ご存知のように、対立しているイランとアメリカの仲裁役になろうと安倍晋三首相がイランを訪問している最中に、ホルムズ海峡付近で日本のタンカーなど2隻が攻撃される事件が起きました。アメリカはイラン「革命防衛隊」の仕業だと主張していますが、状況はまだ不透明です。
そこで、現在までで分かっていることとまだ分からないことについて、蓋然性が高いと考えられる仮定に基づく今後の見通しを述べさせてもらいましょう。
さまざまな情報が錯綜していますが、私が最初に言いたいことは、イランに対する理解の不足と情報の偏りです。日本だけではありません。アメリカのイラン理解もひどいものです。
知られざるイランイランに限らず、中東の人々はメンツを重んじるのが特徴です。特に、イランは2500年の歴史を持つ大帝国の末裔という強い誇りを持っています。また、イランの国教であるシーア派が歴史的に、彼らが奉ずる教主イマームたちが不正な権力の簒奪者によって殺されたと信じていますから、邪悪な権力者たちによる迫害への強い反発の意識も高く、しかも1979年に殉教者精神に基づく革命によって成立した国なので、攻撃されればされるほど奮い立つ傾向にあります。
したがって、メンツをつぶし力づくで脅すような扱いは逆効果しかありません。
トランプ米大統領が「今は、イランがいちばんアメリカをリスペクトしている時代だ」などと言っていましたが、これは「強い者がリスペクトされる」という非常に西洋人的な感覚です。
イラン研究は遅れている
もっとも、無理もないとも言えます。
今のアメリカには亡命イラン人が100万人以上おり、アメリカの大学やシンクタンク、対イラン政策決定者の中にはこうしたイラン系のアメリカ人がたくさんいます。しかし彼らは今のイランを成立させたイラン革命が嫌で逃げてきたのですから、考えには偏りがあります。彼らは革命後の40年間、ずっと「イランはまもなく崩壊する」と言い続けてきましたが、まったく当たっていない。彼らはアメリカの対イラン政策を誤らせてきたA級戦犯です。
イランの最高指導者であるアリー・ハーメネイについての研究も不足しています。ハーメネイは政治家である前に現代シーア派のトップクラスの法学者でもあり、アラビア語訳もある現代のイスラーム政治学でも最も優れた理論書『イスラームにおける国家(Hukumat dar Islam)』の著者でもあります。ところが、彼の新聞記事の政治的発言に対する浅薄なコメントは無数にあっても、彼の政治思想について本格的な分析をしている研究者は世界で二人しかいません。
うち一人はアメリカの、The Political Ideology of Ayatollah Khamenei: Out of the Mouth of the Supreme Leader of Iran(2016)の著者Y. Hovsepian-Bearceです。
バランス型のハーメネイ
欧米でも日本でもハーメネイは保守派の代表のように言われていますが、間違いです。イランの建国理念「法学者の統治(Velayat-e Faghih)」論において王権神授説を唱える保守派が主流のイランの法学界において、ハーメネイは少数説である「神/人民二重主権」を主張する「改革派」なのです。つまり、宗教界の保守派と市民社会の改革派の間に立つ「宗教界の改革派」、つまりバランス型の指導者といえるでしょう。
また、ハーメネイが国民の選挙によって選ばれた聖職者たちが作る「専門家会議」で選出された指導者であることからも、イランの宗教界の中では比較的民主的な立ち位置であることが伺えます。
ハーメネイの権力基盤が保守派の産軍共同体であるイラン革命防衛隊にあるのは確かですが、「イランの本当の権力者はハーメネイではなくイラン革命防衛隊である」と現代イラン政治研究の専門家アッバース・ミーラーニも言っているように、ハーメネイはイラン革命防衛隊を完全に掌握しているわけではありません。イラン革命防衛隊の多数派がハーメネイの支持者であるにしても、中には保守強硬派のイスラーム法学者の権威(マルジャア)たちの狂信的な支持者も数多いので、彼らが暴走する可能性は否定できません。
