元祖リバータリアンであるアイン・ランド研究の日本の第一人者として知られる藤森かよこ氏(福山市立大学名誉教授)が上梓した『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』(KKベストセラーズ)がベストセラーに。
現代女性のために本音で語った「生き方論」である。著者・藤森氏は今回、最近隆盛の毒親漫画に見られる性的虐待などの「毒親問題」について考察した。そこから見えてくるのは、古代から変わらぬ「人間の本性」であり、「家庭や家族」という密室空間における危険性であった……。◆実際は世界はいい方向に進んでいるけれども・・・

 暗いニュースばかりが報道され、世界はどんどん劣化衰退しているように見える。しかし、実際のところは犯罪も貧困も減っている。自然災害による死亡者の数も減っている。女性が教育を受ける機会も増えている。つまり、世界は良い方向に着実に進んでいる。

 ということを私に教えてくれたのは、公衆衛生医学者のハンス・ロンダリングと彼の息子夫妻の共著『FACTFULLNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(上杉周作・関美和訳、日経BP社、2019)だった。

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 2020年初頭現在、親による虐待やネグレクトによって亡くなる子どもたちに関する報道は珍しいものではなくなってしまっている。だから、私たちは、現代の家庭の機能不全化は深刻度を増していると思ってしまう。その原因は、現代という「病んだ時代」にあると思ってしまう。

 ほんとうのところは、家庭の機能不全や子ども虐待が問題になるぐらいに社会が進化したので、報道もされるようになった。報道されることによって、多くの人々が子どもの泣き声を耳にすると、近隣で子ども虐待が起きているのかもしれないと気にかけるようになり、結果として子ども虐待の報告数が増えている。

 だから、子ども虐待が報道され多くの人々が意識するようになったことは、大きく見ればいいことなのだ。

◆家庭や家族は聖域ではなく危険な密室にもなる
最近隆盛の毒親漫画に見られる性的虐待。家庭や家族に油断してはいけない理由

 家庭という密室の中で、家族という閉じられた人間関係の中で、非力無力な子どもは危険にさらされがちである。こうした空間の中では、大人はまっとうな社会性や良識を失いがちになる。

 このことは、よくよく、子どもも大人も意識しておいたほうがいい。はっきり言えば、「子どもたちよ、親相手でも油断するな」と私は言いたい。大人には、「家庭は何をやっても許される場所ではないし、家族に対して甘ったれるな」と私は言いたい。

 家庭の中では、家族の前でくらいは、気楽に好き勝手にふるまいたい? 凡人のあなたは、そこまで非常に重要な仕事などしていない。単なる賃金労働者がえらそうなこと言ってはいけない。

 

◆1990年代から可視化された毒親問題

 子ども虐待の問題が日本のメディアに初めて浮上してきたのは1990年代だった。子ども時代に機能不全家庭で育ち、親との関係で何らかのトラウマ(心的外傷)を負い、その後遺症に成人後まで苦しむ子どもを、「アダルトチルドレン」と呼ぶようになった。

最近隆盛の毒親漫画に見られる性的虐待。家庭や家族に油断してはいけない理由

 内田春菊の自伝小説『ファザーファッカー』(文藝春秋、1993)は、「アダルトチルドレン文学」としてベストセラーになった。内田の母親は、娘が夫(内田にとっては養父)から性的虐待を受けていることを見て見ぬふりをした。母親は自分の経済的安定を娘より優先させた。

 1997年にはCreate Media(今一生氏の編集者として活動する際の名称)編の『日本一醜い親への手紙』(メディアワークス、1997)が出版された。アダルトチルドレンからの親への絶縁状100通は痛切だった。

 2000年には「児童虐待の防止等に関する法律」が制定された。2007年に、この法律は改正されている。

 毒親に関する書籍は2010年代に、さらに多く出版された。スーザン フォワードの『毒親の棄て方: 娘のための自信回復マニュアル』 (羽田詩津子訳、2015)や、子ども虐待サバイバー100人の手紙を収録した『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば? 』(Create Media編, 信田さよ子&東小雪著、 2017)は、はっきりと毒親を捨てろと訴えた。

 

◆最近隆盛の毒親漫画でも目を背ける性的虐待

 最近、特に目につくのは、「毒親漫画」の隆盛だ。母親が毒親の事例だと、高嶋あがさの『母は汚屋敷住人』(実業之日本社、2015)や『母を片付けたい』(竹書房、2017)や、田房永子の『母がしんどい』(KADOKAWA、2017)がある。

