■「そうか、もう彼はいないんだ」
―死刑執行から1年が経ったことを、中谷さんご自身はどのように受け止めていますか。
こんなことを言ったら情けないんですけど、「彼らがこの世にいない」という現実を受け入れたくない気持ちが、やっぱりあるんです。
今月は死刑執行から1年ということで、テレビや雑誌で事件や死刑囚のことが頻繁に取り上げられていますよね。
たとえば、番組内で彼らの遺品が紹介される。「遺品」としっかり言っているわけですから、「そうか、もう彼はいないんだ」と受け入れていかざるを得ないですよね。
もう1年も経っているし、『幻想の√5』を書いているときにもとんでもない産みの苦しみがあったのに。彼らからもらった手紙を読み返すと、つい昨日のことのように感じてきてしまいます。
―それでも、彼らの死を受け入れるのには十分でなかったんですね
執行されるまで、死刑確定後は連絡は厳しく制限されていましたが、でも折につけて、たとえば「これ、早川(紀代秀)さんだったら絶対こう言うだろうな」とか、いろいろ想像できたわけですよ。
もちろん、今でも「生きてたらこうだろうな」とは思えるけれど、生きているのと死んでいるのでは、全然違う。
だけど同時に、そもそも彼らこそが、事件の被害者遺族の方々からしたら大切な旦那さんや娘さんを奪い、そういう思いをさせている張本人だという現実があるわけです。
だから、本当に最悪で、悲惨な宗教的事件だと改めて感じました。
■加害者でもあり、被害者でもある
―彼ら「オウム事件の犯人」たちは、加害者であると同時に被害者でもあったわけですよね。
オウム事件を考える際は、やはり全体のテーマとして、「加害者が同一線上で被害者でもある」ことを避けては通れません。
オウムの人間が「オウムを産み出したのは日本社会なのに」とか言う声を聞くと、「お前がそれを言うな!」となりがちですが、それでも完全に間違いだとは言い切れない。「社会の中から出てきた」という言い方をするのなら、どんな犯罪でもそうなのでしょうが、当事者が話すと言い訳に聞こえてしまいます。
「加害者と被害者の両義性」みたいな小難しい言葉を使って分かった気になっても、具体的にピンと来ません。
そうではなく、「加害者であり、被害者でもある」人たちは、実際にどう出会い、どんな会話をしたのか。そして、その関係がどう成立したのか。それは一言で表せるような簡単なことではないから、読んだ人それぞれに感じてもらいたかったんです。
「いじめ」「パワハラ」「DV」など、より身近な場面にも、これと同じ構造・テーマが潜んでいます。
―読者それぞれが、それぞれの捉え方をすればいい。
だから『幻想の√5』の中ではあえて、彼らを「いい人」のように、客観的に評してはいません。
本に描かれた彼らを「いい人」と思うのか、「馬鹿」と思うのか。それは読んだ人の自由ですよね。
同じく、「オウムに行った人は純粋で良い人」という、ある種自分たち「普通の人」から遠ざけるような言い方がよくされますけれど、私はそういう定義づけをしませんでした。
そうではなくて、「実際に会って、こういうやりとりをしました」という事実を、淡々と書き連ねた。はじめに私自身の生い立ちも書きましたが、それは読んだ人それぞれに、「事件」という非日常の世界が、今ある日常の延長線に存在していることを感じてもらうための補助線なんです。
■当事者ではない自分にできること―実際、読者の方にはどのように受け入れられたんでしょうか。
これは本当に偶然なんですが、先日あるコンサート会場で、林郁夫さん(無期懲役の判決を受け服役中)が出家前に病院で一緒に働いてた方と知り合ったんです。
当時病院では、林医師をオウムに取られまいと、かなりの反対姿勢があったようです。そのときオウムからは、白い服を着た若い子が来ていたと。
―本当に偶然ですね。
はい。本当に……びっくりです。
当時は「なんか変な人たちに林郁夫医師が取られる」と思っていた。林郁夫医師は、病院内でも入信の勧誘をしていたらしく、「なんで林先生はあんなに一生懸命になっているのだろう」と、理解できなかったそうです。
でも、その方にも『幻想の√5』を読んでもらえて、「この本ではじめて分かった。あんな人たちだったんですね。」と言っていただきました。
―はじめて分かったんですか。もうサリン事件から25年も経つのに。
当時を知る医師や看護師が集まると、いまだに話に出ているそうです。「何で林さんはあんなことをしでかしてしまったんだろう」「何であんなことになっちゃったんだろう。」と、ずっと言い続けてきたと。
しかし、今回私の本を読んでくださり、林医師や当時の信者の人たちが、社会の事を真剣に考えていたことは事実だったと分かったそうです。
-その他には、どんな声が届いていますか。
『幻想の√5』を読んでくれた別の知人は,ビートたけしや中沢新一と麻原の対談をよく読んでいて、当時は入信してもおかしくないくらい近く感じていたそうです。
それだけに、「あのようなことが、だれもが陥りうる穴だと理解するうえで、貴重な記録だ」とご感想をいただきました。
また、事件当時を知らない若い世代の方からいただいた、「死刑執行を知ったとき、『事件を起こした人達が死刑でいなくなれば日本社会も平和になる』と思って嬉しかった。しかし、それは大きな間違いだった。どんな事件だったか、どんな人達だったか、私は本当に何も知らなかったんですね。」という言葉は深く心に残りました。
私は元々オウムと関係ないし、マスコミやジャーナリストでもない。その意味では読者の人たちに近い立場と言えますから、敷居が低い分、読んでみようかという気になってくれて、よかったです。
■中村昇は『幻想の√5』をどう受け取ったか
―『幻想の√5』を、交流のあった死刑囚の方々が読んだら、どう思われたでしょうか。
私は当然、彼らが死んだからといって「鬼の居ぬ間に……」というようなつもりでは書いていません。そもそも、彼らの移送から死刑執行までの期間が、あんなに短いとは思ってもいなかった。
実際に彼らが読んだら、「あ、こういう目で俺の事を見てたのか」とわかってしまう恥ずかしさもありましたけどね(苦笑)。しかしそれは本を書く以上、大前提だと思ってました。中村君には、「ちょっと上から目線に感じたらごめんね、やむを得ず」とエクスキューズをいれましたけどね(笑)。
-死刑囚や中村受刑者だけでなく、中谷さんご自身のことを書くのにも覚悟が必要だったと想像します。
これまで匿名に拘っていた中村君に自分を手放してもらう以上、私も自分自身を手放さないといけない。いろいろな葛藤がありましたが、そういったことも踏まえて私自身の生い立ちについても書いたわけです。
オウムでは、薬物による儀式を「イニシエーション(通過儀礼)」と呼んでいました。中村君はこの本を通じて、成人してからはじめて「中村昇」という名前を以て言葉を発したわけです。ですからこの本は彼にとって、そして私にとっても「通過儀礼」になったのかもしれません。
―中村受刑者自身からは感想をもらえましたか。
刑務所では差し入れの本について,内容によっては制限される事もあるようですが、今回の本は許可が下りて、無事本人の手に渡ったと連絡がありました。
もちろん内容の多くは、中村君本人が経験したことや、私の口から伝えてきたことです。それでも彼からの手紙には、彼らとの交流を夫をはじめ家族が応援してくれたことについて、改めて「とても胸が温かくなった」と書いてありましたし、同時に拘置所時代のいろいろなことを思い出したようです。「(端本)悟にも読ませたかったな」というのも、中村君らしいですよね。
(第3回へつづく)