■マツコ・デラックスも吐いていた!嘔吐ダイエットに潜む現代人の性の揺らぎ
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 ダイエットではさまざまな誤解が起きる。「異性にモテたいから痩せたい」という人ばかりではないのに「男はぽっちゃりした女が好き」などと口を挟み、キレられたりするのもそのひとつだ。

実際には、同性によく見られたい、そのなかで上に行きたいという動機の人も多い。いわゆる女同士のマウンティングというやつだ。

 とはいえ、それも広い意味では「モテたい」系のダイエットといえる。一方、ここでとりあげたいのは、そのどちらでもないパターン。他者の評価より、自己満足、あるいは自己救済のために痩せたいというものだ。

 たとえば、フリーアナでタレントの小島慶子はこんな告白をしている。

「私は19歳から30歳まで過食嘔吐でした。当時は病気だと知りませんでした。自己肯定感が著しく低いことが原因でした」(本人のツイッター)

 その経緯や背景については、こんな文章も書いている。ちくま文庫『難民高校生』(仁藤夢乃)の解説として寄せた一節だ。

「私自身も母の過干渉や父の激務による不在、姉との不和から家庭に居場所をなくしました。(略)中高6年間、毎朝片道2時間近くも満員のバスと電車に揺られ、痴漢と闘い、大人を呪い、憎み、同時にその大人たちのやり場のない怒りを吸って大人になりました。

大学に入ってからは無断外泊を繰り返し、過食で20キロ近く太り、その後、過食嘔吐に。当時の私には、髪を染めて街に出るという世界はあまりにも遠かったため、行き着いた先が摂食障害でした」

 過食の前には、拒食の時期もあったという。彼女は「居場所を見つけることができない自分をいじめて半殺しにすることで」「生き延び」られたのだと分析する。つまり、痩せるため、太らないための「拒食」や「過食嘔吐」という行為が「自己満足」や「自己救済」につながっていたわけだ。

 ここで注目すべきは「母の過干渉」や「痴漢」という要因だ。彼女は母親の「いい花にならないと、いい蝶々は寄ってこないのよ」という価値観を押しつけられ、縛られながら成長。しかも、寄ってきたのは「蝶々」ではなかった。こうしたことが、彼女に性的アイデンティティの揺らぎをもたらし、苦しみを与えてきたのだろう。それゆえ、死のうと思ったこともあるという。

 こうした話は、珍しいことではない。作家の柳美里も、性の揺らぎに苦しんできたひとりだ。こちらは小学校6年のとき、第二次性徴を自覚したことから生まれて初めて自殺を考えたという。

「胸がふくらんだということと生理がはじまったということは、私が子どもを産める体になったということです。うちの母は機嫌が悪いときにいつも『あなたを産んでから白髪が増えて、歯がボロボロになったのよ。あなたなんか産まなければよかった』といいました。私はそのころテレビで、鮭が川をさかのぼって産卵し、卵を産み終わったあとにボロボロになる映像を見て、母がいっていることは間違いじゃなかったんだと思い、ショックを受けました」(「自殺」文春文庫)

 その後、中2で自殺未遂。その頃から拒食傾向が生じ、20代に入るとエスカレートして喀血までした。また、出産後は息子に虐待をしてしまい、カウンセリングを受けることになる。

 とまあ、痩せたい、太りたくないという心理と、性的アイデンティティの揺らぎ、そして自傷的な衝動とはある意味、地続きだったりもするのだ。それを象徴するのが、拙著「痩せ姫 生きづらさの果てに」でも紹介したこんなことばである。

「骨になれ 脂肪をそげ 胸も生理もいらない」

 ある少女が痩せるために、考え、自らに言い聞かせたスローガンだ。胸も生理もいらないというのは、成熟した女性らしさの否定であり、もっといえば、生物としての人間らしさの否定だろう。

 ただ、これは現在、それほど特殊な感覚ではない。産めよ増やせよを奨励したり、LGBTの人の生産性を問題視したりすることが批判され、炎上を招くことを思えば、こちらはまだそっとしておいてもらえそうな思想だ。

むしろ、非婚化や少子化が進むなか、成熟した女性らしさの価値は今の世の中では漸減傾向にあるといえる。

 そういう流れのなかで「非出生主義」という思想も注目されている。子供なんて持たなくていい、さらにいえば、その結果、人類が滅んだってかまわないという考え方で「痩せ姫――」の読者のなかにもそういう人はいる。拒食や過食嘔吐によって極端な痩身を目指し、種の存続を危うくしかねない自己実現について言及した部分に、彼女はこんな感想を寄せてくれたものだ。

「『出産=野蛮で汚い』って分かりすぎる。こんなことが普通に行われていて、多くの女性が望んでいるってことが正直信じられない」

 そこでふと、思い出したのが昔、取材したあるアイドルのことだ。80年代後半、スレンダー系の美少女として歌やドラマで活躍した伊藤智恵理。芸能人水泳大会では司会の田代まさしに「オリーブみたい」(米国の漫画「ポパイ」の超痩身ヒロインである)とからかわれたりしていた。そんな彼女は自分の将来について、アイドル誌でこんな話をしていたのだ。

「出産なんて、すごく痛そうだし、私には考えられない」

 それから20数年がたち、44歳になった彼女は「美魔女」として再注目された。「爆報!THEフライデー」ではアイドル時代にプレッシャーから拒食に陥ったことを告白したうえで、再デビューへの意気込みを語ったのだが、その体型はかつてと変わらない細さ。それはどこか、出産に向かない体型へのこだわりを持ち続けてきたことの反映にも思えた。

 とはいえ、彼女のような人は今どき珍しくはない。そもそも、美魔女しかり、海外のモデルや女優しかり、日本のキャバクラ嬢しかり、もてはやされるのは旧来の女性らしさとされてきた豊満さとは縁遠いスレンダー体型だ。その風潮への批判はあっても、価値観の逆転にはいたらず、一方、男性のほうでもたくましさのような古い美意識はすたれつつある。男女ともに中性化することをよしとしているのが、現代の多数的感覚なのである。

 それゆえ、中性的スタンスをとる有名人のなかにも、性の揺らぎと過激ダイエットの親和性を体現する人がいる。はるな愛は昔、食べ吐きで痩せたことがあると明かしたし、マツコ・デラックスもこんな発言をしていた。

「ホントにお勧めしないから、絶対やっちゃダメよ。あのね、吐いてたのよ。だから私、それのリバウンドでよけい太っちゃって、今に至るんですよ。ダイエットなんて、軽々しくやっちゃダメ!」(「人生が変わる1分間の深イイ話」日本テレビ)

 これにより、1年間で140キロから70キロに減らしたというから、さすがにスケールが違う。この人たちは心身の葛藤も、苛酷なものがあるのだろう。

 中性化、あるいは無性化を志向して過激ダイエットに走る場合、そこには過去や現在、未来の自分を否定する感覚が潜んでいたりする。

それは「死にたい」とか「消えたい」といった衝動とも隣り合わせだ。かといって、それは容易に実現しないから、だったらいっそ、代わりに世界のほうが滅べばいいのにと妄想したりもする。拒食経験のある作家・倉橋由美子は同時期の別々のエッセイの末尾にこう記した。

「完全に消滅すること、これがわたしの最大の希望です」「人間の消滅を夢みるのはじつに愉しいものです」

 現代における痩せ願望には、こうした気分も潜在しているのである。人類を滅亡させるのは、核戦争ではなく、ダイエットかもしれない。

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