 父親が毒親の事例だと、菊池真理子の『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店、2017)がある。

あらいぴろよの『虐待父がようやく死んだ』(竹書房、2019)だと、外面はいい父親が性的虐待をし、母親はそれを見て見ぬふりをする。

 菊池真理子の『毒親サバイバル』(KADOKAWA、2018)は、11人の毒親サバイバーの聞き取り漫画だ。

 毒親というのは、自分の歪みや鬱屈やコンプレックスを自覚分析できずに、それらの否定的感情を無力非力な子どもにぶつけ、子どもを支配下に置く。そうすることによって、子どもの正常な認知機能を潰し、生涯にわたって子どもの人生を食い物にする親のことだ。心は傷ついた子どものままに子どもを作ってしまった人々だ。

 しかし、子ども虐待の例で最も深刻悲惨な事例は、養育者による性的虐待だろう。義理の父親が義理の娘に対して性的虐待をする事例もあるし、実の父親が娘を強姦する例もある。

 最近隆盛の「毒親漫画」でも、さすがに実の親による性的虐待や強姦の事例を描くものは、私が知る限りはない。漫画表現といえども、直視するにはあまりにおぞましいからだろう。

◆子どもへの性的虐待や近親相姦は古代から現代まで連綿と起きてきた
最近隆盛の毒親漫画に見られる性的虐待。家庭や家族に油断してはいけない理由

 しかし「近親相姦」という言葉があるくらいだから、近親相姦は人間世界につきものだった。旧約聖書の創世記19章には、ソドムの街とゴモラの街が神の怒りによって全滅後に、ロトと娘ふたりが生き残ったのはいいものの、このままでは人類が消滅するということで、娘ふたりが父親のロトに酒を飲ませて眠らせて、父親の体にまたがり妊娠して子孫を増やしたというエピソードがある。

 このエピソードなど非常に無理があると私は思う。

これは、父親が生き残ったプレッシャーに負けて錯乱して娘たちを強姦したことを、綺麗事にして伝えているのだろう。

 

 日本の古代も近親相姦例は少なくなかった。古神道の祝詞で、6月末と12月末に唱える大祓祝詞(おおはらえのりと)には、神々にお祓いしてください清めてくださいと奏上する国津罪(くにつつみ)として「己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子を犯せる罪・子と母を犯せる罪」が「畜(けもの)犯せる罪」(獣姦)と同列に並んでいる。嘘だと思ったら、古事記や日本書紀や延喜式や風土記や万葉集など日本古代の文献を収録した大倉精神文化研究所編集の『神典』(大倉精神文化研究所、2003)の1297ページをよく読んでください。ただし、もう絶版されているかもしれないが。

 ちなみに、この部分は現代の大祓祝詞からは抜けている。神社の神主さんは、ここはすっ飛ばして奏上する。

 

 ついでに、近親相姦がテーマのノンフィクションは、ポルノ漫画も含めて非常に多種多様に出版されている。Amazonで検索してみてください。

 つい最近では、アメリカの雑誌『コスモポリタン』(Cosmopolitan)が、信仰を守るために現代文明を拒否し、17世紀の自給自足のライフスタイルを守り続けるアメリカの宗教共同体アーミッシュに子どもへの性的虐待や近親相姦がはびこってきたことを報じていた(https://www.cosmopolitan.com/lifestyle/a30284631/amish-sexual-abuse-incest-me-too/#sidepanel)。

 

 つまり、何を私が言いたいかといえば、人間というのは、特に男性の中には、近親相姦をやりかねないのが存在するし、古代からその類の人間は棲息してきたし、現代でも繁殖しているということなのだ。それだけ、人間存在というのは、ろくでもない部分を抱えている。

それだけ、人間の中には制御できないエネルギーが潜んでいる。

 

 したがって、家族だから肉親だからといって、子どもも親も油断してはいけない。特に女性は油断してはいけない。

 家庭という密室や家族という閉ざされた人間関係は、外部の目にさらされないという点において、そもそもが危険なものでもあるのだ。

 家族や家庭の神話化や美化は歴史的にいつから始まったのだろうか。頭の硬い世間向きに、このようなファンタジーを信じている顔をするのはいいが、まともな知性のある人間は、本気で家族神話を信じていてはいけない。

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