アメリカ側がトランプが戦争を望まなくとも主戦派のJ.ボルトン、S.バノン、M.ポンペオらによって戦争に引き込まれる可能性があるのと同じように、イランもハーメネイが戦争を望まなくともイラン革命防衛隊の一部の暴走によって偶発的戦争が起きることもありえる、というのがイランとアメリカの対立の基本構図です。
このような状況下で行われたのが、今回の安倍首相のイラン訪問だったわけです。
ハーメネイに会っただけでは意味はない
今回の安倍首相のイラン訪問を持ち上げる向きもありますが、基本的には私は失敗だったと考えています。
もちろん、成功/失敗の評価は何が目的であったか次第によって決まります。
しかし、訪問の目的が、イランとアメリカの間の緊張を緩和し、仲裁をはかることであれば、話は別です。今回のイラン訪問は、官邸主導で行われたと言われていますが、イランの宗教界の保守派と全くパイプのない日本にアメリカとイランの仲を取り持つような大役が果たせるわけがありません。官邸は6月29日のG20の大阪サミットに議長国の特権としてイランのローハーニー大統領を招き、トランプとの会談をセットできないかと調整していたようですが、案の定失敗しました。官邸は本気で安倍首相がアメリカとイランを繋げると思っていたのかもしれませんが、北朝鮮やロシアとの外交においてもそうですが、官邸の情報収集、分析、判断能力の低さには驚くばかりです。
日本にはもともとアメリカとイランの仲介をするような力はないので、安倍首相ではなくても失敗は目に見えていました。失敗自体が問題ではなく、仲介を引き受けたことが誤りだったとういうことです。
安倍首相はイランの強硬派を刺激した?
そればかりか、アメリカとイランの緊張を緩和するどころか、安倍首相のイラン訪問がタンカー攻撃の引き金になり、一挙に緊張が高まった可能性すら考えられます。
トランプとハーメネイは戦争を望んでいないので、偶発戦争の危険性は、アメリカ側ではポンペオら、イラン側では保守派の法学者とイラン革命防衛隊の中の強硬派にあります。もし安倍首相がイランに行って本気で仲介しようとするなら、ハーメネイだけではなく非公開で強硬派とも会い裏交渉をすべきだったのですが、彼らとパイプがない日本にはそんなことはできるはずもありませんでした。
もし今回のタンカー攻撃がイランによるものだったとすれば、イランの対米強硬派への配慮を欠く安倍首相のこの無意味な動きは結果的に強硬派を刺激し、タンカー攻撃に繋がったことになります。官邸がそのリスクを考えていなかったとしたら、愚かとしか言いようがありません。
戦争の危機は遠のいたが……
アメリカ側はイランによるタンカー爆破の証拠として、イラン革命防衛隊の小型艇が不発の吸着爆雷を取り除いたとされる映像を公開し、イギリスは即座にアメリカの声明を支持しました。しかし、吸着爆雷を仕掛ける映像や取り除いた吸着爆雷を処理する映像などが公開されていないため、ドイツやフランスは証拠不十分としてアメリカに同調せず、日本も判断を保留しています。
トランプが『タイム』誌のインタビューで「イランが核兵器を持てば戦争も辞さないが、それ以外の問題は不問に付してもよい」と述べたことで、当面戦争は回避され、「犯人捜し」は迷宮入りする公算が大きくなりました。とは言え、今後の展開を考えるためには、自分なりの事件の見通しを持っておく必要があります。
アメリカの提示した映像は状況証拠にさえなりませんが、現在のところ他に具体的な容疑者の名前があがっていない以上、イラン革命防衛隊が疑われるのは無理もありません。イランがタンカーを攻撃する理由はない、イランと開戦する口実を作るためにアメリカがやった、との陰謀説を唱える者もいますが、イラン革命防衛隊説以上に根拠薄弱です。
イラン革命防衛隊が爆雷を仕掛けたのでもなく、アメリカの秘密工作でもなければ一体誰が行ったのでしょうか? 私の仮説は、イエメン内戦でイランが後押しするフーシー派です。
フーシー派の影
明文の根拠もあります。6月13日、イエメン内戦に介入しているサウジアラビアが主導するアラブ諸国連合軍報道官が2018年7月のフーシー派によるサウジ・タンカー攻撃に言及し、フーシー派の過去の攻撃に通ずるとしてフーシー派犯行説を唱えています。
