『スカーレット』と『おしん』 朝ドラの病と死、エロスと陶芸を...の画像はこちら >>
写真:Motoo Naka/アフロ

 朝ドラ「スカーレット」(NHK)がいよいよ最終章にさしかかっている。そこで描かれるのは、ヒロインが愛するひとり息子の闘病だ。

 じつはこのヒロインにはモデルとなった女性が存在していて、その女性もひとり息子を白血病で亡くしている。ドラマがその通りになるとは限らないものの、当初から息子の発病を予想する視聴者は少なからずいた。

 そのため、制作側はバランスをとるようなこともしている。2月最終週は、ヒロインも息子も不在で、妹や幼馴染みたちをめぐる幸せな日常がコミカルに描かれた。いわゆるスピンオフだ。連ドラとして放送中に、こうした趣向が盛り込まれるのは異例だが「スカーレット」の視聴者のなかには、これによって来たるべき重い展開を覚悟した人もいたようだ。

 実際、3月初週の放送では、伊藤健太郎扮する武志が体調を崩し、白血病であることが判明した。翌週の放送では、余命が3~5年であることを本人が知ることになる。6日の「あさイチ」には、ヒロインを務める戸田恵梨香が出演。VTRゲストとして、武志の主治医を演じる稲垣吾郎がヒロインに息子の病名を告げる場面をこう振り返った。

「朝ドラじゃないよ、もう、あのシーンは。朝ドラでそこまでシリアスな感じ、ないじゃないですか。

非常にデリケートなシーンですよね。(略)でも、あのときの『うそでしょ?』って表情とか、忘れられないですね」

 たしかに、武志本人はもとより、ヒロイン、そしてファンにとっても不安をかきたてられる流れだ。いわば、死の予感と生への期待がせめぎあう緊張空間に、登場人物も視聴者も放り込まれたわけである。

 これはある意味、非日常的な刺激や興奮を催させることでもある。同じく朝ドラの「なつぞら」では、ヒロインの幼馴染みの早すぎる病死が中盤の山場となり、演じた吉沢亮がロス状態をもたらした。若いイケメンが病んだり、死んだりするのは、見る者をただならない気分にさせる。病や死が、エロスにも似たものを呼び起こすのだ。

 もっとも「スカーレット」は本来、もっと官能的になってもおかしくないドラマだ。何せ、メインテーマが陶芸で、ヒロインも陶芸家である。じつは焼き物マニアでもある立場から、ありていに言わせてもらえば、陶芸はエロい。ドロドロの粘土をベタベタとこねくりまわし、作家は作品を愛撫するように創造する。男の役者なら、奥田瑛二とか斎藤工あたりが似合いそうな職業だ。

 ちなみに、ヒロインのモデルとなった女性も同じ陶芸家だった夫が弟子と不倫をしたことにより、離婚。ドラマでも、夫は弟子といい関係になる。ただ、不倫までには至らず、演じるのも松下洸平という、爽やか系の役者だ。劇中での離婚理由も、もっぱら芸術上の対立だった。

 また、ヒロインが師事するフカ先生こと深野も枯れた雰囲気で、イッセー尾形が淡々と演じた。こうした描き方はやはり、朝ドラという性格上、ドロドロベタベタなエロスが充満することを避けたということではないか。

 ただし「スカーレット」は、別のかたちのエロスを盛り込んでもいる。たとえば、息子も両親と同じ陶芸の道に進むが、最初に取り組んだのは結晶釉、雪の結晶のような美しい模様を持つ焼き物だ。それは若くして病に倒れることになる彼の運命を暗示しているかのようでもあった。いわば、儚さのエロスである。

 さて、このドラマより一週早く結末を迎えるのが「おしん」だ。ご存知、朝ドラ史上最大のヒット作であり、昨年春から「なつぞら」秋からは「スカーレット」(BSプレミアム朝枠)の直前枠で再放送されてきた。

筆者のように、新旧2作を連続で見ている人も少なくないだろう。

 こちらはもう、劇的な死がてんこ盛りである。ヒロインが数えで7歳のとき、奉公先を飛び出して雪山で遭難しかけたところを助けてくれた逃亡兵の銃殺に始まって、女工哀史そのものの姉の肺病死、子守をした加賀屋次女の肺炎による夭折、関東大震災による源じいの圧死、姑にいじめられたがゆえの自身の死産、娼婦に身を落とした親友・加代の酒びたりの果ての病死。太平洋戦争では、長男が戦地で餓死するし、戦争協力に尽くした夫は責任をとって割腹自殺を遂げる。生きて戻ってきた長男の戦友も高利貸しをして儲けたために恨みを買い、惨殺された。

 そこまで劇的でなくとも、祖母に父、母、加賀屋大女将といった人たちも逝き、そうしたすべての死がヒロインの生き方を揺るがしていく。ここでの死は哀しみだけでなく、後悔や憎悪ももたらし、また、ときに官能的でもあり、それが生への原動力にもなるのである。

 その生の本質とは、愛や仕事だけではない。何より「種の存続」だということをこのドラマは訴えかけてくる。死が不可避であっけないからこそ、自らがたくましく生き、子孫を残すことが大切で、そのために家族が必要なのだということ、そこがいちばん「おしん」ひいては脚本の橋田壽賀子が言いたいことなのではないか、ということが伝わってくるのだ。

 たとえば、ヒロインは実子のふたり以外に、3人の子を育てあげる。親友の忘れ形見である息子・希望と、ともに不遇の娘で奉公人として引き取る初子と百合だ。

やがて、希望と百合は結婚するが、百合は交通事故で急死。幼い息子が遺されてしまう。そのため、ヒロインは希望と初子を夫婦にしようとする。それほどまでに、子供を育てる、すなわち子孫を残すことにこだわるのである。

 結局、希望も初子も断るわけだが、その流れを描くうえで、重要な「小道具」となるのが、陶芸家である希望が亡妻を弔うために焼く骨壷だ。それが彼の愛の深さを示し、初子もそれを深く理解する。

 この展開には正直、うならされた。前述した、陶芸というもののエロスを見事に活かしているからだ。亡妻を想って焼く骨壷は、さながら生と死の挟間での愛撫。常人ではなかなか思いつけないアイディアだろう。

 ただ、子孫を残すことにこだわってきた「おしん」のヒロインは子にも孫にも恵まれ、そんなに孤独ではない。むしろ「スカーレット」のヒロインのほうが孤独に見えたりもする。

しかも、たったひとりの息子まで喪うことになったら、その悲劇性は計り知れない。

 ちなみに、前出の「あさイチ」で、戸田は視聴者のメッセージとしてこう語った。

「息子の武志とこれからどうやって病気を乗り越えていくのか、ふたりの前向きな姿を見守っていただければと思います」

 なにやら、助かる可能性もありそうな口ぶりである。いずれにせよ、せっかくの陶芸ドラマでもあるのだから、その官能性と愛を絶妙に絡めた物語を期待したいところだ。数年前に買って愛用している結晶釉のぐい呑みを傾けながら、最後まで見届けるとしよう。

編集部おすすめ