なぜ今、これほどまでに「ふんどし」に情熱を傾けるのか? 彼らが世の中に伝えたいこととは?同社副代表の野田貴志氏にご寄稿いただいた。
「大学院での研究をやめて、ふんどしを作って世界に売っていきます」
そう言うと人は驚いたり、笑ったり、変にテンションが上がって盛り上がったりします。私の母の場合は、少し不安そうな顔で「体を大事に」とだけ言いました。
私は以前、東京大学の大学院でバイオ系の研究をしていましたが、今年の春に友人と二人でふんどしの会社を起こし、学校へ行くのを完全にやめました。現在、ふんどしを作って売る、という物販ビジネスをしています。2年ほど前は土日も昼夜問わず研究室に引きこもって実験に明け暮れていましたが、ふとしたきっかけでふんどしに目覚め、まさか会社までつくることになるとは。ふんどしに出会って人生が変わり、ふんどしで仕事をするまでに至った経緯をお話ししましょう。
・人生を変えたふんどし体験
きっかけは、2年前のとある冬の寒い日。芸術系の大学に通う友人が「日常の中の非日常を表現したい。ふんどしで街を歩きたい!」 という訳のわからないことを言ったのですが、当時私も訳のわからないことが好きだったので、謹んで参加させていただくことにしました。
要約すると「祭りや伝統行事の中では普通に見ることができるふんどしを、何気ない日常の風景の中に投影すると、見る人はどのような反応を示し、そこに何が生まれるのか」という命題のもとに、若い男女が10名くらい群れをなしたり分離したりして、ふんどし一丁で新宿駅周辺のエリアを歩き回りその様子を観察・撮影する、という取り組みでした。
そのアート活動の作品としての成果はひとまず置いておいて、私はその時ふんどしを初めて「穿いて」(その時は締め込まないタイプの越中ふんどしだったのでこう表現させてください)、その心地よさに感動したばかりではなく、「ふんどしで何気なく街を歩く」ということ自体に楽しさと意義を見出しました。
誰もが分厚いコートを着ている真冬の寒空の下、ふんどし一丁で平然と歩いてくる男を見ると、人は実に様々な反応を見せてくれます。
白目むいて驚いたり、爆笑したり、カメラを構えたり、スルーしたり、同情したり、警察を探したり……。
「何アレ?」をはじめとして、「寒くないの?」「すごい」「大丈夫なの?」「祭りあるんだっけ?」「芸人さんかな?」「罰ゲーム?」「捕まるぞ~」「かっこいい!」「兄ちゃん元気だねえ!(ハイタッチ)」などと、つい口に出してしまう方も多いです。
・無言のコミュニケーションを楽しむ
私にとってふんどし一丁で歩くのが楽しいというのは、「人々の反応を見たり、無言のコミュニケーションをとるのが楽しい」ということです。見る人たちが「何をしてるんだろう?」と疑問に思うのと同様に、ふんどしで歩く側も「この(見ている)人は今どう思っているのだろう」と想像を巡らせてみる、時に相手の意図しない言動や表情で驚かせたり笑わせてみる。そういった時に現れる反応はとても興味深いんですね。
こうして私は、ふんどし姿で目立って歩きながら、行き交う人々との言葉を介さない(時には介しますが)コミュニケーションを楽しみました。
それ以来、そんな他人との非日常的なコミュニケーションに魅力を感じ、定期的にふんどし一丁で出歩くようになりました。これを「ふんどし活動(略してふん活)」と呼んでいます。
一人で「ふん活」を継続し、「ふんどしマン」と自身を名乗って、街頭でフリーハグをしたり、Facebookページなどで情報発信するようにもなりました。
・ふん活が与えてくれたこと
私がふん活に熱意を注ぐようになった理由を一言でいうと、「人の価値観に影響を与える」ことができるからです。
ふんどし一丁の男を真冬に見ると、多くの人はまず驚き、「あの格好で歩いて平気なの?」「捕まらないの?」などといった疑問を抱きます。そして、「でも祭りではみんな穿いてるわけだし別にいいのか」と自問自答したり、実際に私に聞いたり自分で調べることで、「ふんどし(下着)で街を歩くこと自体でいきなり逮捕されるわけではない」と学びます。
ちなみに、私も2年間ずっとふんどし一丁ですが、逮捕歴はありません(職務質問は数え切れないほどあります(笑))。
私がふんどしで歩くことで、決して少なくない数の人が「ふんどしで歩くことは(勝手にダメだと思っていたが考えてみたら)実は大丈夫」だと知り、ふん活をやってみた人は「ふんどしで歩くことは(できないと決めつけていたけど案外)できる」ということも体得します。
つまり、「ふん活」はこの時点で少なからず人の考え方や価値観にインパクトを与えているとも言えるのではないでしょうか。これってすごいことだと思いませんか?
