元祖リバータリアンであるアイン・ランド研究の日本の第一人者として知られる藤森かよこ氏(福山市立大学名誉教授)が上梓した『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』(KKベストセラーズ)が女性エッセイの売れ筋ランキングで1位を獲得している。
とくに子育て世代である35歳から45歳の女性の支持が厚い。そこで、報道される日がないと言っていいくらいに起きている親による子ども虐待事件。当世隆盛を極める「虐待サバイバー文学」を通して、子ども虐待事件の本質について斬り込む。■子ども虐待通告数は増加中
虐待を生き延びるだけでは十分ではない。「虐待サバイバー文学」...の画像はこちら >>

 2020年2月6日日本経済新聞夕刊によると、全国の警察が摘発した18歳未満の子どもに対する虐待事件は1957件であった。前年比で577件増加した。虐待の疑いがあるとして児童相談所に通告された18歳未満の子どもの数は9万7842人。前年比で1万7590人増えた。

 虐待事件の内訳は、暴力による身体的虐待1629件。性的虐待243件。ネグレクトは35件。通告児童数は過去5年間で約2.6倍増加している。

 

 子ども虐待事件が過去最多であること自体は、必ずしも問題ではない。

家庭という一種の閉鎖空間で起きることであるので潜在化しやすい子ども虐待問題が、外部の目にさらされることが増えたからこそ、通告数も増えている。それは、よいことなのだ。

 家庭の中でならば何をしてもいいとか、家族相手だから何をしてもいいとか、自分の子どもだから何をしてもいいと思う類の動物以下の人々に対して、社会の目があるということを知らしめることは、ある程度有効な抑止にはなる。

 あとは、子どもたちに、基礎知識として、「家庭の外にも生きていける場所はある。自分の身の安全を考えれば、三食摂取できて、学校にも通うことができる養護施設というものがある」ということを何度も伝えることだ。

 

 もちろん、人間の世の中だから、養護施設の職員の中にさえ不埒な人間がいる。ただでさえ苦労してきた子どもに性的虐待をするような類の鬼畜もいる。人間の中には鬼畜がかなり混じっていることも、子どもたちに周知徹底させておくことが必要だろう。

 

■「虐待サバイバー」文学というジャンル

 エッセイ形式であれ、小説形式であれ、漫画形式であれ、ルポルタージュ形式であれ、今の日本には「虐待サバイバー文学」というものが形成されつつある。虐待を生き抜いた後を描くのが「虐待サバイバー文学」である。

 虐待から、せっかく生き残ったのに、それから先も大変である、それほどに子ども時代に受けた傷の後遺症は続くということを書いたものが「虐待サバイバー文学」だ。そこが、従来の「虐待文学」とは違う。

「虐待文学」は、文学の中でも古典的ジャンルである。児童文学には子ども虐待文学が多い。『家なき子』も『小公女』も『母を訪ねて三千里』も『フランダースの犬』も立派な子ども虐待文学だ。

 なかでも、ジュール・ルナールの『にんじん』(窪田般彌訳、角川文庫、2000)などは極めつけだ。赤毛でそばかすだらけなので「にんじん」と呼ばれる主人公の母親は、3人の子どもの末っ子の「にんじん」を憎み、猟の獲物の鳥の首を絞める役割をいつも末っ子に強いる。ついでに、「にんじん」がおねしょした尿をスープに入れて彼に飲ませる。岸田国土訳の岩波文庫版ならば、Kindleで無料で読めます。

 女性虐待ならば、これはもう文学一般のテーマである。性的虐待はポルノ小説や犯罪小説の重要なテーマだ。文学が世界の鏡であるとしたら、かくも、人間世界は虐待に満ち満ちているのだ。

■もし「虐待サバイバー文学大賞」があるとしたら
虐待を生き延びるだけでは十分ではない。「虐待サバイバー文学」が教えること

「虐待サバイバー文学大賞」なるものがあるとしたら、受賞者に選ばれるのは、まず小林エリコだろう。小林は、子ども時代からの虐待体験や成人後のブラック職場での生活や精神病院生活や生活保護受給体験を漫画やエッセイの形式で発表している。

 

 小林は、自分の体験記を最初はフリーペーパーにして店先に置かせてもらった。それが評判となり、文学フリマでまとまった文章を売るようになった。それが出版社の目に留まった。

 小林の『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで』(イーストプレス、2017)や、その姉妹編の『わたしはなにも悪くない』(晶文社、2019)『生きながら十代に葬られ』(イーストプレス、2019)は、タイトルの秀抜さ卓抜さだけでも、読者の心をつかむのに十分なインパクトがある。

