太平洋戦争最大の謎となる「天一号作戦」、「戦艦大和ノ最期」に迫る第6回。12時20分頃から数分間続いた第1次攻撃をかろうじて凌いだ「大和」にわずか30分後には米軍の容赦なき第2次攻撃が開始されたのである。
(原勝洋 編著『真相・戦艦大和ノ最期』第9章・写真『戦艦大和建造秘録』より引用)■挟撃された「大和」に集中する魚雷44本
壮絶30分! 魚雷44本、爆弾27発、ロケット弾112発‼️...の画像はこちら >>

 日米の戦闘記録が大きく異なるのは、第2波攻撃である。 軍艦大和戦闘詳報は12時57分から13時27分までの30分間を

●12時57分 右艦尾よりSB二C数機急降下に入る。面舵に回避す。1機撃墜。
●13時00分 180度に定針。
●13時02分 200度方向30キロメートルに敵新目標50機を認める。
●13時22分 210度に右一斉回頭。
●13時27分 速力22ノット。

と簡潔に表しているが、現実にはこの30分間に、これまで「大和」が体験したこともない熾烈な攻撃が展開されたのである。

 44本の魚雷と爆弾27発、そしてロケット弾112発が、ほとんど同時に、異方向より「大和」を襲うことになるのであった。

 第1艦橋の配置で記録をとる航海士山森直清中尉は、「後部に爆弾命中、そうひどい被害とは思わなかった。戦闘航海に支障はないと思った。

魚雷が当たると船体が振動するが、最初の2、3本の命中はかすり傷のような振動、艦橋前方の魚雷の命中は割りと早い時期だった。艦の中部、後部に魚雷が命中するようになると、胴震いするようなひどい振動になった。機銃掃射、魚雷の数は、爆弾より多かったように記憶する」と証言している。 12時59分、攻撃命令を待って上空を旋回していた「エセックス」の40機と「バターン」の21機、引き続いて「バンカーヒル」の14機と「カバト」の19機の順に各所属攻撃隊合計94機は、攻撃を下令された。

 雷爆混合、少数機分散による波状攻撃が「大和」「矢矧」「冬月」「涼月」「磯風」「霞」「雪風」「初霜」に対し行なわれた。「大和」に襲いかかった攻撃機は、59機に及んだ。 各航空機群間の協同攻撃は、見事だった。攻撃は、投下された爆弾が「大和」艦上で炸裂している時、雷撃隊が魚雷を投下するといった、絶妙なタイミングで実行された。 右に回頭する「大和」に向かって最初に急降下したのは、「エセックス」所属の第83戦闘爆撃機中隊に所属するコルセア5機のうちの1機だった。雲量8、高度900メートルの雲の切れ目から急降下し、高度760メートルで千ポンド通常爆弾を投下した。爆弾は「大和」の左舷側上部構造前方に命中した。

 続く第83爆撃機中隊12機は、緩降下と急降下を織り交ぜて「大和」を攻撃した。

24発の爆弾、1000ポンド徹甲爆弾22発と半徹甲爆弾2発が 高度450ないし770メートルから一斉に投下された。前方、第1主砲塔前方と第3主砲塔前方に別の爆発があり、「大和」甲板の着弾点の周りに燃える黒い環と少しの煙が甲板の小さな炎と灰色がかった黒煙を噴出させた。観測者である爆弾投下後の操縦士と後部座席の機銃員が、発砲の閃光と火災を取り違えることはなかった。

壮絶30分! 魚雷44本、爆弾27発、ロケット弾112発‼️ 米軍第2波59機が「大和」を襲う‼️!【特攻まであと1日】
高速で転舵しつつ攻撃を回避する大和。右方は雪風 。上空には攻撃の機を伺うカーチスSB2Cヘルダイバーの姿がある。1945年4月7日(パブリック・ドメイン)■大和主砲が噴く! 魚雷被弾‼️ 傾斜5度‼︎

 巨大戦艦への攻撃を下令された第83雷撃機中隊15機中の13機は、右旋回を続ける「大和」に対し、第1小隊4機は艦首右舷、第2小隊4機は艦首左舷方向から、そして第3小隊4機は第2小隊の後方から、間髪を入れず雷撃態勢に入った。 このとき、一人の操縦士は「『大和』の前方の雷撃点から機体を立て直す途中に、16(実際は18)インチ砲の一斉射の衝撃で海面に叩き落とされそうになった」と証言している。「大和」の主砲は、対空戦中にも発砲していたことがうかがわれる。

 挟撃による雷撃法(アンビル雷撃法)で、「大和」に4本のマーク13魚雷が命中したと報告された。この命中は、別の雷撃隊の操縦士と搭乗員によって確認された。また、さらに3本が命中したと考えられた。

 それは魚雷を投下した雷撃機の位置と「大和」の回避針路から判断された。しかし後からの3本の命中の主張を確認する方法はなかった。 従来比較的軽視されていた雷撃機だが、その行動は巧妙となり、特に魚雷の性能には一段と向上が見られた。続いて左舷中部に魚雷3本命中。傾斜5度。右舷注水区画に注水し、傾斜は直ちに復原された。

 防空指揮所の艦長伝令塚本は、「最初の2波まであまり被害はなかった。敵機は魚雷をとんでもない所で、大和に近寄らないうちに投下して帰っていった。魚雷が当たり始めると艦長が機械室はどうかと繰り返し心配した。攻撃は本当に間がなく、波状攻撃だった」と米雷撃の激しさを語っていた。

 米軍の戦爆雷の協同攻撃法は菲島(フィリピン)沖海戦に比して一層巧妙となる感があり、当日は雲高が低く、視界不良だったにもかかわらず、大編隊がよく連繋を保持して混乱することなく、同時異方向より殺到して、大被害を与えるとただちに弱点虚隙を狙って反復攻撃を敢行したのであった。 〈「大和」特攻当日へ・・・つづく〉

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