長男である夫(ピエロの父)の子、孫(陽くん)を楽しみにしてくれていた、お義父さん、お義母さん。 実家に遊びに行くと、私(ピエロの母)の身体を常に気遣ってくれて、 「きれいな目の子が産まれるように【註】」と、アワビも食べさせてくれた(【註】東海地方に残る風習)。
本当に楽しみにしてくれているのが、とてもよく伝わっていた。だからこそ会わせる顔がなかった。どんな顔をして会えば良いのか、わからなかった。
ごめんなさい。
私のせいで、ごめんなさい。
出産後すぐの陽の姿をみて、お義母さんたちのことを想うと、辛かった。
ひたすら自分を責めた。
お義母さんたちが陽に面会できる日は、まだまだ先になるだろう。最悪の場合もある。
あぁ、ほんとなら今頃、皆で陽を囲み、「夫に似てるかな」「私かな」と、盛り上がって話していたのかな。 明るく眩しい未来を想像して、お喋りに花を咲かせていたのかな。私がすべて壊した。
「私のせいでごめんなさい」。障害を持つ我が子から授けられたのは「ママ、自分を責めないで!」という愛情だったのかもしれません(写真は、イメージです)
陽、ごめんね。みんな、ごめんなさい。
そんな考えしかできなかった。
◆◆陽くんが運んでくれた奇跡
ところが夫とお義母さんの電話でのやりとりに私は涙が止まらなかった。
私の心配をしてくれ、「同じ母親として辛さが分かるから」と話してくれていた。そして、お義姉さんも、陽はもちろん、私のことまで想い、涙を流してくれていた。誰一人として、私を責める人はいなかった。
唯一、私を責めていたのは、私自身だった。
私は家族に恵まれていた。夫のもとに嫁ぐことが出来て、本当に良かった。お義父さん、お義母さん、ありがとう。こんな私を嫁として迎えてくれて、ありがとう。
今だから思うことができる。陽のおかげで、大切なことに気づくことができた。これからもすずっとずっと、大切にしていかなければならないことを、陽はいつも教えてくれる。陽、ありがとう。
いつしか「陽、ごめんね」よりも 「陽、ありがとう。みんな、ありがとう」と想うことの方が多くなってきていた。
これも、陽が運んでくれた奇跡だね。
(『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より構成)