またサウジのムハンマド皇太子もオマーン湾での4隻のタンカーへの5月12日の攻撃もあわせて「イランとその代理人」の仕業だと非難しています。イランの代理人とはフーシー派のことです。イエメンからオマーンにかけての湾岸はフーシー派の活動範囲内ですからイラン革命防衛隊が直接手を下さなくても、同盟関係にあるフーシー派が実行するに情報や武器を提供したということは十分にありえます。
また、アメリカがイラン革命防衛隊を装う偽旗作戦で破壊工作を行ったとは考えにくいですが、アメリカは囮捜査が認められる国です。これまでもイスラーム主義者に「テロ」を示唆し、誘導するばかりか、実行の手伝いをするなどしばしば行き過ぎがあったと批判されています。今回もサウジアラビアやUAEなどの現地の情報機関と協力して、イラン革命防衛隊の強硬派やフーシー派に情報提供、便宜供与し、安倍のイラン訪問の日にタンカーを攻撃するよう誘導したことは十分に考えられます。アメリカが、イランの関与と断定しながらも証拠を開示できないのも、そう考えれば合点がいきます。
サウジアラビアからイランへの「メッセージ」
サウジアラビアがフーシー派を名指したのは、事実かどうかはともかく、裏にサウジアラビアがイランに向けたメッセージが隠されているのではと私は考えています。
アメリカが核開発の阻止、最終的にはイスラーム共和国体制の転覆にしか興味がないのに対して、サウジアラビアにとっては(イランが仮想敵国筆頭であるにしても)喫緊の問題はイエメン内戦で交戦中のフーシー派の掃討です。つまりサウジアラビアは、イラン革命防衛隊ではなくフーシー派を犯人と国際的に認知させ、イランがフーシー派と絶縁し支援を止めるなら、それで手打ちにし、イラン革命防衛隊は免責する、とのメッセージを出したのではないでしょうか。
革命防衛隊は宗教界が支配するイスラーム共和国体制の最大の支持基盤であり、たとえハーメネイの指示なく革命防衛隊がタンカーを攻撃したと国際社会が認定してもハーメネイは革命防衛隊を切り捨てることはできません。しかしフーシー派ならトカゲの尻尾切りが可能です。フーシー派を切れ、とのサウジアラビアのメッセージは理解可能なものです。
サウジアラビアがイラン革命防衛隊ではなくフーシー派を犯人にしたいのは、イランと直接敵対して、アメリカが矛を下ろして梯子を外されるのが怖い、ということもあるでしょうが、アメリカとイランが戦争になってイラン・イスラーム共和国に崩壊されるのが困るからでもあります。
アメリカの標的になりたくないサウジアラビア
確かにサウジアラビアにとってイランは仮想敵筆頭ですが、イラン・イスラーム共和国体制が崩壊してしまうことは必ずしも好ましくありません。
域内大国イランの崩壊は中東に予測不能な大混乱を招くことは必定であり、サウジアラビアや湾岸の王制諸国も巻き添えで吹き飛んでしまう可能性も小さくないからです。サウジアラビアが望むのは、イランがこれ以上影響力を伸ばさないこと、現状の維持です。
第二に、イラン・イスラーム共和国体制が崩壊すれば、次のアメリカの標的になるのは、サウジアラビアだからです。親米だと思われがちなサウジアラビアですが、その認識は間違いです。「9・11」の実行犯19人のうち15人はサウジ人でしたし、サウジアラビアとアメリカは金だけのつながりで、信頼関係はまったくありません。2018年、訪米したサルマン国王にトランプが「サウジアラビアなどアメリカの武力の庇護がなければ二週間で消滅する」と言い放ったのに対し、ムハンマド皇太子が「サウジアラビアはアメリカができる前から存在している」と応酬したのは、両者が内心では軽蔑しあっていることを露呈させるものでした。
サウジアラビアは建国以来主にアメリカから兵器を買っていましたが、人権外交を掲げたオバマ政権以降は、ヨーロッパや、ロシア、中国などからも購入するようになりアメリカとの関係はぎくしゃくしています。
