私たちは美容のプロ、「美の職人」だと自負していますが、人間ですから失敗がまったくないわけではございません。
うちの美容室のスタッフの多くがお叱りを受けたことがあるという、とあるお客さまがいらっしゃいます。お若い頃は海外を飛び回り、生き馬の目を抜くようなお仕事をされていたと伺っており、英語もペラペラで、まさに才媛といった方です。
このお客さまがお越しになったとき、こんなことがありました。
スタッフがシャンプーに入る時、「シャンプーをお手伝いさせていただきます」と申し上げました。スタッフは、決まり文句のつもりで言ったようなのですが、そのお客さまは、「あなたがシャンプーなさるんでしょ? 私がシャンプーをするわけじゃないわよね」と、至極当然なご指摘をされました。
スタッフの物言いが気になっても、聞き流してしまう方もいらっしゃいます。そこをしっかり指摘して立ち居振る舞いや言葉づかいの細かいことまで、徹底的に教えてくださいます。もちろんヘアセットに関しても、ご自分の好みでなければしっかりご指摘くださいます。しっくりしないサービスを「そんなものか」と流して受け入れてしまうと、いつまで経っても好みが伝わらず、ずっと満足されないままです。
このお客さまのように細かく指摘していただくことで、お互いにとって良い緊張感が生まれ、こちらもより上質なサービスをさせていただくことができるのです。
本来は私たちが気づかなければいけないことまでご指摘いただくこともございますし、お客さまを煩わせてしまいますので、とても申し訳なく思うのですが、私たちを育てようというお気持ちが伝わりますので、本当にありがたく思っております。
与儀美容室にいらっしゃるお客さまの中には、国内にほんのひと握りしかいない上流階級と言っても差し支えない方もいらっしゃいます。そして、そういった方ほど、丁寧に人と向き合われているように感じます。
たとえば、お着付けにいらっしゃるときに、いつも紐の一本一本にいたるまでピシッとアイロンをかけてお持ちになる奥さまは、スタッフに気遣いの言葉をかけられたり尊敬できるような立ち居振る舞いをされます。
もちろん、お手伝いさんがいらっしる方もいますので、すべてご自分でされていらっしゃらないかもしれません。けれども、その場で私たちがアイロンをかける手間や着付けの仕上がりの差を想像してお手伝いさんに「紐まできっちりアイロンをかけてね」と、ひと言おっしゃられるお気持ちがありがたいのです。
毎週お越しになるあるお客さまは、三ヶ月に一度パーマをおかけになるたび、パーマ中にスタッフが食事を取れないことを気遣って、スタッフに軽食をお持ちくださいます。有名店のシュークリーム、ケーキ、お寿司の折り詰め、お漬物などなど。手でつまめるものを中心に、スタッフ全員分、たっぷりお持ちくださるのです。
私たちのような裏方の食事にご配慮いただけるだけでも涙が出そうなくらいありがたいことなのですが、このお客さまはそれを数度と言わず、もう何十年も続けてくださっています。
続けてくだっているということが、私たちを心から思ってくださっている証のように思え、そのお気持ちに応えなければといつも気を引き締めて仕事に臨ませていただいております。
そのお人柄ゆえでしょう。このお客さまの100歳の誕生日パーティーには、著名人・政治家など、300人以上がホテルオークラ東京に集まりました。
長年通っていただいているある奥さまのお振る舞いも、温かいお気遣いを感じさせるものです。どなたもご存知の、ある大企業のトップの方の奥さまなのですが、着付けでいらっしゃる時はいつも大きな風呂敷包みをご自身で抱えていらっしゃいます。
当然、入り口でオークラのベルボーイがお持ちしようとするのですが、「私はこれくらい運動した方がいい」と、ニコニコとおっしゃって、二階の美容室までご自分で運ばれます。
その奥さまが出席されるような結婚式は大変豪華でVIPも数多く出席されますから、指名の多い母が汗だくで廊下を走り回っても、なかなか順番が回らずお待たせしてしまうこともあります。そんな時、奥さまは怒ることなく、「先生、お疲れでしょ? 今日は私、先生じゃなくてもいいわよ」と、母を気遣う言葉すらかけてくださるのです。申し訳なさとありがたさに涙が出てしまうほどでした。
このように、私どもの美容室には、本当にさまざまな立場のお客さまがいらっしゃいますが、立場が上であればあるほど、相手の立場の上下にかかわらず誠実に接される方が多いように感じます。
母が96歳になられる三笠宮妃百合子殿下とお話をさせていただいていた時のこと。宮中のことで分からないことがありお尋ねすると、翌週お出ましになった時にはお調べいただいたことを小さなメモにびっしりと書いてお持ちくださいました。妃殿下が、母のような、いち美容師に対してそこまでしてくださるなど思いもよらぬこと。
また、こんなこともございました。妃殿下と同じ時間にいらっしゃる学生時代のお友達がいらっしゃいます。妃殿下と同じく90代でいらっしゃるのですが、かならずイヤリングとネックレスとブローチをお洋服のお色にしっかりと合わせて、大変おしゃれな装いでお越しになります。
ご挨拶を済まされた後、妃殿下が母に「あの方はいつもイヤリングをきちんと揃えていらっしゃるわね。」とおっしゃいました。
「左様でいらっしゃいますね。いつもお考えになってらっしゃいますね」と母がお答えしますと、妃殿下は大変感心したご様子で、「お見習いしなければいけないわね」とおっしゃったそうです。
華族としてお生まれになり、現在は皇族最年長でいらっしゃる百合子妃殿下の、他の方を「お見習いしなければいけない」という姿勢を知った母は、その誠実なお話ぶりに心から驚き、ますます尊敬の念を強くしたと申します。
人によって態度を変えたり、礼儀を欠いたりするのは美しいものではありません。一番大切なのは、どなたにも誠実であること。そういったことを、妃殿下をはじめ、お客さま方を通じて学ばせていただきました。