動物の中でも人間との共通点が多いことで知られるゴリラ。なんと同性愛にも共通点があった?『なぜ闘う男は少年が好きなのか』より、オス6匹とメス1匹という集団で起きた同性愛の実態と人間との共通点を紹介します。
同性愛を楽しむ動物たち

 これまでに、同性愛行為が確認された種を列挙していくと、ハエなどの昆虫から、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類と多岐にわたり、その数は千五百種を超えます。特に同族の哺乳類を見ると、少年愛の起源を垣間見るようです。

 例えば象は、オス同士でキスしたり、互いの口にあの長い鼻を入れたりして、きずなを深め合います。異性間のカップルがすぐ別れるのに対し、同性同士の関係は長く続き、大抵が年長の大人象と未熟な若造ならぬ若象の組み合わせです。

 面白いのはキリンで、彼らの場合、観察される交尾の実に九十パーセント(!)がオス同士によるものだそうです。

 キリンのオスは、繁殖期にメスを争って、首相撲を行います。長い首を刀のように打ち合う音が、バチーン、バチーンと、サバンナ中に響きわたるのですが、実力が伯仲していると、なかなか決着がつきません。汗まみれの争いが長く続き、そして……

「キリ夫のやつやるじゃないか。こんなに強かったなんて。それに、あんなに必死の顔で……よく見るとまつ毛は長いし……首もしなやかで美しい。あれっ、なんだ、この感情!?」

 こうして、いつの間にか首相撲がネッキングになり、果てはアナルセックスにまで至ってしまうのだそうです。自分を巡って闘っていたはずの二匹が、何故か目の前でおっぱじめてしまうのを見せつけられる、メスの心境ははかりがたいものがありますが、この性交渉は喧嘩がエキサイトして、致命的なものになるのを回避させる効果があるようです。

 また、人間に近い霊長類でも、同性愛は行われており、なかでも、ゴリラのそれは、大変興味深いものとなっているようです。京大学長で霊長類学者の山極寿一教授の研究をもとに、森の哲人たちの、密林の奥での密やかな愛の営みをひも解いていきましょう。

五匹のオスに一匹のメスという、奇妙なゴリラの群れ
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 キングコングのモデルにされたりして、狂暴な印象のあるゴリラですが、実は温和で繊細な心の持ち主です。ストレスに弱く、心因性の下痢を病み、あんなに大きな体をして、ヒョウに他愛無く捕食されたりします。

 かつては、いろんな芸を覚えるチンパンジーの方が頭がいいとされていましたが、最近は、ゴリラが芸をしないのは、プライドが高いためだということが分かり、霊長類で最も知性の高い動物とされているそうです。

 山極教授は、このゴリラを長年にわたって観察、その生態から、家族や人間性の起源を探っておられます。あるとき教授は、オスが五匹でメスが一匹という、奇妙なゴリラの群れを見つけました。
 奇妙というのは、通常、ゴリラの群れというのは、成熟したオスゴリラと複数の妻、そして子供たちからなるためです。一夫多妻のハレムを作るわけですね。しかしこの場合、複数のオスが一匹のメスに群がっています。狩猟によって、近辺の群れのリーダーが殺され、行き場を失ったゴリラが寄せ集まったためですが、群れの構成は次のようになっていました。

ピーナツ(大人オス)
ビツミー(大人オス)
シリー(若オス)
エイハブ(若オス)
パティ(メス)
タイタス(子供オス)

 一匹のメスを、年齢がさまざまなオスたちが争う状態、これは剣呑なことになると思いつつ、教授はこの風変わりな群れを観察することにしました。

 まず最初に、パティに対しモーションをかけたのはビツミーでした。彼は、もう一匹の大人オス、ピーナツのそばにいたパティに近寄ると、「俺のものだぞ!」と誇示するように、胸叩き、ドラミングをはじめたのです。

 そして、パティをこづいたり、叩いたりしても、ピーナツが何も反応しないことを確認すると、パティを押し倒し、二時間のうち二回交尾しました。

 一度セックスすると、自分のものと思うのは人間でもゴリラでも共通なのか、ビツミーは大胆になり、その後の数日間、パティを追い回し、胸の下にひしいでは、ビツミーの上で何度も腰を振りました。この間、若オスたちは息を詰めるようにして、この様子を見守っていたそうです。

 やがて、パティはビツミーのしつこさにたまりかねたのか、ピーナツのそばにいることが多くなりました。明らかに庇護を求めてのことです。

 そうなると、ビツミーも、ピーナツを恐れ、低い唸り声をあげて、二匹の回りをうろついているだけだったのですが、やがて思い切ったのか、近づいていきます。そして、ピーナツに対し、再び、胸叩き、ドラミングをはじめました。今回はピーナツも受けて立ち、取っ組み合いの喧嘩になりました。メスを巡っての戦いは数日もの間続き、テリトリーには、むしり取られた毛と血が散乱します。草木はなぎ倒され、二匹は無数の傷を負いました。

 他の三匹の若オスたちは、この間、組み合っている両者に飛びつき頭を叩いたり、背の毛をひっぱったりして、何とか仲裁しようとしました。

 この様子を見て、山極教授は、この群れもすぐ崩壊するだろうなと思ったそうです。しかし、どうしたことか、二匹の大人オスの深刻な対立を孕みながら、群れは分裂せず、存続し続けたのです。

