皆さんこんにちは! 茨城県でヨガのインストラクターの傍ら、新米猟師をしているNozomiです!
さて、前回は、初めて獲物を捕った日の事、そして命のやりとりについて綴らせて頂きましたね。今回は、私の初めての解体、そして何故私が自ら進んで解体を行うのか、その理由や想いについて綴らせて頂きます。
初めて獲物を捕ったあの日、私たちはやっとの思いで80キロ近くのイノシシを山から運び出し、そしておばぁちゃんの家に運びました。立派な解体施設なんて私達にはありません。おばぁちゃん家の庭先を借りて解体することにしました。今現在、私にはとても優しく頼りになるお師匠が居ますが、当時はまだ出会っていません。私はインターネットで買った2000円のナイフを一本握りしめて解体に挑みました。私の手は震えていました。YouTubeや本で勉強していたつもりでしたが、実際に何時間か前までには確かに生きて、ひとつの命だったものです。この手でナイフを入れる事にはとても罪悪感や抵抗がありました。自分で行動しておいて……、と言われるかもしれません。でも、ごめんね、という気持ちもありました。はじめての獲物を前にした私には葛藤、そしていろいろな感情が沸いていました。
仲間の中で体格が一回り小さく力も弱い私は、フィールド、特に止め差しや運び出しの時、足手まといになり、あまり役に立ちません。私は、役に立てないことを嘆くよりも、私にできるコトを探していきたい。そして、なによりも、これ(解体)ができなければ、目の前のこの命を無駄にしてしまいます。
覚悟を決めて、私は獲物にナイフを入れました。

経験したことがある方なら、解っていただけると思いますが……本やインターネットでかじっただけの解体知識だけでは、初めての解体はうまくいきません……! 県の主催する無料の解体セミナーにも参加していましたが、私がセミナーで実際捌いた獲物は10キロ。80キロ超えの獲物とモノが違います。向きを変えるだけでも一苦労です。獲物の大きさもありましたが2時間かかってようやく皮を剥ぐことができました。

この時点で私の息は上がり、全身バキバキ、汗だくの状態でした。
何故、私が解体をするのか。答えは至ってシンプルです。解体作業は命を私に繋ぐための過程にすぎません。解体ができなければ《害獣駆除》という私の都合で失われた獲物の命の無駄遣いになってしまいます。解体を初めて行った日、とても不思議な感覚を覚えました。目の前の“命”が過程を経るたびに“お肉”へと変わっていく。
正直、狩猟をする前の私は、スーパーのお肉を見ても、何も感じませんでした。今は違います。白いトレーに詰まったこのお肉は確かに一つの“命”だったのです。
【ジビエの肉は美味しい!決め手は解体。】
さて! 皆さんはジビエ肉にどんなイメージがありますか?(=゚ω゚)
硬い?
くさい?
私はジビエ肉は独特の臭みと風味がするものだと思っていました。でも、違うんです! 私の出会った解体をする猟師さんたち全員が、うまい肉になる決め手は放血(血抜き)の速さと解体だと教えてくれました。山で捕った獲物は止め差しをしてから急いで引き出し、解体するにしてもひとりで数時間はかかります。
考えてみれば、スーパーに並ぶお肉はどこかで一括に管理されていて、時期が来れば屠畜場に運ばれ、整った設備の中で速やかに業務として屠殺、放血、解体、冷凍処理されるわけですから臭みがなく新鮮な状態を保てるんですね。
今回私の初めての解体では獲物がすでに絶命していたので放血ができませんでした・・・。生命活動を停止した獲物の血液は循環が止まりどんどん腐っていきます。
頂いた命を美味しく食べる為には丁寧かつ素早く解体作業を行わなければなりません。
とても難しく大変な作業ですが、経験を積んでいくしかありません。また解体技術もさることながら、獲物の筋肉の付き方や、内臓の位置、オス・メス、こども・成獣の違いも勉強していかなければなりません。一歩ずつでいいんです、少しずつ前に進もう、私はそう決めました。初めて自分で捕って自分で捌いたお肉の味、そして命の重さは私は一生忘れません。
【終わりに】
今回は、私の初めての解体、そして何故、私が解体をするのかを綴らせていただきました。次回は、解体の種類や保存方法、ジビエ肉を食べるときの注意点(リスク管理)について。そしてジビエ肉の流通に関する法律についても綴らせて頂こうと思います。この連載を通して私の、私たちの想いが、少しでも誰かに繋がり、そして何かのお役に立てれば幸いです。