なぜ、地震でこれほど多くの人が「窒息」で命を絶たれるのか。私たちは、その謎を解 く貴重な手がかりを持つ人物に会うことができた。徳島大学医学部で、法医学を専門とする西村明儒(にしむら・あきよし)教授。阪神・淡路大震災が発生した当日に、神戸市で当直監察医を担当していたという経験を持つ。地震発生の直後から、各地の遺体安置所や病院を回り200人以上の遺体を検案した。
西村教授は、窒息で亡くなった人をみるうち、ある共通の特徴に気づいたという。
「遺体をみると、骨も折れていないし、臓器損傷もない方がほとんどだったんです。震災当時は、法医学を専門にして10年目の頃で、あれほど一度に多くの遺体をみた災害は初めてでしたが、きれいな状態の遺体が多くて、それがかえって気の毒に感じられたのが強く印象に残っています」
西村教授によると、窒息死の遺体には目立った損傷がほぼなかったという。
一方で、西村教授は、窒息で亡くなった人の大半には、衣服の下の肌にある異変があったと明かす。胴に白く変色している部分が胴に帯状にあったのだ。通常、遺体は、鬱血のため体全体が紫色になることが多いが、それだけに 白い変色は目立っていた。西村教授によると、その変色は何かに強く押された跡だという。(【図1】参照)
窒息死した人の多くは、肋骨が折れることなく、臓器損傷も見られなかった。何かに押されたように「白く」変色していたのが特徴だった
「例えば、指でぎゅっとつまんで押さえると、そこが白くなるのと同じ原理です。窒息死の方の遺体をみると、特に胸や腹の上に、同じような白い変色の痕が残っていました」
なぜ、それが窒息と結びつくのか。理由は、人の呼吸の仕組みと密接に関係していた。
通常、人は、肺の下にあって腹と胸の境にある横隔膜が動いたり、胸全体がふくらんだり縮んだりすることで、酸素を取り入れ呼吸している。
「“外傷性窒息(がいしょうせいちっそく)”と呼ばれるメカニズムです。鼻や口が塞がれる窒息を“気道閉塞性窒息”といいますが、それとは別に、胸や腹の上に圧迫が加われば、口や鼻が空いていても呼吸はできなくなるんです。 阪神・淡路大震災では、この外傷性窒息が多くの人の命を奪う原因となりました」◆「当たりどころ」次第で生死の運命が決まる「怖さ」
西村教授は、外傷性窒息が起こるメカニズムには 特有の「怖さ」があると指摘する。それは、体の上に落ちてきたもの(柱、梁、家具など)が、足や腕の上に載りかかるか、それとも、胸や腹の上に載るか、まさに「当たりどころ」次第で生死の運命が決まるということだ。
通常、横隔膜や胸が動くことで呼吸が行われるが、柱や梁が腹や胸に載ることでその動きが 止められ、呼吸ができなくなる。これを外傷性窒息という
「足に当たったら骨折で済むものでも、それが胸や腹に載るとたちまち呼吸ができなくなって、命を落とすことがあります。自分でコントロールできない偶然に左右されてしまう、それが外傷性窒息の恐ろしさです」
そして、西村教授が、阪神・淡路大震災で思い知ったことがあるという。想像以上に重くないものでも、外傷性窒息を引き起こし致命的になる危険があるということだ。
「若くて骨が丈夫な人はもちろん、お年寄りでも肋骨さえ折れていないのに窒息死している方がたくさんいたんです。骨が折れないような程度の圧迫でも息ができんようになるんや、ということを実感させられました」
具体的にどれくらいの重さなら何分耐えて窒息死に至るのか。海外の動物実験や過去に起きた事故の実例などから、西村教授は、あくまで推測として個人差はあるが「自分の体重の2倍までの重さなら窒息はほとんど起きない。
一方で、窒息に至るまである程度の時間があるなら、その間に多くの人を助けられたのではという考え方は大都市の震災の実態を考えると現実的ではないと西村教授は強調する。
「外傷性窒息で亡くなる場合には、最大でも1時間以内で何とか助け出せなかったら死んでしまうということになります。でも、その1時間以内でというのは現実問題、非常に難しいわけです。大震災では、外傷性窒息が広範囲で多数起こるわけですから、何千人もの人が家の下敷きになっている中で、同時に救い出すことは不可能だと考えるべきだと思い ます。結局、耐震補強など、事前の備えが、何より重要です」
(『震度7 何が生死を分けたのか』より構成)