 パティを庇護しながら、一向に彼女と交尾しようとしないピーナツの態度も不審でした不思議に思いながらも、観察を続け、数カ月が過ぎたある日、教授はパティの股の間に衝撃的なものを見つけます。

「あれっ、何か生えてね!?」

そう、パティはオスだったのです。

ゴリラたちの愛の園

 山極教授が、五匹のオスが、一匹のメスを巡って争っていると思っていた群れ。しかし、実態は皆オスでした。

 ゴリラはその大きな体に見合わず、性器は小さく、性差も六、七歳までははっきりしません。そのため、熟練した観察者でも、見間違えてしまうことがよくあるのですね。

 群れの同性愛関係は、大人オス・ビツミー、子供オス・パティ間にとどまりませんでした。

 パティが成長してやや年増になると、彼より年下のタイタスが人気になります。タイタスはゴリラ界では魔性の美少年だったのか、パティを含めあらゆるオスが彼と交尾しました。

そして、タイタスとのセックスが引き金になったのか、この後、群れは、くんずほぐれつの乱交状態へとなっていくのです。

 子供オスのパティとタイタスはお互いに役割を交換しながらセックスし、若オスのシリーとエイハブはタイタスを愛しつつも、ときにビツミーに対しては自分が受け手となることもありました。一方、大人オスのビツミーとピーナツは常に仕手で、決して受け手となることはありません。

 教授は、集団を観察した十一カ月の間に、九十七例もの同性愛行動を記録しました。この間、彼らは、甲高い鳴き声をあげながら、抱き合い、腰を動かし、そして射精しました。

 教授は、その印象を、「彼らが奔放な性をむさぼっているとしか思えなかった」と書いています。

 そして、この群れは同性愛の関係が功を奏してか、何と7年もの間、分裂もせず存続し続けるのです。

ゴリラの人間の「男色」その共通点

 ここで、ゴリラと人間の同性愛を比較してみると、いくつか共通点があるようです。わたしが勝手に人類史のなかで一番男色が盛んだったと思っている、古代ギリシャと戦国日本を例にあげていきましょう。

 まず、両者とも女性がいない、完全に男だけの世界です。

 第二に、その構成員は、基本的に皆対等と見なされていました。古代ギリシャの男色は、武装した自由市民同士のものでした。

 日本の武士も、その草創期の鎌倉時代の記録には、くどいくらい「対揚」という、現在の対等と同じ意味を持つ言葉が出てきます。「俺とお前は対揚だろうが!」といった使われ方です。
 戦国時代になっても、侍たちは、連判状を書くときは、署名を円状に連ねて、上下関係がないことを強調しました。

 ゴリラの群れもフラットな構造を持っています。争いはあっても、勝ち負けは決して明らかにせず、最後は必ず、お互い見つめ合って和解します。
 また、山極教授は、ゴリラの同性愛の萌芽のひとつに、遊びがあるのではないかと考えておられます。

 ゴリラは遊び好きな生き物で、二時間も三時間も、追いかけっこやレスリングをして、たわむれ続けるそうです。また、オスメスで差があって、オスの方が頻度が高く、時間も長い。

 遊びはお互いの立場に立つという共感力がないと出来ません。また、力の強いものが、力の弱いものに、わざとやられてやったり、追いかけられたりするという、役割の転換なしでは成り立たず、また面白くないものです。

 ボノボやチンパンジーといったサルも遊ぶのですが、例えば、ニホンザルでは遊びと見られる行動が、せいぜい十秒ほどしか続かないのに対し、ゴリラは休憩も入れつつ、一時間以上遊び続けることが出来ます。これは、サルの群れは、ゴリラのそれと違って、序列がはっきりしていることに原因があるようです。

 ヒエラルキーの強固な社会では、役割の転換や逆転を起こす遊びは、序列への挑戦になるので、敬遠されるのですね。

 そして、セックスもまた、遊びと同じく役割の転換や逆転を呼び起こすものです。性愛のベッドの上では、強いものが弱くなったり、弱いものが強くなったりします。また、ゴリラの同性愛では、セックスに誘う仕草と遊びに誘う仕草はまったく同じものです。年少者の方から意味ありげに相手の顔を下からのぞき込むのですね。

 こう見ていくと、戦国日本や、古代ギリシャといった、対等の闘う男たちからなる集団と、ゴリラのオスたちの群れで起きた男色は、同じ根に同じ花を咲かせたものであり、ひょっとしたらこのゴリラの群れの例こそが、人間の男色の起源なのかもしれません。

 山極教授は、ゴリラの群れで起きた同性愛について、「オスたちがお互いに惹かれあい、共存することに大きな役割を果たしていました」と書いておられます。これは、まさに戦国日本や、古代ギリシャで栄えた男色についても当てはまる言葉でしょう。
 とはいえ、同性愛についてだけ、共同体における機能や必然性を求めようとするのも、危険な行為なのかもしれません。異性愛も別に明確な理由があってやることではないですものね。

 彼らは、好きで愛するにたる対象を見つけたから、自然に寄り添った、それだけのことなのです。
 

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