難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの若き母は、どのように向き合ったのか。
『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』の著者「ピエロの母」がNICU(新生児室)で白と赤の模様の息子の皮膚をまじまじと見た時の動揺と覚悟の思い。夫とともに受け止めるために写真を撮る決意を綴った。
白くて赤い皮膚に若き母が「道化師のよう…」と絶句。難病「道化...の画像はこちら >>
 

 

◆その名の通り「道化師」のような皮膚

カーテンをくぐると、陽(我が子)はオムツを替えてもらっていた。
看護師さんの優しい言葉がけ、心地のよい少し高くて可愛い声。
オムツを替えるといっても、ちゃんとオムツは履けず、敷いてあるだけのオムツ。

白く分厚い皮膚、真っ赤でジュクジュクした皮膚、
この二種類の皮膚が模様になり、
それはまさに、道化師。
ピエロの着ている服のようだった。
この病名を名付けた方は、この見た目で決めたんだ。

初めて病名を聞いたとき、なんてふざけた病名だろうかと耳を疑ったけれど、
今の陽は紛れもなく、その名の通りの姿だった。

オムツを替えている間、陽はか細い声で泣いていた。
ゆっくりと腕を動かして、何かに抵抗しているかのように。
赤ちゃんが泣くことなんて普通で、泣くことが仕事、と聞いたこともある。


しかし私は陽が泣くと、痛くて、辛くて、苦しくてもがいている、としか思えなかった。

陽にまだ触れることも禁止されていて、ただ傍で見つめていると、近くで赤ちゃんに面会にきた夫婦の声が、カーテン越しに聞こえる。

「ちっちゃい手やなぁ~」

「足もちんちくりん」

「あっほら! 手握ったで!」

「写真撮って!!」

「やばい ちょーいい写真撮れた!」

NICU(新生児特定集中治療室)へのデジカメの持ち込みは、許可されていた。
写真・・・。
1か月の早産で、出産する前からNICUにお世話になると分かっていたため、デジカメはすでに用意してあった。

今の陽を撮る? この姿を撮る? 私には無理だ……。

すぐ近くでは愛しい我が子の様子を、何枚もカメラに収めている。
きっとその写真はアルバムに挟まれて、
この先も、産まれてすぐの写真として大切に保管されていくのだろう。

羨ましいな。心からそう思った。
でもね、陽、私はあなたが産まれてきてすぐの姿を、きっと忘れることはないよ。
忘れることなんて、できないよ・・・。

何日か母乳を届ける日は続き、陽が産まれてちょうど2週間。
この日は、夫とともに陽に会いにきた。
夫と話し合い、陽の写真を撮ろうと、手にデジカメを握りしめて。

◆記憶と記録「この人が夫でよかった」

写真について、夫と話し合った。
今の陽の姿を私たちの記憶の中だけでなく、ちゃんと写真として記録に残そう。
夫の両親は、まだ一度も孫の姿を見ていない、かといって撮った写真を見せるわけではない。
今はまだ、見せる時じゃない。
そんな話もしながら、ふたり揃って陽の所に行ける時、写真を撮ろうと決めた。

そして、その日はすぐにやってきた。
陽が産まれて2週間経った日、カメラを握りしめて、陽のもとへ・・・。

寸前になって、この姿を撮っていいものか。
そう迷ってしまう私をよそに

「反射して光が入ってしまうわ~」と言って、

四苦八苦しながら撮影する夫。

そしてなにかを察したのか、

「僕は陽が愛しいで」

「どんな姿でも、陽が可愛い」

「もう見慣れたんかなぁ~」

陽に優しい笑みを浮かべながら話す夫。

あぁ、この人が夫でよかった。
この人が陽の父親でよかった。
この人となら、なんとかなるのかな。
そう思っていると、近くにいる看護師さんが写真を撮っていることに気付き、
光が入らないよう協力してくれて、無事に何枚か写真を撮ることができた。

この日から面会時には必ず、陽の姿をカメラに収めるようになった。

『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より)

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