アメリカとの戦争でイランが崩壊し、親米民主政権ができれば、これまでは敵の敵は味方、ということで、イランとの対抗上大目に見られてきたサウジアラビアにアメリカの矛先が向くことは確実です。だからイランに新たにアメリカの傀儡政権ができることをサウジアラビアが歓迎するわけはありません。サウジアラビアの最大の関心は、いうまでもなく自国の安泰です。したがって、今やサウジアラビアのアキレス腱となっているイエメンからイランが手を引けばそれでいいのです。
「中立」日本にやれることはある
現在の中東はグローバル、地域、国家のレベルで、国家と非国家主体の多くのプレーヤーが複雑に関わり、利害が錯綜し、イラク、シリア、リビア、イエメンは国家崩壊の危機にさらされています。もともとこの地域について情報もなく、エージェントも持っていない日本には、そもそも出来ることはほとんどありません。
自分にトランプとハーメネイの仲介ができ緊張を緩和できると勘違いした安倍のイラン訪問は、ハーメネイからトランプは相手にするに値しないと仲介をはっきりと拒否され、ローハーニーのG20大阪サミットへの招聘も実現できず失敗に終っただけでなく、対米強硬派を刺激し安倍の訪イ中に日本のタンカーが何者かに攻撃され、イランの犯行と断ずるアメリカとイランがあわや開戦かという一触即発の事態を招きました。その意味では大失敗です。
しかし、トランプがタンカー攻撃事件を重大視しないと明言したことで、戦争の危機は一旦回避され、アメリカとイランの緊張関係の焦点は再びイランの核問題に戻りました。トランプがポンペオらの対イラン主戦派とはっきりと一線を画し戦争の意図がないとのメッセージを送ったことで事態が変わったかもしれません。
そうなると日本政府が、タンカー攻撃事件でアメリカに即座に同調したイギリスと違い、フランス、ドイツと共に態度を保留したことは意味を持ちます。日本がアメリカから距離をおき、中立の立場を取ったことで改めて仲介の役割を果たしうる、と話を持ち掛けることが出来る状況になったからです。
安倍のイラン訪問での仲介が失敗し、逆に緊張を高めタンカー攻撃が起こることまでは、トランプには想定済みだったのかもしれません。その上でアメリカのイラン非難に日本が同調しないように日本での会談の中で秘密裏にあらかじめ安倍に指示し、自分はポンペイらと違いイランとの戦争を望まず真摯に対話をする意思がある、とのイランに対するメッセージとして「タンカー攻撃を重視せず」とトランプが述べたのであれば、トランプのメッセンジャーとしての安倍の役割はまだ終わっていないことになります。アメリカのイラン非難に同調しなかった中立の立場に立つ日本の首相として、イラン側に、ポンペイら対イラン主戦派を抑え平和を望むトランプとの対話を促し、再度ローハーニーのG20大阪サミットへの招聘をイラン側に働きかけることが出来るかもしれません。
日本の外交力が問われるのはこれから
そうであれば今こそ日本の外交力が試されていることになります。安倍のイラン訪問に対する最終的な判断を下すには、G20大阪サミットの結果を待つ必要があると思われます。
思えば、100年前、中国で大清帝国が倒れた後、オーストリア大公が暗殺されたサラエボ事件をきっかけにヨーロッパで戦争がはじまり、世界を巻き込む大戦争に至りました。この戦争は1500万人を超える死者とドイツ帝国・ロシア帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国の解体をもって集結したことは、ご存知の通りです。
それから100年が経った現在、東西ドイツが再統一を果たし、中国、ロシアが帝国として復活しつつあり、トルコもそれに続こうとしています。今の状況は、第一次世界大戦前の危機的状況に似てきているのかもしれません。そうした中で日本外交はこれからますます難しい舵取りを迫られることになるでしょう。はたして安倍政権にそれを担う能力があるのか、私たちは正しい判断を下せるよう、イデオロギーを離れて注意深く見守る必要があるでしょう。
その後、アメリカのドローンをイラン革命防衛隊が撃墜し、双方の非難の応酬が続いている。安倍の仲裁の話など一言も出ず、まるで仲裁などなかったかのように緊張がますます高まってる。