江戸の春画にはしばしば子供が登場する。現代のAVや官能小説では考えられないことであり、ちょっと不思議な気がする。
ひとつは、女房が赤ん坊に乳を呑ませているところを亭主が後ろから、あるいは女房が幼い子を寝かしつけているところを亭主が背後から、というものである。当時、庶民の住居は狭かった。庶民のほとんどが住んでいた裏長屋はせいぜい六畳ひと間だった。ここに親子数人が生活していた。赤ん坊はベビーベッドに寝かせるとか、子供は子供部屋に寝かせるとかは、とてもできない。夜は亭主と女房のあいだに子供を寝かせ、つまり「川」の字になって寝た。女房が赤ん坊に乳をやっていると、あるいは幼児をあやしていると、淫欲をおさえきれない亭主がいどんでくる。そんな典型的な絵が、『絵本美多礼嘉見』(渓斎英泉、文化12年)にある。
夜中、赤ん坊が泣き出した。眠い目をこすりながら女房が赤ん坊に乳を呑ませていると、亭主が硬くなった陰茎をふんどしから引き出しながら、こう言う。
「コレ、こんなになった。
もうひとつのパターンは、性行為をしているところを子供に見られてしまうというものである。男と女は夫婦ではなく、いわゆる不倫や恋人同士の場合が多い。不倫は亭主の留守を、恋人同士は親の留守をねらうため、昼間の情交が多い。ところが、当時の家屋はプライバシーが守れない構造だった。部屋と廊下の境は障子、部屋と部屋の境は襖である。鍵もかからない。ふたりが夢中になって交接していると、子供が不意に障子や襖があけてはいってくることがあった。そんな典型的な絵が『会本美津埜葉那』(喜多川歌麿、享和2年)にある。
かなり大きな商家だろうか。真っ昼間、乳母は子供が寝たのをさいわい、下男の喜介と物置で忍び会った。
「さァどうだ。エエか、エエか。手並みを見たか」
「アア、死にます、死にます、死にます、死にます」
そんな乳母の喜悦の声を聞いて、子供が泣き出す。
「エエー、エエー、エエー、おんばを喜介が殺すそうだ」
もちろん、「死にます」と聞いて乳母が殺されると勘違いし、子供が泣き出すなどは春画のおふざけなのだが、物置も内側から鍵はかからないため、突然戸があけられることがあった。当時では充分にありえる展開である。
春画に赤ん坊や子供が登場するのはリアリズムといえよう。