101作目の朝ドラ「スカーレット」が好評だ。前作「なつぞら」のような派手さはないが、ヒロイン・戸田恵梨香を中心に、バランスのいい作品に仕上がっている。
そんな「スカーレット」の助演を渋くこなしているのが母親役の富田靖子だ。北村一輝扮する父親が、けっこうなダメ男なので、その明るく尽くす姿が絶妙な中和剤になっている。そして、彼女のこれまでの女優人生もまた、苦労の多いものだったことがしみじみと思い出されるのだ。
彼女は83年に映画「アイコ十六歳」で主演デビュー。約12万7千人のなかからオーディションで選ばれ、これ以上ないスタートを切った。翌年、2作目の映画の前にはこんな初々しい発言をしている。
「でも、まだ私女優といっても、本当にタマゴだとつくづく思いますねえ。だって、女優の吉永小百合さんって、今日初めて知ったんですもの」(「ボム!」84年6月号)
しかし、この映画「ときめき海岸物語」は相手役の鶴見辰吾が大麻で逮捕され、途中で打ち切り。4年後の連ドラ「疑惑の家族」も相手役の木村一八の暴行事件により、途中で打ち切りになった。
92年には、車を運転中に接触事故を起こし、同乗していた筧利夫との交際が発覚。その3年後、映画「南京の基督」でヘアヌードを披露したものの、このイメチェンは大成功とはいかなかった。
そんな富田と同じオーディションで世に出たのが、松下由樹だ。こちらも現在、連ドラの「G線上のあなたと私」に出演中。波瑠と中川大志が扮する若者ふたりとともに、不思議な友情を育む中年の主婦を自然に演じて、物語に説得力を持たせている。
ただ、36年前のデビュー作「アイコ十六歳」でもらえた役は、ヒロインの友人のひとり。富田はこの映画のイメージソング「オレンジ色の絵葉書」も担当したが、松下はそのB面に収録された「夢少女」を友人役5人で一緒に歌った。レコードジャケットには富田がひとりで写り、松下は富田を含めた6人の集合写真というかたちで歌詞カードの隅っこにいる。
その後、米国へのダンス留学を経て、富田と同じアミューズに所属し、本格的に女優活動を開始。連ドラ「オイシーのが好き!」や「想い出にかわるまで」で注目され、96年に始まった「ナースのお仕事」シリーズが大当たりした。また、バラエティ「ココリコミラクルタイプ」でコントにも器用さを見せ、フジパンのCMなどでも親しまれていく。
とまあ、ある時期からオーディションでの立場が逆転してしまったかのようだが、こちらも苦い経験を味わってもいる。
以来、浮いた噂はなく、昨年は「ダウンタウンなう」で結婚について「願望があまりない」と語ったりした。51歳という年齢からして、妻はともかく、母となることはなさそうだ。
そしてもうひとり「アイコ十六歳」で華々しく登場した人がいる。これが初の商業映画監督作となった今関あきよしだ。自主映画で認められ、大林宣彦の紹介でこの作品を撮った。
その後、持田真樹主演の映画「すももももも」や「モーニング刑事。抱いてHOLD ON ME!」をはじめとするハロー!プロジェクト系アイドルの映画・ドラマなどで、少女ビジュアルの名手としての実績を重ねていく。さらに、チェルノブイリをテーマにした社会派作品にも取り組んだが、その発表を目前にした04年、児童買春などで二度逮捕され、懲役の実刑に服した。復帰を果たしたのは、11年のことだ。
最新作「Memories」については、こんな発言をしている。
「この映画はひとりの少女の命の終焉と誕生を描いた物語。同時に監督である僕自身の『闇』についての映画でもある」(「CINEMATOPICS」18年12月3日)
折りしも、12月7日には横浜で「アイコ十六歳」のメイキングムービー「グッバイ夏のうさぎ」の上映が行なわれ、前売り完売という盛況だった。この映画は当時から本編以上に推す人もいて、今関と少女たちとのリアルな対峙っぷりが圧巻である。
個人的には、まだ15歳だった富田を取材した際、このメイキングでのやりとりについて聞いたのを思い出す。いきなりの主演デビューに葛藤し、思いのたけを泣きながら監督にぶつけたことについて、彼女はこう振り返った。
「だからあの時、取材がイヤだって言ったのもホントですし、CMがイヤだ、私はアイコじゃないって言ったのも、きっとあの時ホントにそう思ったから言ったと思うんですけど、あれを映画館で観た時、私はなんて甘いんだって思いましたから」(「よい子の歌謡曲」85年3月号)
このときから30年以上がたち、主役だった少女も脇役だった少女も、味のあるアラフィフ女優となった。そんな変化を愛でるのも、芸能の醍醐味だ。
たとえば「スカーレット」では、ヒロインの末妹を年代別に演じる稲垣来泉、住田萌乃、福田麻由子の豪華リレーが子役マニア的にたまらなかったりする。現実とフィクションのあいだで、それぞれのメタモルフォーゼを見届けていく愉しさ。やはり、ドラマも映画も舞台もなるべく長く多く見たほうが得なのだ。