日本であれ、韓国であれ、いずれの国の芸能界もその社会の縮図であり、特殊性を持っているから、この角度からのアプローチも必要だと思える。
本稿では、韓流アイドルの育成をテーマにしつつ、日本社会との関係性を紐解いていく。(『韓流アイドルの深い闇』著/金山 勲より)■ドラマから音楽へ
日本を除いたアジア各国でのK–POP人気は、1990年代後半からであった。
まず、中国語圏で韓流ドラマが人気を呼び、甘い恋愛物語が女性中心に広がり、東南アジア各国でもその国の言語に吹き替えられて浸透していった。
当時、東南アジア各国では長い内戦も終わり、社会がようやく落ち着きを取り戻し始めた頃だ。経済的にも豊かになり、女性の社会進出も増えていった時代である。
私も仕事でタイやマレーシアに出張する機会があったが、レストランやホテルのロビーにあるテレビの前に女性たちが集まり、韓流ドラマを熱心に見ている光景を見かけることが多かった。
私は2000年に、ある番組取材でタイに出張した。その時タイの芸能事務所にいた若いタイ女性事務員の一人が、韓流ドラマの背景が美しいことや、美しい景色の中で展開する恋愛ストーリーのロマンティックな流れのことを興奮して話し、給料を貯めてカラーテレビを手に入れ、韓流ドラマを見たいと目を輝かせていた。
アジア各国で韓流ドラマに火が付き、そこから韓国歌謡ブームが生まれるが、この時点ではまだK–POPという呼び名は無かったと思う。
その後、日本でも2003年にテレビドラマ『冬のソナタ』が始まって、韓流ブームが巻き起こると、日本に輸出された韓流ドラマのオリジナルサウンドトラックを歌っている歌手の人気も高まって行った。
この流れの中で日本で大人気となったのが東方神起だ。
韓国の最大手芸能事務所の一つSMエンタテインメント社が、日本のエイベックス社と業務提携をして、自社に所属する韓国人アイドルグループの東方神起を日本の市場で売り出した。
『冬のソナタ』の大ヒット以来、大量の韓国ドラマが日本で放映され、それに伴って主題歌と韓国人俳優たちの詳細な情報などが、日本のジャーナリズムを含む幅広いエンターテイメントシーンで広がって行った。
新聞のラテ欄(ラジオ・テレビの番組表欄)を開くと、NHKをはじめテレビ局は軒並み、朝からさまざまなシチュエーションの韓流ドラマの名前が挙がっていた。
当時のテレビ局の考えは単純で、「安く買えて視聴率を稼ぐ」おいしいコンテンツだったのだ。
私のような現場の人間も、韓国物の企画を立てればほぼOKが出た。韓流スターだけではなく、韓国の旅やグルメの取材もあり、頻繁に韓国に渡った。
どの局も考えることは一緒で、同じ場所に数社の取材陣が殺到し、話し合いで取材の順番を決めることもあった。
その結果、撮影された映像は各局ほぼ同じで、あまり変わり映えのないものになった。それでも日本から取材陣が押しかけていったものだ。
日本で韓流ブームが起こったことで、2005年頃から日本をビジネスチャンスとする韓国人アイドルグループが急速に増えていった。
アメリカやヨーロッパなどにもK–POPは輸出され、中でもPSYが始めた「江
南スタイル」と呼ばれる新感覚のパフォーマンスが世界的に大ヒットした。
シンセサイザーとシーケンサーを使って、踊らせることを目的に造られたEDMと呼ばれる先進的な音楽性を取り入れつつ、乗馬ダンスと称する独特のダンスをウェブサイトで押し出し、社会的なブームになった。
アジア発の楽曲が、アメリカのビルボード・ホット100で2位以内にランクインしたのは、坂本九の『上を向いて歩こう』以来で、史上2番目の快挙となったのだ
■国際市場を狙った輸出商品づくり「江南スタイル」に象徴されるように、海外市場を意識した楽曲作りや、プロモーションが始まったのはなぜだろうか?
結論を言えば、音楽市場を含む韓国国内の市場が狭いからである。
K–POPが世界的な展開を本格化させていた2010年前後の韓国の市場の現状を
見るとよくわかる。
2010年のデータでは、韓国の人口は約4850万人。GDPは1兆145億ド
ル、1人当たりのGDPは2万756ドルだ。当時の日本では、GDPは5兆4 9 8 7
億ドル、1人当たりのGDPは4万2782ドルである。韓国の経済力と市場がいかに
狭く小さいかがわかる。
国内の市場が狭いことはおのずから限界があり、努力に努力を重ねて大ヒットを飛ばしても、ビジネスとして韓国国内では、海外市場と比べものにならない。
国際レコード・ビデオ制作者連盟の2011年の資料では、音楽市場が最大の国はアメリカで41億6800万ドル、次いで日本が39億5900万ドル。以下ドイツ、イギリス、フランスと続き、韓国は12位で1億7800万ドルである。韓国の音楽市場規模は日本の30分の1しかないのだ。
音楽の売り上げ上位20カ国での、1人当たりの売上額では、世界2位の日本に比べる22と約10分の1にしか過ぎなかった。
こうした現状から見ても、日本の市場や大衆アイドル文化の発展途上国である東南アジア市場に、活路を見出そうとするのはごく自然の流れだろう。
2008年9月のリーマンショック以降、韓国の通貨ウォンは、1997年のアジア
通貨危機以来の安値まで暴落していた。
韓国政府は、この国家的経済危機から脱出するために、新たな経済成長エンジンとしてK–POPを含むコンテンツ産業の有効性を認め、国家戦略としてコンテンツの輸出を推進する方針を固めた。
韓国ショービジネス界が、日本に進出した大きな動機は、日本市場を攻略することが、結果的には利益になったからだ。
韓国は、1998~2003年の金大中大統領時代から文化産業の経済的重要性を
認識し、政策の一環として支援して来た。戦後間もなくは日本の大衆文化の輸入が禁止されていたが、それを開放したのは金大中大統領である。
2007年には、中小企業のコンテンツ分野の海外進出に対するコンサルティング費用を、最大80パーセントまで政府が負担することを決定。2008年からは、毎月グローバルに活躍できる可能性がある新鋭アーティストを選び、地上波テレビやその他の活動を集中支援するという事業を開始した。
2010年には、音楽、ドラマ、映画、アニメーション、ゲームなどの、韓流コンテンツ事業の支援に2000億ウォン(約200億円)を投入した。
この数字は、文化関連予算の17・25パーセントに相当するものである。その結果、2010年のコンテンツ総輸出額は3兆ウォン(約3000億円)にも達した。
こうした政府のバックアップのおかげで、韓国の音楽事務所は莫大な投資が必要な海外進出が可能となったのだ。
しかも、ウォン安での相当に厳しい状況の中で、芸能事務所は政府絡みの資金援助を受けることができ、リスクも少なくなった。
K–POPは韓国政府にとって、経済成長戦略の重要な要素となっている。だが、そのことによって、業界内のみならず、さまざまな利権が絡んで弊害も多くなってきたといえるだろう。