日本には大昔から「大御宝(おおみたから)」という言葉があります。日本の国の民のことです。
天皇にとって、民は「大御宝」だとずっと言われてきました。
第十六代の仁徳天皇の時(五世紀前半頃)、朝、御所から周りを見渡すと、村々から竈かまどの煙が上がっていないのを見て、仁徳天皇は「煙が上がっていないということは、民は食べるものがなくて炊事をしていないということだ。民は飢えているのだ」とおっしゃって、三年間、税を取らないことにしたという話があります。
三年経つうちに民の暮らしはずいぶん楽になり、竈から煙が上がるようになりましたが「いや、もっと民が豊かにならなければ」と天皇はおっしゃって、さらに三年、税を取りませんでした。
御所の建物が傷んできても、そのままにしておられたので、民のほうから押しかけて「税を受け取ってください」「御所を修理させてください」と言ったと伝えられています。
今の皇居はもともとが徳川幕府の江戸城で、武士の城ですから、周りには深い堀があって堅固に守られている造りですが、京都の御所はただの塀一枚です。古今東西の君主の中で、こんなに無防備な住まいの人はまずいないでしょう。
短く数えても千数百年の歴史の中で、天皇家そのものを滅ぼして自分がとって代わろうとした人はいませんでした。
天皇ではないけれど、その土地の有力者で権力者になった人、将軍や大臣などは色々いましたが、日本は王朝が交代することなく、ずっと皇室が続いています。
天皇は民を宝と思い、民も天皇を慕う関係がずっと続いてきました。
上下関係というより、天皇を中心として、天皇は民を宝として大切にし、民も天皇を慕う関係を「シラス」といいます。「シラス」というのは『古事記』にも出てくる古い言葉で、天皇と民が一体になって大切にし合う統治のあり方を指します。
これに対して、上下の支配関係によって力で従わせる統治のあり方を「ウシハク」と言います。ヨーロッパや中国・韓国などでは、国民は家畜と同じで、領主や国王の持ち物(財産)という意識でした。国王も貴族も庶民も同じフランス人とか、同じドイツ人というふうには思わない時代が長かったのです。そういう歴史だったから「同じ人間なんだ! 家畜じゃないんだ! 人は人なんだ!」「人は人なんだから、理由もなく殺しちゃいけないんだ」ということを権力者に認めさせるために、血みどろの戦いを繰り返して「人権」ということが言われるようになってきたのです。
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