今までいろいろと仕事をしてきた中でも、母が思い出深い仕事のひとつと語るのが、今上天皇と雅子妃殿下の結婚の儀のお支度の際のことです。中継していたNHKの視聴率が30%を超えるという、かつてない熱狂で迎えられた御婚儀でございました。今回は、その時のお話をさせていただきたいと思います。
空前のブームになった雅子さまのロイヤルウェディングのお支度ですが、私たちにお声がけいただいたのは、平成5年4月のこと。御婚儀まで2ヶ月をきったタイミングでした。
1月の段階ではすでに「与儀さんにお願いしよう」というお話になっていたそうなのですが、私たちにお伝えいただくまで時間がかかったのは、当時まだ現場で現役だった祖母が「張り切って体調を崩さないように」とお気遣いいただいてのことだったそうです。
たしかに研究熱心な祖母のことですから、事前に分かっていたら根を詰めて、また倒れていたに違いありません。
もちろん私たちも、報道で御婚儀があることは存じあげておりましたが、すでに他の美容室が担当されると決まっているのだろうと思い込んでいたのです。ですから、正式にご依頼いただいた時は本当に驚きました。
当日までに雅子さまにお会いできる機会は、ファッションデザイナーの森英恵先生のところでドレスの試着をされる時と、リハーサルの時の2回だけしかありませんでした。そのため祖母と母は、雑誌や新聞から雅子さまのありとあらゆる写真を集め、お顔立ちや耳の位置などを確認し、どんなスタイルが似合うのかを検討させていただいておりました。
サイドのラインをほんのちょっとお耳にかけると上品になるのではないか、ティアラをつけるので目元は少し強調した方が良いのではないか、といった技術的なポイントなどをこと細かく考えていくのです。
そうして練りに練った末にデザイン画を描き、打ち合わせを経て、スタイルが決まったらあとは本番に向けてひたすら練習を繰り返します。練習台になったのは、僭越ながら当時髪が長かった高校生の私でした。
何しろ、当日に現場に入ることができる人数はわずか3名。おすべらかしになった御髪を洗って鬢付け油を落とし、その濡れた髪を乾かしアップスタイルにしてティアラをつけメイクをする、というところまでで時間は1時間半しかありません。
また、皇室の方の御婚儀には、気を配ることが山のようにございます。たとえば海外ではティアラでお辞儀をすることはありませんが、日本では天皇陛下に最敬礼をなさいます。45度ほど頭を傾けるのですから、深く礼をされてもティアラが落ちない工夫が必要なのです。
さらに屋外を30分以上オープンカーで走るパレード中はお直しができませんから、風や雨で一切崩れないようにセットさせていただかなければいけません。祖母も母も、それをサポートする私も、緊張の日々が続きました。
こうして迎えた6月9日。前日からの雨はまだ降り続いていました。
雨が降り止まない空を見上げて母は「パレードは中止かもしれない」と思ったそうです。
おふたりは皇居で朝見の儀に臨まれた後、車寄せからオープンカーにお乗りになって赤坂の東宮仮御所までの4.2キロをパレードし、国民の祝福を受けることになっていました。しかし、朝見の儀が終わる頃になっても、まだ雨は止みません。
雨に濡れたら御髪はどうなるのだろう、オープンカーでなかったら沿道のみなさんにどう見えるのだろうと、母は気が気でなかったそうです。
16時43分、朝見の儀を終えたおふたりが車寄せにお越しになりました。母が祈るように空を見上げた時のことです。重い雲がサッとかき消え、ティアラをのせた妃殿下の髪に明るい光が差し込みました。そのお姿の神々しさに母はハッと息を飲んだと言います。
御所の空気はいつも特別な神聖さがあるのですが、この時は格別に空気が澄んでいて、神秘的な力を感じたそうです。笑顔のおふたりを乗せたオープンカーが滑り出し、沿道に詰めかけた19万人がそのお姿に歓声をあげたのでした。
婚約内定前からずっと雅子さまを追い続けてきた「雅子さま番」の記者の方が母のところにお越しになって、「今まで見た雅子さまの中で一番美しかった。人をこんな輝かせる仕事があるのですね」と言ってくださったそうです。
実際、沿道に笑顔で手を振られた雅子さまのヘアスタイルやメイクは、どの角度から見ても品良く美しく見えると、多くの方から絶賛していただきました。
「あの仕事は私がやりました」と言いたがらない母ですが、昨年ご成婚25周年を記念した日本テレビの番組『皇室日記』には、私と一緒に出演させていただきました。常に裏方に徹する母にとっても、後年語りたくなるほど晴れがましい記憶なのではないかと思います。
皇室の方のお支度やノーベル賞の授賞式といった晴れがましいお仕事のお話を少し書かせていただきました。仕事をしていれば葛藤することもありますし、力不足でお叱りを受けることもあります。ですが、それを糧にしながら、お客さまのために毎日努力を続ける。そんな日々の仕事の積み重ねが、このような華々しいお仕事につながっているのではないかと思うのです。