歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。

 今回は、江戸幕府第11代将軍、徳川家斉を四柱推命鑑定する。15人いる江戸幕府の将軍の中ではあまり目立たない存在であるが、家斉は15人の将軍の中では最も長く、50年間にもわたって権力を奮い続けた。また、家斉は無類の女性好きで50人以上の子どもがいたことでも知られる。一体どんな人物だったのか?四柱推命鑑定でその真相を明らかにする。

徳川家斉(とくがわいえなり)
生年月日:1773年11月18日(安永2年10月5日)

最も子を多く生ませた第11代将軍・徳川家斉は、ナイーブゆえの...の画像はこちら >>
 

 まずは、命式表の中で、自然界での役割を表す重要な場所、日柱の干支を読み解いていく。

 まずは、命式表の中で、自然界での役割を表す重要な場所、日柱の干支を読み解いていく。

○日柱の干支:「庚寅」(かのえとら)

 「庚(かのえ)」は自然界の物質に表すと刀や鉄、「寅(とら)」は季節で春を意味することから、「庚寅」は春の刀と解釈できる。刀や鉄は固く、ちょっとやそっとの力で折れ曲がることはない。そのため、「庚」を持つ人は頑固で自分の考えを押し通そうとするところがある。また、季節の「春」は恋の季節。生涯恋心を大切にしたのだろう。

 御三卿のひとつ、一橋徳川家の第二代・徳川治済(はるさだ)の長男として生まれた家斉。

10代将軍・家治の跡継ぎが死去し、あれよあれよという間に、15歳で将軍になった。それから50年、家慶に将軍を譲ってもなお、家斉は権力を奮い続けた。また、通変星に「比肩(ひけん)」を持っているが、「比肩」は頑固に我が道を突き通そうとする星である。「庚」と「比肩」が相まって扱いづらい性格だったのだろう。当時は貨幣の改鋳が続いたためインフレが起きており、さらに飢饉も発生して庶民の不満も相当溜まっていたようだが、後の30年間は家斉に誰も口出しができなかったという。その意志の強さは将軍としてある意味必要なのかもしれないが、偏屈で柔軟性に欠ける部分があったのだろう。家斉が亡くなると、ここぞとばかりに水野忠邦が天保の改革を行っている。

続いて、通変星、蔵干通変星から家斉の性格を読み解いていく。通変星、蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。

最も子を多く生ませた第11代将軍・徳川家斉は、ナイーブゆえのセックス依存症!?
 

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。

サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 

〇人脈30%!(偏財)

人脈を持っている人は優しく、誰とでも仲良くでき、コミュニケーション能力の高い。中でも「偏財(へんざい)」は、幅広い人脈を持つが、お人好しで人に騙されやすい面を持つ。お金に恵まれるが浪費家。また、恋愛の星でもあり、女性好き。

 5つの通変星の中で、その人を表す最も重要な場所は、月柱の蔵干通変星であり、これを「主星(しゅせい)」と呼ぶ。家斉がここに「偏財」を持っているのを見て、筆者は「やはり…」と思った。「偏財」は惚れっぽく恋愛好き。

さぞかし女性が大好きだったのだろう。また、優しく女心をくすぐるので、女性からも相当にモテていたのだろう。家斉は正室のほか、24人もの側室を抱えており、そのほか20人以上のお手付きがいたという。家斉はそのうちの17人に50人以上の子どもを産ませている。このうち、約半数が夭折しているが、28人が成人している(諸説あり)。平均寿命が30~40歳と言われていたこの時代、家斉は17~55歳までほぼ毎年子どもを作り続けた。世継ぎを残すことは将軍の大事な仕事であるとはいえ、側室の生活費や子どもの養育費もバカにならない。白砂糖が貴重なこの時代に、子ども達のおやつのお菓子を作るのに、一日に千斤(約600㎏)も使ったという記録も残っている。その結果、大奥の財政を逼迫し、財政難に拍車をかけることに繋がっている。もはや、「子どもを残さなければ!」という義務感ではなく、ただの女性好きであった節は否めない。

 また、どうやらお金に対しても無頓着だったようで、松平定信の後釜として家斉が登用した老中・水野忠成は、賄賂を公認・奨励し、賄賂政治が横行した。家斉ももちろん承知の上だったということで、これによりさらにインフレにまでも拍車をかけている。

 

〇遊び心30%(傷官2つ)

 遊び心は、生活に自然と遊びを取り入れることができ、芸術性も高い。中でも「傷官(しょうかん)」は、きれいなものが好きで芸術性が高いが、ガラスのハートの持ち主。特に男性はナイーブで繊細な人が多く、傷つきやすい。

 筆者は、家斉の性格の根本はここに起因すると考える。家斉はこの「傷官」を2つも持っており、相当な(もしかしたら病的なレベルの)ナイーブさんだったことが予想される。幼少の頃から異様な性癖があったようで、蟹や鶏を相手にして踏みつぶしたり殺したりといった動物虐待を行っていたという。そんな家斉には、多くの女性がおり50人以上の子どもがいたということだが、勝手ながら筆者は性依存症(セックス依存症)だった可能性も否定できないと考える。ナイーブさんゆえ、寂しい、誰かと繋がっていたい…そんな思いを満たすために、次々と女性をそばに置いていたのだろうか。しかし、大勢の女性、大勢の子どもに囲まれたとはいえ、果たしてその不全感を解消することはできたのだろうか

家斉はそんな弱い自分を覆い隠すために虚勢を張り、権力を奮い続けたのかもしれないとも考える。欲しいものは何でも手に入れられる将軍だからこそ、空虚感を感じていたのかもしれない。これぞ家斉の弱さの表れではなかろうか。

 

〇行動力30%(偏官)

