川崎市登戸で起こった51歳の男が小学生ら20人を殺傷した事件。いまだに世の中を震撼させ続けている。
凶行を起こした犯人の素性がどんどん暴かれている今、この登戸事件にも通じる、「平成のあの事件」を振り返る。令和元年に起こったこの凶悪犯罪について、『平成の死 ~追悼は生きる糧』を上梓した著述家宝泉薫氏が緊急寄稿。■「自殺が他殺になるという現象」
「死にたい」が「殺したい」になるとき。登戸事件にも通じる、平...の画像はこちら >>
 

 5月28日、川崎市登戸で51歳の男が小学生ら20人を殺傷する事件が起きた。男は犯行後、自らの首を切って死亡。これをめぐり「死にたいなら一人で死ぬべき」という声があがったが、社会福祉士の藤田孝典は「非難は控えてほしい」と訴えた。社会に恨みを募らせているような人をさらに追い込んでしまう、というのがその理由だ。 

 そこで思い出されるのが、昭和63年から平成元年にかけて世間を震撼させた幼女連続殺人事件だ。犯人の風貌や生活ぶりが「オタク」然としていたことから、その層の人たちへの不安が呼び起こされ「オタク=悪」と見なしかねない風潮が生まれた。これに対し、評論家の大塚英志のように、異議を申し立て「僕が守ってやる」と宣言する者も登場した。

 個人的には、どちらの「擁護」にも違和感を覚えてしまうが、何にせよ、こうした殺人事件はさまざまな論議を呼び起こす。平成9年の神戸児童連続殺傷事件では、犯人が14歳の少年だったことが衝撃をもたらし、動機や報道のあり方をめぐって意見が戦わされた。そのなかには、今回の登戸事件に通じる指摘もある。

精神科医の日向野春総が、

「私は、これは簡単に自殺が他殺になるという現象かもしれないと思う」

 という見方を示したのだ。実際、この少年は「捕まったら三日後には死刑になる」と考えていて、法廷でも「早く死にたい」と口にしたという。

 また、この2年後には、光市母子殺人事件が発生。18歳になったばかりの少年が見知らぬ主婦を殺したあと、屍姦し、生後11ヶ月の娘も殺してしまった。裁判の途中で加わった人権派弁護士の影響か「ドラえもんがなんとかしてくれる(生き返らせてくれる)という考えがありました」という供述をしたことでも知られる。

 その4ヶ月後には、西尾市ストーカー殺人事件で女子高生の命を奪った17歳少年が動機をこう語った。

「神戸事件の犯人・酒鬼薔薇聖斗が中三であそこまでやれると尊敬し、酒鬼薔薇聖斗に近づきたいと思っていたことです」

 この犯人は13年後にも、通りがかりの20代女性への傷害で逮捕される。動機はこういうものだった。

「自分の人生がむちゃくちゃなので、他人の人生もむちゃくちゃにしてやりたかった」「今回の事件は自殺のようなもの。自分で死ぬ勇気がなかったので人を襲った」

 最悪の事態にはいたらなかったが、これもまた「簡単に自殺が他殺になるという現象」の一端なのだろう。

■池田小事件の犯人も死を望んだ

 平成13年には大阪で附属池田小事件が起き、低学年の児童8人が殺された。凶器が包丁だったことなど、登戸事件との類似も指摘される惨劇だ。

犯人は37歳で、22歳での婦女暴行を皮切りに十指に余る事件を起こしていた。職も転々とし、結婚と離婚も4回ずつ。その人間性について「長年、付き合いのある地元関係者」のこんなコメントが『週刊文春』に紹介されている。

「あいつは法の網の目をかいくぐるために巧みに『正気』と『狂気』を演じわけているんです。本人自身が『俺は精神病やから何やっても大丈夫なんや』とうそぶいているし、そのアリバイ作りのために薬を飲んでいるフシがある」

