『酒井伴四郎の日記』として知られる史料がある。和歌山(紀州)藩の下級藩士、酒井伴四郎が万延元年(一八六〇)に江戸詰となり、五月二十九日の江戸到着以来、およそ半年間の四谷の藩邸暮らしを克明に記した日記である。
七月十六日
五人連れで藩邸を出て、いんきん田虫の療治に出かけた。いんきん田虫は内股や睾丸に発生する皮膚病で、かゆみがひどい。藩邸内の長屋で共同生活をしているため、五人とも感染してしまったのであろう。まず上野の手前で餅を食い、さらに浅草で蕎麦を食った。浅草広小路の医師にいんきん田虫の療治をしてもらったあと、みなで浅草寺に参詣し、お化けの見世物を見物した。その後、芋や蛸の甘煮を肴に酒を呑み、連れ立って吉原に行き、花魁道中を見物した。屋台店で西瓜をひときれ食ったあと、両国に行き、みなで見世物小屋にはいった。おこなわれていたショーは「おめこのさね」(女性器のことには違いないが、部位の詳細は不明)で、俵や半鐘を釣り上げるというものだった。
こんな露骨なショーが堂々とおこなわれていたのである。伴四郎は、「いずれも面白し」と、感想を記している。男五人が息を呑み、目を凝らして一点をながめている姿が想像できる。さて、春本『開談遊仙伝』(歌川貞重、文政十一年)に、性の見世物を描いた春画がある――。小屋のなかに高い椅子状のものをこしらえ、そこに坐った女が着物と腰巻をまくり、大股びらきをして、陰部をむき出しにしている。男が火吹き竹のようなものを口に当て、ふっと息を吹いて陰部にあてるという遊びである。女は巧みに腰を動かして直撃を避けながら、「それ、もっと、きつうくお吹きよ。エエ、上だよ、上だよ。アレサ、下を、下を」と、客をあおる。大勢の男たちがニヤニヤしながら、その様子をながめている。
この絵を見たとき、筆者はいくらなんでも春画の誇張であろうと思った。