行動力は、頭で考えるよりも行動で結果を出そうとする星。

中でも「偏官(へんかん)」は、攻撃的行動的な星。野性的で思い立ったら即行動する。

 家斉が将軍に就いた当初、まだ若かった家斉の補佐役をしながら老中首座を務めていたのは松平定信だった。定信と言えば、寛政の改革を行った人物。定信は、前の老中・田沼意次と結んで独占的利益を貪ったとして株仲間や問屋を次々に廃止、庶民に対しても華美なぜいたく品の販売のほか、女芸者や賭博を禁止するなど、厳しい態度を取り続けた。そんな中、家斉が実父・一橋治済を大御所として江戸城西の丸に迎えようとした。しかし真面目すぎる定信は「大御所というのは前将軍の称号であり、将軍職に就かない治済を大御所にするのはよくない」と断固反対の姿勢を取った。それに対し、家治は立腹。定信の老中首座と補佐役を突然解任してしまった。寛政の改革に対する評価は様々であるが、飢饉対策や賄賂人事の廃止等、一応の成果は上げている。その改革の道半ばにして終止符を打ってしまった家斉は、考えるよりも先に行動するタイプだったのだろうか。確かに、家斉は「知性」の星を持ちあわせていない。

 

〇自立心10%(比肩)

 自立心は、他人に依存することなく自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップが強い。中でも「比肩(ひけん)」は、一匹狼で職人肌。頑固で人の意見に惑わされず、自我を貫く性質がある。

続いて、十二運星を見て、持って生まれたエネルギーを見ていく。

〇病(びょう):運勢エネルギー4

 ロマンチストで感性が鋭い芸術家タイプ。精神的世界に興味を持ち、神秘的なものを好む。

 数いる側室の中で、家斉が最も寵愛したのはお美代の方だったという。お美代の実父は下総中山にある法華寺智泉院の祈祷僧・日啓(にっけい)だが、家斉は智泉院を将軍家の祈祷所に指定し、せっせと通い続けたという。

 10代将軍・家治の長男、つまり本来であれば将軍家を継ぐはずだった家基(いえもと)が17歳で急死したため、将軍のお役目が家斉に回ってきたのであるが、家斉の病がなかなか回復しなかったとき、大奥では「家基のたたりではないか」とうわさになった。それを心配した老女が日啓を訪れたところ、そのうわさを知ってか知らずか、「家基の霊が上様の栄華をうらやみ冥界を彷徨っている」と伝えたという。震え上がった家斉は、木像を刻ませて智泉院に下付したり、若宮八幡宮の社殿を建てさせたりした。日啓の実力がいかほどなのかは知らないが、それほど目に見えない世界に対して一生懸命だったようだ。

 

〇絶(ぜつ):運勢エネルギー1

 「あの世」の意味を持つが、精神的孤独が強く、人に裏切られやすい。普通の生活は向いておらず、芸能界等に向いている。天才肌でもある。

 普通の生活をしていないという点では、将軍向きなのかもしれないが、頑張って現世に生きようと努力をしすぎると、精神的な孤独が強くなり、精神的病理傾向になる場合もある。もしかしたら、家斉は性依存症だったのでは?と考える所以の2つ目である。

 

〇長生(ちょうせい):運勢エネルギー9

 順応性が高く、勉強がよくできる。人から信頼を受ける。そのため、保険の営業マンや鑑定士に向いている。また、長生は長男、長女という意味を持ち、家を継ぐ役割を持つ。

 これまで鑑定した、3代将軍家光や7代将軍綱吉も、この星を持っていた。綱吉もだが、家斉も先に示したように、本来ならば将軍になる予定ではなかった。しかし、それでもやはりそのお役目が回ってくるというのは、家を継ぐ役割を持つ「長生」を持っている所以だろうか。また、人からの信頼感も強かったのだろう。

 

 今回は11代将軍・徳川家斉を四柱推命鑑定してきたが、天下の将軍様に申し訳ないほど、厳しい意見を色々言わせて頂いた。将軍職という特殊性の高い職業のために、それぞれの将軍が悩み苦しみ孤独感を感じていたものと思われる。そんな誰にも言えない不全感に打ち勝って天下を治めていてくれたことに敬愛の念を表する。特に家斉の場合は、群を抜いてナイーブであり、人知れずつらい思いをしていたのだろう。来世では普通の幸せを手にしてもらいたいものだ。

 しかし、やはり1人の権力者が長期間トップの座に居座るのは望ましくあるまい。慢心し、本来の志、本当に正しい道を判断できなくなる。この点はもちろん家斉だけに問題があるわけでなく、当時の制度、周りの体制にも責任の一端がある。もちろんこれは現代にも通じる。歴史から学び、政治や会社、協会等の体制づくりに役立てる必要がある。

 ただ、家斉の時代は一方的に否定されるべきものでもない。家斉が経済に無頓着だったお蔭で(!?)、庶民にお金が回り化政文化が花開いたと言っても過言ではあるまい。これにより、日本の芸術の質を押し上げ、ヨーロッパの印象派にまでも強い影響を与えた。世の中何が災いするかわからない。家斉が意図していたか否かは一旦置いておき、長い目で歴史を見る、おおらかな視点が必要である。

 

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

■用語説明

日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分

主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。

自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。

【参考文献】

「徳川家斉~第11代将軍として子どもの数は55人?」幕末維新風雲伝 https://jpreki.com/ienari/ (2019年6月18日最終アクセス)

「将軍・徳川家斉が「53人も子供を作った」ワケ」 山岸良二 東洋経済ONLINE  https://toyokeizai.net/articles/-/185922 (2019年6月18日最終アクセス)

「徳川将軍百話」 中江克己 河出書房新社 (1998)

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