舟饅頭は、隅田川などに浮かべた舟に男を呼び込み、性のサービスを提供する私娼である。
江戸市中の見聞を記した『巷街贅説』(塵哉翁著)に、辻君(夜鷹)について記したあと――
寛政の末享和の頃まで、舟饅頭と云しもの有、小き船に苫かけて河岸々々に漕寄つゝあやしき声して客をよぶ辻君のたぐひにして、劣たるものとぞ、今は絶てきかず。
とあり、舟饅頭は夜鷹(よたか)と同じ、低級なセックスワーカーとしている。
写真を拡大 図1『盲文画話』、国会図書館蔵図1で、舟饅頭の風俗がわかろう。
舟に屋根が作られているが、これが苫(とま)である。苫屋根をかけた舟を、苫舟とも呼んだ。
岸辺に苫舟を寄せて、道行く男に声をかけ、舟に呼び込んだ。性行為をするのはもちろん舟のなかである。
苫の下には、粗末な布団が敷いてあったのであろう。
図1では、女が火鉢の前で股をひろげ、いわゆる股火鉢をしている。寒い時季、川の上は冷たい風が吹き抜けるだけに、火鉢は必須の備品だった。
戯作『太平楽巻物』(天竺老人著、安永年間)で、お千代という舟饅頭が登場する。
舟に乗り移った男がお千代の器量がよいのを見て、遊里の遊女か芸者になるのを勧めたところ――
「わしらが舟の重宝は、あれみなさえ。苫の脇の四角に空いたところから、おいどを川へ突き出して、しゃしゃっとはじく気散じ。
と、お千代が啖呵(たんか)を切った。
舟から尻を突き出して、川に小便をする。そのあと、川の水で手も洗う。
食材を舟に積んだ「うろうろ舟」や、二六(十二文)で蕎麦を食べさせる舟などが毎晩、寄って来るので、それを利用すれば、わざわざ陸にあがらなくても食事には困らない。
また、揚代(料金)は三十二文だが、客のなかには祝儀も含めて五十、六十、ときには百文を置いていく者もいる、と。
遊里の遊女や芸者に比べ、舟饅頭のほうがよっぽど気楽な暮らしだよ、というわけである。
だが、舟饅頭の一種の強がりと誇張といってよかろう。
つまりは、食事も排泄もすべて舟ですませる、いわば水上生活者だった。入浴はせず、せいぜい川の水で体を拭くぐらいだったであろう。
なお、舟饅頭の揚代が三十二文だったのがわかる。

図2は、安永年間(1772~81)の舟饅頭の風俗と見てよい。
(続く)