郎との熱愛を報じられたが、破局。

しかし、死の2ヶ月後には実業家と結婚する予定だった。にもかかわらず、川崎の住むマンションに行き、身を投げたのである 

 婚約者は「いったい何が良くて、何が悪かったのか」と頭を抱えたが、友人の川上麻衣子は「結婚することへの悩み」を指摘して「新しい人生を歩むということへの不安もあったでしょうし」と語った。死への親和性が高い人には、結婚というおめでたい節目も負の契機になりかねないということだろう。

 平成23年には、上原美優が24歳で帰らぬ人に。グラビアや大家族をネタにしたトークで人気を博したが、5月12日の未明、自宅マンションで首を吊った。一緒にいた恋人に席をはずすよう頼み、そのあいだに決行したという。

 ただ、この恋人との関係は微妙で「合鍵まで持っている仲だったのに、カレは救急車に乗りませんでした」(彼女の知人)という証言も。また「貧乏アイドル」として「草を食べていました」などと発言して売れたわりに、メンタルは脆かったようだ。自伝によれば、ハタチのときにも失恋直後に睡眠薬自殺を図ったという。前年3月には、母が心筋梗塞で急死。10人きょうだいの末っ子だった彼女は母が大好きで、かけがえのない相談相手でもあった。

 それ以来、仕事でもミスが目立つようになり、タバコの量も増えるなどした。

そんななか、東日本大震災が起き、それにもショックを受ける。自殺前日には父との電話で、

「お母さんのところへ行きたい。種子島に帰りたい」

 と、訴えてもいた。

■平成を代表するヴィジュアル系バンドのギタリストが…

 平成19年、現職の農水大臣でありながら、62歳で自殺したのが松岡利勝である。謎の水道光熱費問題という不祥事で追及を受け「ナントカ還元水が」などと信憑性のない言い訳をして叩かれたあげく、5月28日に議員宿舎で首を吊った。その前日、元秘書への電話でこうつぶやいたという。

「きつい。たいがいにきつい。中川先生もきつかっただろうな……」

 昭和58年に自殺した中川一郎元農水相(享年57)に思いを馳せながらの死だった。

 平成10年の5月2日未明に、33歳で亡くなったのはhideだ。自宅の自室のドアノブに、縦に裂いてヒモ状にしたタオルを巻き、それで首を吊るような姿勢で見つかり、すでに意識はなかった。その数時間前に放送されたラジオ(生放送ではない)では「薄っぺらい人生でした」「来週は、あるのかないのかわかりませんが、放送事故にはならないように注意したい」などと話していた。

 遺書はなかったが、警察は自殺と断定。しかし、所属事務所は「呼吸困難による死去」と発表した。ただ、この時期、彼が大きな喪失感と無力感にさいなまれていたことは間違いない。前年9月、X JAPANが解散。彼はこのバンドのギタリストであるだけでなく、ビジュアル面での展開を任されていた。「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というコピーを考案し、ここから彼らは「ヴィジュアル系」の元祖となる。彼はこのバンドについて「俺は命懸けでサポートする」とまで言っていたのだ。

■平成に世界を席巻した”日本の漫画”。その作り手たちの自殺

 hideの死から8日後には、女流漫画家のねこぢるが31歳で首吊り自殺。可愛らしさと残酷さとが交錯する作風には、ファンタジー願望と破滅もしくは破壊衝動が同居していた。夫であり、共同制作者でもあった漫画家の山野一は「子供大王」と呼んでいたという。嘘がつけないから、平気で人を傷つけるし、自分も傷つく。

それゆえ、彼女は鬱病にもなり、自殺未遂も繰り返していた。 

 そんな彼女がブレイクしてしまうのである。『ねこぢるうどん』などの作品が「危なかわいい」ともてはやされ、東京電力の広告キャラまで描いた。頑健な人でもこたえるという売れっ子漫画家の超多忙状態に、そのメンタルが堪えられるはずがない。疲弊してパニックになり、夫の山野にカッターで切りつけるようなことまでしたあげく、自らを葬った。

 彼女が当時連載していたなかで『テレビブロス』での最期の作品は深夜にやたらと流れるCM(西田ひかるのハウス・ピュアインゼリー)への辟易を示すものだった。明るいポジティブの商業的な押しつけは、こういう人には特につらかっただろう。

 その6年前の5月24日には、同じく漫画家の山田花子が自殺した。本業だけでは生活できず、バイトをしても対人恐怖症でうまくいかず、統合失調症と診断されて2ヶ月半入院。退院した翌日、自宅近くの団地の11階から飛び降り、人生を24年で強制終了させたのである。

 死の2日前、彼女は日記にこう書いていた。

「他人とうまく付き合えない。

暗いから友達ひとりもできない。(略)もう何もヤル気がない。すべてがひたすらしんどい、無気力、脱力感」

 そんな生き地獄から抜け出すには、死ぬよりほかなかったのだろう。

 一説によれば、人は誰もが「死にたい」という衝動を抱えている。それが度を超すと精神医学では「希死念慮」と呼ばれることに。つまり、本気で死にたくなるのはそれ自体が病気なのだ。今のところ、特効薬もない。不治の病が減っていく傾向がこれからも続くとしたら、自殺への衝動は人類最後の難病かもしれない。

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