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とくに子育て世代である35歳から45歳の女性の支持が厚い。今回は、コロナウイルスによる臨時一斉休校ショックから浮かび上がる親の子どもに対する本音、そして新たな子育て論について、語る。■臨時一斉休校ショック
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 先月2月27日に安倍首相は、新型コロナウイルス危機対策として、全国の小中学校と高校、特別支援学校に3月2日から春休み開始日までの臨時休校を要請した。

 実際に休校するかどうかは学校や自治体の判断に任せたにしても、この異例の要請でTwitterやFacebookなどのSNSは大騒ぎであった。学校の休校により子どもが自宅にいても、親は仕事があるのだからケアできないのに、どうするのかという投稿が多かった。

 子どもが家庭に閉じ込められると、親の虐待やネグレクトにさらされやすくなるという意見もあった。学校給食だけが摂取できるまともな食事という環境の子どもたちもいるという意見もあった。

 子どもを持つ保護者は、就労中に子どもをケアする人を確保できない場合は休業せざるをえないので所得が減る。だから、政府は表明した。正規雇用者か非正規雇用者の区別なく、保護者の休業による所得減少を補償する助成金制度の創設を。従業員を休業させた企業には、雇用調整助成金による支援を実施することも決定した。

■現代日本の小学校は「デイケアセンター」である

 今回の騒ぎで明らかになったのは、現代日本の学校が、いかに「デイケアセンター」になっているかということだ。

丸投げとまではいかずとも、子どもの養育労働のかなりを学校が担うはめになっている実態が改めて明らかになった。

 小学校において子どもは、日本国の小国民が習得すべき基礎知識を学ぶだけではない。学校の集団生活を通じて他人とのコミュニケーションの訓練も受ける。世間というものの「ひな型」を実地観察することもできる。複数の人間が共にいる空間には、競争も嫉妬反目も生まれるし、派閥争いもあるし、いじめも村八分もあるが、協力や相互扶助もあると学ぶ。

 子どもは、小学校の行事や活動(運動会、文化祭、遠足、修学旅行、クラブ活動、合唱コンクール、書道大会、絵画展覧会など)を通じて、単に食べて眠ること以外に、多彩なこと(文化)が世界にはあると知る。

 小学校で、子どもは、知らない言葉や漢字に出会ったら、「国語辞典」や「漢和辞典」で調べればいいと学ぶ。図書室に行けば無料で本がいくらでも読めると知る。J-POPしか聴かない親の元に生まれても、バッハもモーツアルトもチャイコフスキーもハチャトリアンも聴くことができる。

 さらに、給食の時間に食事の最低限のマナーを学ぶ。親が怠慢でも、子どもは歯科検診や放課後の掃除当番により、歯磨きの重要性やモップの使い方を学ぶ。

 いつのまにか、日本の大方の親は、子どもの養育は学校の役割と勘違いしてしまっていたようだ。

無自覚に、なんでもかんでも、学校に依存するようになってしまっていたようだ。だからこその臨時一斉休校ショックだった。

 これでは、小学校の先生が大変なはずだ。大学の教育学部では、「子どもデイケアセンター」の長時間労働の看護師や介護士になる訓練をしているわけではないので、現場に来たら驚くばかりだ。小学校教諭志望者が減っているのも当然だ。

■親の本音は、子どもと常にいっしょにいたくはない
新型コロナウイルス危機があらわにした日本人の「子ども嫌悪」

 今回の臨時一斉休校ショックによって、あらためてわかったのは、日本の小学校のデイケアセンター化だけではない。実は、日本の親は、ほんとうは「子ども嫌い」であるということも、あらわにされたのではないか。

「わあ!3月まるまる学校が休みだって!良かったあ!義務教育だから、どうしても小学校に行かなきゃいけないから、しかたないから行かしてるんだけど、ほんとは自分でいろいろ教えたいのよ。日本の学校なんかにいると、悪い頭がもっと悪くなりそうじゃないの。まずは、料理の特訓から始めるわ!」と、喜んでいる母親の話は、私が知る限り耳にしない。

 里親制度や特別養子縁組制度を活用し、「親業」を積極的に引き受けることを志す人々とは違い、日本のかなりの親は、成り行き上しかたなく親になった。「できちゃった婚」という言葉ができて久しい。

「できちゃったから、結婚して、産みましょうか」の事例は少なくない。

 子どもが生まれても、家計が苦しいので働きたいし、社会参加もしたいが、子どもを預かってくれる保育園がない。「保育園落ちた、日本死ね」と訴える匿名ブログに多くの親が共感するほど、保育園は足りず待機児童は多い。