普段の日常生活の中で、自分の価値観や、ましてや他人のそれまでをも揺るがしたり広げたりする機会はあまりないように思えます。
些細な変化かもしれませんが、ふんどし一丁で歩くだけでそんな影響を意識的に与えられるのかもしれない、そう考えると、ふん活に対して興奮を抑えることができませんでした。
また、「できないと思い込んでることがやってみたら案外できた」という経験は、人生においてとても貴重なことだと思います。
自分の固定観念やリミットをどんどん取り除いて、視野と可能性を広げていく。こういったマインドセットは、どんな分野においても大切なことでしょう。一見無意味なことのように見えても、些細なことからでも学びや知見が得られるのだなと、私は身をもって実感することができました。
また、ふんどしで歩くことで、「日本は平和だな」と安心な社会を実感できたり、周りの人々の日常にほんのちょっぴりでも刺激と笑顔をプラスできる、といった魅力も感じていたのです。
・社会にとっての利益を目指すようになった
写真を拡大 地域の清掃活動に取り組む。写真中央が筆者。 ふんどしに意義を見出してからは、活動もより世の中に喜ばれる形へと変わっていきました。「寛容な社会に自由な格好で好き勝手やらせていただいるんだ。必ず世の中にプラスの価値を生み出さなければならない」と責任を感じるようになったからです。
具体的には、より爽やかににこやかに歩くようになったり、バレンタインにはふんどしチョコを配って働く人々を応援したりしました。定期的にボランティアや地域の清掃活動などにも積極的に参加しました。やはり突飛な見た目をしている以上、やっていることはまともで、分かりやすく社会に良い影響を与えることでなければならないな、と。
・ふんどしがビジネスになる時
1年前の冬、趣味の領域でふん活を続けていた私の元に、スーツ文化を学ぶためイタリアに留学していた友人から、一本の電話が入りました。
「君がやっているふんどし活動、一緒にビジネスとしてやってみないか?」
彼はもともとスーツ文化を学ぶために単身イタリアに飛び込んだのですが、ヨーロッパ各国をふんどし一丁で回った経験から、海外でのふんどしの評価の高さに驚き、アパレルとしてのふんどしに可能性を感じたのです。
そして親友の私に事業化の提案を持ちかけてきたのです。
彼は今、会社の代表として一緒に仕事をしている星野という男なのですが、彼のストーリーはハフィントンポスト 日本版で紹介されています。
彼は、「ふんどしも伝統産業として良さを伝えれば世界にも売れるかもしれないし、何より見せ方・工夫の仕方で世の中を盛り上げることができる」と熱く語り、私も彼の話にとても共感しました。
正直それまでの活動で「自分は十分前衛的なことをやっている」という気になっていました。しかし、「飛び抜けた面白いことは趣味の範囲でやる」という考え方にとどまっており、「好きなことで稼いで生きていく」という発想には至らなかったのです。世の中ではそのような風潮が十分高まっていたのにもかかわらず。
私は自分の世界観の狭さを恥じ、「現状に満足して停滞してはいけない、常に視野を広げるべく挑戦し続けなければいけない」と気持ちを新たにしました。
・「ふんどし部」という組織が誕生
数ヶ月後彼がイタリアから帰国し、事業化に向けて本格的に活動をスタートしました。それまでは私個人の趣味でやってきましたが、今後は組織として収益を上げながら活動しなくてはいけません。初の試みで、何もかもが手探りの状態でした。
とはいえ気持ちだけは燃えていたので新年に向け何かしようと、大晦日にふんどしマン5人で高尾山の山頂まで登りました。雪の積もる中ふんどし姿で眺めた初日の出の美しさは今でも忘れません。
その道中、多くの方から「なんの部活ですか?」と聞かれたことから「ふんどし部」というネーミングが生まれ、当初の組織の名前となりました。そして今年5月に法人登記し、名前はそのままで「株式会社ふんどし部」を創業したのです。
起業してからはあっという間で、がむしゃらに走って半年間が過ぎました。オンラインで小規模にふんどしを売ることから始めて、今ではなんとか社員二人が食べていけそうなところには至りましたが、未だに課題だらけの現状です。
今は目の前のことで精一杯な毎日ですが、もがきながらも我々がふんどしビジネスとして何を成そうか、ふんどしでどのように新しい価値を創り出していくか、考えていることを述べさせていただきます。
・ふんどしを軸にした、イノベーションの会社
私たちは、元をただせばふんどし一丁で街を歩く「ふんどしマン」から始まった組織です。