 親族からも、こんな「本音」が。

「死刑になるべきや。身内から獄死者出すんは恥ずかしいけど、この際、そんなこと言うとられへん」

 そして、最後は本人も死を望んだ。精神鑑定で責任能力があるとされ、観念したのか、死刑が決まると一刻も早い執行を要求したのだ。それでいて、死刑廃止論者の女性と獄中結婚するなど、人間的な欲望も死ぬまで衰えなかった。殺された8人の子供たちより、人生を愉しむことができたようにも見える、というのは言い過ぎだろうか。

 なお、この小学校を狙った動機については、

「エリートでインテリの子供をたくさん殺せば確実に死刑になると思ったから」

■勝ち組へのコンプレックス

 この人の場合、言い分をすべてうのみにはできないが、いわゆる勝ち組へのコンプレックスは強かったようだ。そういう意味では、7年後の秋葉原通り魔事件にも通じるものがある。

奇しくも同じ6月8日に行なわれた犯罪だ。

 犯人は25歳で、犯行の朝早く、携帯サイトでこんな予告をしていた。

「秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」

 この言葉通り、歩行者天国の秋葉原で7人を死亡させた。その根底には「高校出てから8年、負けっぱなしの人生」「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」という現実からくる「勝ち組はみんな死んでしまえ」「そしたら、日本には俺しか残らないか あはは」という自虐的な恨みつらみがあった。

 もちろん、それが無差別殺人をしていい理由にはならない。教育熱心な母親がストレスでも、就職や恋愛、趣味のインターネットでうまくいかなくても、自分自身で引き受け、なんとかするしかないからだ。巻き添えを食った被害者にとってはたまったものではない。

 さらに、こんな風景も見られた。駅前の歩道橋から、殺人現場を携帯電話のカメラにおさめる大勢の野次馬たち。秋葉原がコスプレ撮影などの聖地だったとはいえ、状況が状況だけに異様でもあった。

 じつはこの犯人も、また、3ヶ月前に起きた土浦連続殺傷事件の犯人も、ともに自殺願望を口にしており、まさに「自殺が他殺になるという現象」だった。ちなみに、前者は酒鬼薔薇聖斗や佐賀バスジャック事件(平成12年)の少年と同学年で、後者はその1学年下だ。

同世代として、なんらかの心理的影響を受けてもいたのだろう。

■事件から学べることは多いが…防止は簡単ではない

 この「自殺が他殺になるという現象」はそれ以降も見られる。平成30年の新幹線のぞみ通り魔殺傷事件では、22歳の男が鉈とナイフで隣席の女性に襲いかかり、助けに入った男性が死亡した。

 同居していた伯父は以前、この男から「俺は死ぬんだ」「生きる価値はない」という言葉を聞いていたが、

「“人を殺して刑務所に行く”とも言っていた。“働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ”と。私が、お前、生きたいんじゃん、死にたいんじゃないだろうと言ったら黙ってしまってね」

 その生と死および自分と他人をめぐる曖昧な感覚が事件につながったのだとしたら、被害者は不幸というほかない。これが自殺なら、赤の他人の人生まで狂わせることはなかったのだが……。

 このほか、平成11年の桶川ストーカー殺人事件は、女子大生を死に追い込んだとされる元・恋人が指名手配中に自殺するというかたちで幕を閉じた。また、死にたい人が集まるようなネット空間で、人が死ぬという事件も何度となく発生。平成10年のドクター・キリコ事件では「安楽死狂会」というホームページにおいて、青酸カリの入った「EC(エマージェンシーカプセル)」を自殺防止の「お守り」として買った女性がそれを飲んだ。売った側の塾講師の男性は、医師から連絡を受け、

「本当ですか。六錠ぜんぶ飲んだら即死だ。

その女性が死んだら、僕も死にます」

 と答え、自らも「お守り」によって死亡。平成29年には、ツイッターなどのSNSで「首吊り師」などと名乗り、死にたい人の相談に乗っていた男が起こした座間9遺体事件が世間を驚かせた。

 自殺と他殺は紙一重というか、死にたい気持ちと殺したい気持ちは意外と近いのだろう。それゆえ「死にたい」が「殺したい」に変わるのも案外容易なのだ。こうした事件から学べることは多い。が、防止に役立てるのは簡単なことではない。

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