 酒乱の父による虐待に、子どもの希望する進路を頑強に否定する両親。短大卒業後の就職氷河期にやっとありついた仕事はエロ漫画出版社の編集だった。給与は手取り12万円。生活苦に疲れ服薬自殺を図ったが死にきれず、病院退院後は精神病院に直行。生活保護を受けることになったが、ケースワーカーは生活保護受給者を蔑むだけ。何度も自殺未遂を繰り返す日々。

 子ども時代に虐待を受けると、成人後もそのトラウマに悩まされる。

被害妄想や孤立感に苦しむ。信頼できる人間関係を求めるあまり、人間関係を維持するのに適切な距離感を持てない。ただでさえ孤独なのに、一層に孤独になる。

 やっと虐待から抜け出した先に待っていたのは、幸福ではなく、矛先のない怒りと虚しさである。「どうして私が、このような人生を送らねばならないのか」と自分に問い続けても、答えは出ない。その苦しさを口に出せば、いつまで甘えているのか、過ぎたことにこだわりすぎるとか批判される。

■虐待サバイバーへの理解は精神医療界ですら遅れている

 虐待サバイバーの心理を理解しているべき精神科医でさえ無理解な姿勢を示す。精神科医でさえ、虐待の後遺症は子どもだけに起きるものだという間違った認識をしている。虐待サバイバーの苦しみに関する研究も遅れている。ましてや支援体制など。

 当事者のサバイバーでさえ、自分を苦しめているものが何であるのか言語化できるようになるまでに何年もかかる。精神疾患という現象の奥にある原因は簡単には特定できないことを、精神科医自身がわかっていないことも多い。

 

 羽馬千恵の『わたし、虐待サバイバー』(株式会社ブックマン社、2019)も見逃せない「虐待サバイバー文学」だ。羽馬が生まれてまもなく両親は離婚。羽馬が5歳のときに母が再婚し、羽馬に妹ができたが、生活苦のために母親は長女を無視し始める。義父の幼い羽馬に対する暴力や性的虐待も始まる。義父と離婚後に、母はまた新しい男を家に連れてくる。その男と別れると、母は次の男の家に行き、羽馬の姉妹は事実上遺棄される。

 壮絶な子ども時代をやっと生き抜き、羽馬は大学入学資格検定試験に合格し、貸与型奨学金を借りて大学に進学する。大学院にも進学し、成績優秀だったので、大学院の貸与型奨学金は全額免除される。しかし学部の奨学金500万円の返済は残る。

 しかし、10代の後半から精神を病み始めていた羽馬は重度のうつ病になる。得ることができなかった父親の愛への渇望から、年配の男性に過度に依存しトラブルを起こす。精神的依存先を求めては騒ぎを繰り返す。

自殺未遂を繰り返し、精神病院の閉鎖病棟に医療保護入院する。

 25歳で生活保護を受給し半年間寝たきり引きこもり。その後に非正規雇用の職を得て、やっと正規職員として雇用される。しかし、やはり人間関係の失敗を繰り返し、うつ病の悪化もあり失業を繰り返す。羽馬の虐待サバイバーとしての苦難は今も続いている。

 

■「虐待サバイバー文学」が教えてくれること

 ごく普通の家庭に育った人間にとってでさえ、家族は祝福であると同時に呪いだ。生身の人間が集団で居住する家庭空間には、摩擦も葛藤も生じる。子どもは親を選べないというが、親だって子どもを選べない。自分の時間と金とエネルギーを注いで育てても、こんな程度の人間にしかならなかったのかと自分の子どもを寂しく眺める親もいる。

 つまり問題のない家族も家庭もない。誰もが自分で選んだわけではない家族や家庭の影響を心身に刻んで社会に出る。

「虐待サバイバー文学」が教えてくれるのは、誰もが子ども時代に呪縛されたまま生きているのだから、出会う人間の歪みや偏向は、その人々の人格の問題ではなく、子ども時代の体験の蓄積なのかもしれないと理解する必要性だ。誰もが「傷ついた子ども」なのかもしれないと想像することだ。

虐待を生き延びるだけでは十分ではない。「虐待サバイバー文学」が教えること

 それにしても、生きることは生易しいことではない。私は、1947年に出版されて以来読み継がれているホロコーストの生き残りであったヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧---ドイツ強制収容所の体験記録』(霜山徳彌、みすず書房、1985)の最後あたりの記述を思い出す。

 アウシュヴィッツ強制収容所を生き残った人々を苦しめたのは、過酷な日々の記憶ではなかった。あれだけの困難さを耐えたのに、その後の人生でも苦難は続くということだった。

 虐待サバイバーを苦しめているのも、子ども時代の記憶ではなく、あれだけの困難さを生き抜いたこと自体が、その後の苦難の免罪符にはならず、苦難はいつまでも続くという、ごくあたりまえの現実なのかもしれない。

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