なので、ただ単に「布を買ってふんどしを仕入れて売る」というよりもむしろ、「既存の概念や常識に挑戦して、壁を壊していく」活動をしよう、世に新しい価値観を生み出すイノベーティブや企業になろうと決意しました。
私たち二人は、在学時に「東京大学i.school」というイノベーション創出のための教育機関で1年間学んだ同期でもあったのですが、そこでは「イノベーション」を単なる「技術革新」ではなく、「人や社会に新しい価値を提供し、人の行動や価値観に不可逆な変化をもたらすこと」と定義し、デザイン思考や新しい価値の創出について徹底的に議論を重ねていました。
我々もそのようなマインドセットで、布一枚でどのように新たな表現方法を生み出し、人々の生活や価値観にどのような影響を与えられるのかを追求し、「ふんどし」というものをもう一度定義し直すことから始めました。
・ふんどしの価値、再発見
その結果、もともと「男性用の下着の一種」に過ぎないふんどしを、その価値を「ズラす」ことでプロデュースしようとしています。
今でこそリラックスウェアとして見直されつつあるふんどしですが、何もその出番は寝る時や祭りの時だけではありません。
幾つかの大学で遊泳着として使われているように、スポーツウェアとして締め込んでもいいですし、マインドフルネスを高めるための高級なヨガウェアとしてもいいでしょう。
なので既存の価値観に囚われず、天然繊維や最新のテクノロジーを駆使した生地を開拓したり、カイコから育てて上質なシルクで作ろうと試みています。時には食材でふんどしを作ってみようとも試みます。その多くは失敗に終わりますが……。
私たちは相変わらず、日常生活でファッションの一部としてふんどしを用いています。ふんどしだけで全ての活動範囲をクリアするため、専用法被(はっぴ)などの独自開発を進めています。
・追求するのは「ふんどし」そのものではなく、「人間としての自分らしさ」

企業活動を円滑にする上では、下着としてのふんどしにフォーカスして、商品開発を全力で行うのがセオリーなのかもしれませんが、私たちは「衣服とは何か」「常識とは何か」という視点からスタートしたので、結果として「自分らしさ」とは何か追求するための活動をしていくつもりです。
近い将来科学技術の進歩によって人類はシンギュラリティを迎え、人間の仕事の大半は機械に代替される、と不安視する見方もあります。そんな時代が到来するからこそ、機械に代替されない価値を身につけることが肝要だと私は思いますし、人間にしかできない仕事を見つける、あるいは作り出すことが必要だと考えます。言うなれば、「人間らしさ」「人間としてのアイデンティティ」を追求する、ということです。
代表の星野が欧州から帰ってきて印象的だったのは、スーツを着た日本のサラリーマンが全くもって生き生きしていなかったこと、と言います。
それが衝撃的だったのは、彼がヨーロッパで追求していたスーツは、仕事着でありつつもオシャレを追求し、自己表現を行うためのものとして存在していたのに対し、日本で見るサラリーマンのスーツは個性というよりもむしろ画一化の象徴、単に隣の人と同じ所属であることを示すためだけの服だと感じたからでしょう。
彼の定義からは、スーツを着た大人は生き生きしていないといけないのですが、日本ではそれが感じられなかった。先述した「人間らしさ」の観点から言えば、それはあるべき未来ではないというのが私たちのスタンスです。
そんな常識を壊し、衣服について新しい価値や考え方を世の中に提案する。そうして、ふんどしマンが社会に価値を生み出せるのではないかと考えています。
・「生き様」を世に示したい
その意味では、我々のやりたいことはふんどしを世に広めるというよりもむしろ、コンセプトや「生き様を世に示す」ことと捉えた方が適当かもしれません。
「人間らしさ」「自分らしさ」を追求して、生き生きと仕事を楽しむ姿、そんな姿勢を世に広め、思い切り自己表現をしたり、好きなことで生きて行く人を増やすために貢献する。ふんどし部は「ふんどし」ではなく「夢」を売る会社。そのようなイメージを持って活動を展開していきます。
ここまでふんどしで熱く語る人間も珍しいかもしれませんが、ふんどしにはそれだけの熱量を持って取り組める魅力があるということかもしれません。未経験の皆さんにはぜひ、一度身につけてみてその魅力を体感してほしいと思っています。
しかし、皆さんにふんどしを穿かせ歩かせることが私の真の目的ではありません。より多くの人が「自分らしさとは何か」と追求し、思い切り自己表現を行って、生き生きと人生を歩んでほしい。それが、ふんどしマンからの願いであり、日本の皆さんへの提案です。
ふんどし部は、「挑戦する人」を応援するため、今日も元気に活動してます。