改革派・蘇我 四朝廷守旧派・中大兄皇子という図式が浮かび上がってくることになる。
ただし、ここでひとつの疑問にぶつかる。
すると、「皇極と孝德は親蘇我派」という私見そのものがまちがっているのだろうか。 あるいは、中大兄皇子が突出する何かしらの理由が隠されていたのだろうか。
この謎を解きあかすヒントは、ふたつあるように思われる。以下、その理由を掲げておこう。
第一のヒントは、皇極天皇の置かれた不思議な立場にある。 そもそも問題は、なぜ「蘇我」の血の極めて薄い皇極が、即位できたのだろう。もちろん、蘇我本宗家が皇極を皇位に押し上げたのだろうが、その理由がはっきりとしない。皇極天皇は、敏達天皇の曾孫で、皇族としても亜流である。
話はいささかさかのぼる。欽明天皇の御子が順番に即位(敏達、用明、崇峻)し、 最後に推古女帝が擁立された。その推古天皇は長寿で、聖徳太子をはじめとする欽明天皇の孫の代の孫の有力皇族が、みないなくなってしまった。そこで皇位継承問題が勃発したという。
推古天皇崩御の段階で候補にあがったのは敏達天皇の孫の田村の皇子(のちの舒明天皇)と、聖徳太子の子の山背大兄王である。
『日本書紀」に従えば、田村皇子を推したのは蘇我本宗家で、山背大兄王を推したのは、 蘇我の枝族である。なぜ蘇我本宗家は、「蘇我系の山背大兄王」ではなく、蘇我とは無縁の田村皇子を推したかというと、通説は、次のように説明する。すなわち、田村皇子と蘇我系の女人の間に、古人大兄皇子がいて、将来的には、この人物を推戴しようと考えていたからだ、というのである。
だがそれならば、なぜ舒明天皇の崩御ののち、蘇我本宗家はすぐさま古人大兄皇子を擁立せず、皇極天皇を押し上げたのだろう。
「それは、皇位継承問題がこじれるのを避けるため」
という説明もあるが、納得できない。なぜなら、皇極が即位すれば、舒明と皇極の間に生まれた中大兄皇子が白位継承候補の筆頭格にのしあがり、いっそう混乱するのは目に見えていたはずなのであり、事実蘇我本宗家は、滅亡している。
(次回に続く)
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