 その状況には大いに同情するが、私は同時に、どうも親の多くは、経済的理由もさることながら、子どもといつもいるのが嫌なのであって、子どもを誰かに託して自由になれる時間が欲しいからこそ保育園を必要としているのではないかと思っている。

 私はそれを批判しているのではない。それは無理もないと思う。まともな大人がワンオペ育児など24時間していたら気が狂う。子どもは、親に24時間以上の労働を強いる。ひっきりなしに泣き要求する。

 今は、少なく産み、エネルギーと金を注ぎ「失敗しない子育て」をしなければならない。就学前にひと通りのことは自分でできるようにしておかなければならない。読み書き計算にアルファベットと簡単な英語表現くらいはできるようにしておかねばならない。

いじめのターゲットにならないように、不登校にならないように、引きこもりにならないように、ニートにならないように、気をつけるべきことは山ほどある。

 そのプレッシャーは、特に母親に重くのしかかる。だからといって、厳しく躾ければ、虐待と間違われる。父親のほうは、概して当事者意識が薄い。妻が子どもの世話ばかりするということで、子どもに嫉妬する馬鹿もいる。

 子どもは、この世の光だ。ほんとうは、仕事などせずに、子どもといっしょにいたい?子どもとともに過ごす時間を大切にしたい?

 そのわりには、仕事を辞めるなり、セーブして、貧乏でもいいから子どもと過ごそうとする親は少ないようだ。

 もう素直に認めましょう。母親も父親も、子どもと離れていることができる自由な時間が欲しいのだと。賃金労働のない週末こそ、保育園に預かってもらいたいのだと。できれば、育児の厄介な部分は外注して、楽しい部分だけ味わいたいのだと。

■中産階級が生まれた近代だから子育ての苦労は生まれた

 育児の厄介な部分は外注し、自分は楽しい部分だけ味わうのは、大昔から貴族や富裕層がしてきた。

学校制度が整備されていなかった近代以前は、子どもの養育は乳母や家庭教師に託した。近代以降は全寮制の学校に子どもを放り込んだ。

 下層民の場合は、子どもは産みっぱなしであり、子どものサバイバルは運任せであった。

 16世紀のブラバント公国(今のオランダ)の画家ピーテル・ブリューゲル(1525-69)が描いた村の庶民の暮らしに描かれる子どもたちは、「子ども服」を着ていない。大人の古着を身に着けている。上着の袖はブカブカで長い。裾は引きずっているほど長い。子どもは「小さな大人」であり、できる限り早く働いた。子どもと成人の間の過渡期である青年期はなかった。

「子ども」というのも歴史的概念であり、大人から保護され養育される大人の前段階の存在としての子ども概念は、まだ生まれてから400年ぐらいしか経っていない。

 ということを、フィリップ・アリエス(1914-84)が1972年に発表した『<子供>の誕生---アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』(みすず書房、1980) において述べている。

 日本人にとっても、子どもという存在と真正面から関わる生活の歴史は、まだまだ新しい。

上流階層の人間も、下級階層の人間も、子どもは産んだだけだった。あとのことは他人の労働に任せるか、運命に任せるかであった。

 中産階級が形成されて、初めて、親子は狭い居住空間の中で長く時間を共にするようになり、「子育ての苦労」というものが生まれた。親と子が、子どもが生まれてから延々と同居するのは歴史的に新しい事態だ。

 何を私は言いたいのか?つまり、大人と子どもの家庭という空間の中での長い共存のノウハウは、まだまだ十分には蓄積されていないということだ。だから、双方にとって、家族が煩わしく、家庭が居心地の悪い場になりがちなのも、当たり前なのだ。

 子育てなど面倒くさいに決まっている。ほんとうは、「子ども嫌い」なのが自然だ。儒教道徳の消えた現代において、子育ては割のあわないブラック稼業で、ご奉仕だ。だからといって、自分の子どもの養育労働のかなりを、無自覚に学校や教師に丸投げしていい理由にはならない。

 もうこの際、自分の「子ども嫌い」の本音をあっけらかんと認めつつ、子どもの養育労働のうち他人に外注できる部分と外注できない部分を見定め、外注できる部分を委託する人には適切な賃金を支払う。くれぐれも小学校を無料のデイケアセンター扱いしないように。

 そして、子どもの養育労働のうち、外注してはいけない部分については、逃げずに自分で迎え撃つしかない。

 家族も家庭も永遠ではない。解散する時期が必ず来る。その時期まで、自分よりかなり年下の人間の生態と思考を教えてもらおうか、ぐらいの構えで、しかし無責任にならずに、子どもとテキトーに関わっていくしかない。新型コロナウイルス危機学校一斉休校ショックは、それを日本の親に考えさせるいい契機になりうる。

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