遊女は幼くして、貧しい両親によって売られた者が多かった。自分が身売りすることで困窮した家族を救ったことになる。
売られてきた女の子は上級遊女の雑用などをする禿(かむろ)となり、15歳前後で新造(しんぞう)となって客を取り始める。吉原には「年季は10年、27歳まで」という原則があったが、実際には年季の途中、20代で死亡する遊女が多かった。年季の途中で客が遊女の身柄を請け出す身請けもあったが、莫大な金がかかったため、身請けされた遊女はほんのひとにぎりである。
真に惚れた男である情男(いろ)がいる場合、遊女は情男と結ばれる日を夢見て、年季明けを指折り数えて待った。ただし、実際に年季が明けても庶民の女房になるのはむずかしかった。というのは遊女は家事の経験がなく、とくに禿から廓(くるわ)で育った女は炊事洗濯などまったくできなかったからである。
そのため、裕福な男の妾(めかけ)になったり、茶屋の主人や幇間(ほうかん、座敷で芸を披露する男芸者)などの吉原関係者と結ばれることが多かった。そうすれば、下男下女が家事をやってくれるので、元遊女でもやっていけた。
遊女の雑用をする禿(かむろ)。「北里十二時」より。国立国会図書館所蔵【遊女の生涯】
10歳前後~14歳頃:禿(かむろ)として働く
15歳前後:遊女として客をとる
15歳~27歳:年季途中で死亡する者、身請けされる者も
27歳頃:年季明けで引退
27歳頃以降:吉原にとどまり働く(上級遊女の雑用係となったり、見世(みせ)をかえたり、吉原関係者と結婚する)。
文/永井義男(江戸文化評論家)