まだまだムシムシの8月24日、ある座談会に招かれた。電子書籍として『めくるめくお色気レコジャケ宇宙』を上梓した山口eGuccif佳宏さん、その版元たる圏外編集者・都築響一さんの司会による三者座談会。
さすがに満席。会場では筆者オススメの美女ジャケとグッチさんコレクションの和物のお色気ジャケをそれぞれ30枚以上展示したが、右と左に分かれたセクシー・ジャケを見ているといろいろ違いもわかって面白かった。
そもそも筆者コレクションの美女ジャケは1950年代のものを基本にしている。写真もタイトル・フォント(書体)も、その時期が最高に洗練されているからだ。一方、和物のお色気ジャケは1960年代後半以降の、つまり昭和40年代の産物。もちろん日本人モデルが多いが、それ以上に金髪美女の多さにもびっくりするのだ。
するどく指摘してしまったのだが、日本で「金髪西洋美人」への憧憬がものすごく強くなった時代のものだ。
なぜかを紐解くと長くなるが、かいつまんで言うとまず、日本では1964年まで海外渡航が自由化されていなかった。政治だの学術研究だのといった尾ひれが付かないと渡航許可が下りなかったのだ。
さらに為替相場が1ドル360円の固定相場! 日本では中流ですよ、と言ってもこれでは海外に行っては相対的に貧乏だった。たとえばハワイ旅行が飛行機代だけで40万円とか。
ちなみに筆者が初渡欧した1977年の羽田~パリは片道約30万円! アルバイトで返すと親を騙して借りて行ったが、そんなお金返せないでしょう、甘ちゃんの学生が!
そういう時代だが、とりあえず海外渡航が自由化され、行けないながらも海外情報はたくさん入ってくる。欧米の映画を観てもあまり裸は拝めないが、雑誌のグラビアやレコジャケにはパツキン・ヌードが現れ、もしかしてオレでも、なんて妄想から和物レコジャケで金髪美女ヌードが大流行するのだ。
話を1950年代の欧米の美女ジャケに戻すと、こちらも白人美女天国だったのは、連載第2回で書いたとおり。東洋人や黒人モデルが登場するのは50年代末から60年代初頭のこと。公民権運動も起こったし、時代は変わりつつあった。
そんな気分が1950年代後半からなんとなく美女ジャケにも表れるようになる。筆者はこれを「サバービアの倦怠」と呼んでいる。そう、保守的で調和が取れた白人世界にも、なにやら倦怠期というか、さざ波が起こり始めている感じなのだ。
サバービアとは「郊外」のこと。戦後から1950年代にかけてアメリカは郊外住宅(サバービア)が、ものすごい勢いで拡大して、そこでの生活様式がすべての規範となった。
と、みんな横並びだったのだ。そうしないと「あの人、変わっている」とサバービアの住人から異端視されてしまったのだから。
主婦は財布を握っていたが、夫には従順。もちろんセックスの不満があっても絶対に表には出さない。だってサバービアの住人は品行方正な中流階級なのだから。性的欲求不満は電化製品がまぎらわしてくれるわ、ということなのだ。
アメリカの大量消費社会は、多分に主婦の性的欲求不満が寄与していた、なんてことは経済学者は言わないが、それほどデタラメな言い方ではないと思う。
■美女の瞳に映るのは自分の夫か不倫相手か冒頭で紹介したジャッキー・グリーソンの「music for the Love Hours」 では、ナイトウェアを着た女性が煙草の火を待っている。ライターを差し出す男の袖を見るとこちらもナイトガウンらしい。
でも、これ、夫婦に見えるだろうか? 恋人同士? いや、こんな挑戦的なまなざしで恋人を見ないでしょう。となると、そこはかとなく匂ってくるのは「不倫」とか、その手前の恋愛遊戯なのだ。
だからこのジャケットはとてもいやらしい。
1957年、まだサバービアの生活様式が盤石だった時代なのに、どこか崩れ始めている感じがする。
ジャッキー・グリーソンは「夜もの」と呼ばれる、夜のとばりに包まれ静かでロマンティックな、どことなく官能的な音楽の第一人者として大人気だった。彼のアルバムには夜をイメージさせる絵柄が多い。シャンパングラスと灰皿、カクテルグラスと煙草とか。それは落ち着いた大人の世界であった。
ところが1956年のアルバム「Night Winds」になるとまったく落ち着いてなんかいられない。なにしろ林の中で男が木にもたれ、煙草を片手に待ちくたびれているようなのだ!
女性は薄物のネグリジェ姿。こんな格好で夜中に林に行ってよいものだろうか? しかも髪に手をやって、「あぁ、あなた!」とでも言ってそうな気配だ。さらに、右の肩紐がずれ落ちているではないか。
男は余裕で女を眺めているが、女は逡巡あってこの場に来た風情ありあり。
これを「不倫」の現場と想像するのは、妄想しすぎと言われるかもしれないが、でも、そんな妄想をかき立てるような物語が潜んでいそうな写真ではある。
冒頭で書いた和物セクシー・ジャケと美女ジャケの大きな違いは、こうした「セット」に対する予算のかけ方、凝りかたの違いがまず第一。そして、背後に潜む物語性の有無だ。ただのヌード・ジャケには物語は少ない。だが、薄物一枚着ただけの夜の林の美女には、うかがい知れない物語が潜んでいそうなのだ。
この2枚はどちらも大手のCapitolレコードの作品。Capitolはインハウスのデザイナーやカメラマンを抱え、セットから撮影まで凝りに凝った作品をリリースし続けた。フォントの選択も配置も完璧だ。
そしてディレクターなり、プロデューサーが企画を決め、アルバム・テーマから喚起されるようなドラマを一枚の写真のなかに盛り込んだ。そうやって素晴らしい完成作品をつくったら、のちの時代から見るとサバービアの不調和、倦怠が集約されているようなジャケットができあがってしまった。「時代の気分」というのはこういうものなのだ。
「美女はいったい何を待っているのか?」という今回のテーマだが、「Music for Bachelors」 で振り返る美女は、いったい誰と電話していたのだろう? 情人か? そこに帰ってきた夫に何気なくにこやかに振り返っているとしたら? 女優のジェーン・マンスフィールドがネグリジェ姿で艶然と微笑むこのジャケットも妄想しようによっては、相当にいやらしい。
そう、「相手は誰なのか?」を想像しだせば、妄想力は限りないのだ。
まったく似たようなポーズのジャケットにポール・スミスの「By The Fireside」がある。太ももも露わなネグリジェ姿の金髪美女は、いったい誰を待っているのだろう? とてもたんに暖炉で暖を取っているようには見えない。そもそもひとりならミュール脱いで裸足でいいでしょ? とつっこみたくなるのだ。
このよく似たポーズの2枚のアルバムが、どちらも金髪美女をモデルとしているのも意味ありげである。愛人的ではあったとしても、けっして「妻」のようには見えない。ブロンドとは、古くからそうしたエロティックな表徴でもあったのだ。
映画でのキャラ設定でもわかるように黒髪よりも金髪のほうが尻軽だったり、派手好きということになっている。現実とは別にね。女性大統領候補だったヒラリー・クリントンが、黒髪を金髪に染めて、いかにも堅物そうなキャラクターを一変させてしまったのはその好例。
暖炉といえばもう一枚。
金髪と暖炉の炎が、まるで美女の「燃えるような熱情」を表して、しかもカメラ目線。となると彼女は誰を待っているのか?
そう、このレコードを買った私なのだ。しかも床の敷物に横たわって。
サバービアの倦怠きわまれり。品行方正、中流モラルよりも炎のキスだ!
「KISS OF FIRE」と同じ1957年にリリースされたラスティ・ドレイパーの「ALL TIME HITS」 は、まだ、なんとかサバービアの倫理に踏みとどまっていそうなロマンティシズムを感じるが、ほんとうのところはわからない。握りしめた男の手。半開きの唇。切ないまなざし。彼女が待っていたものは? それもおそらく私だろう。
結局、美女ジャケは、そこに男が登場したとしても美女が待っている誰かとは、限りなく「私」なのだ。そして美女が誰かを待っているような気配を濃厚に漂わすようになった1950年代後半とは、とてもいやらしくエロティックな妄想天国だったように思う。
サバービアの倦怠も、そう悪くない。
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