歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)、また歴史上の人物同士の相性を読み解く。
来年は、西郷(せご)どんブーム間違いなし! 来年の大河ドラマに決定! 日本人に好かれる男、西郷隆盛を取り上げる。
西郷 隆盛:(1828-1877)
生年月日:文政10年12月7日
(グレゴリオ暦:1828年1月23日)
それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。
○日柱の干支(かんし):「戊寅」(つちのえとら)
これは「春」の「山」を表す。まだ雪の残る春の山で、冬から目覚めようとしているパワーを持つ干支。山は動かず、動じず。どっしりと安定感のある人物であり、細かいことは気にしない性格だったのだろう。「おいどんはよかでごわす」これは、隆盛の口癖として伝わる。「隆盛」は父親の名前で、実際は「隆永(たかなが)」であったにも関わらず、藩に「隆盛」の名前で事務処理されてしまったため、「おいどんはよかでごわす」と言って、甘んじて受け入れたという。同様に「戊寅」を持つ人物として、織田信長のほか、ヒラリークリントンや稲垣吾郎(SMAP)がいる。
続いて、通変星、蔵干通変星、十二運星を見て性格について見ていく。
○主星「劫財(ごうざい)」:
欲しいものはどんな手を使っても手に入れようとする、自立心の星。組織をまとめるリーダータイプ。明確な目標で成功する。
西郷の命式表の中で、最も重要な星が、この劫財である。西郷といえば、まさにリーダー。1864年に起こった禁門の変では、薩摩軍を指揮して長州藩と戦い、1866年には薩摩藩のリーダーとして薩長同盟を結び、その後も江戸城開城に尽力。明治政府の中にあっては、参議、陸軍大将、近衛都督等リーダーの役目を任され、最期は不平士族のリーダーとして西南戦争を戦った。どんな状況の中でも、社交的で組織をまとめる才能に長けていたのであろう。
・自星「偏官(へんかん)」:
行動力、攻撃力の星。思い立ったら考えるよりもまず先に行動する。
隆盛の言葉として「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり 西郷南洲翁遺訓 第30条」があるが、隆盛自身、命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬ人、まさに私利私欲を捨てて国のために自らを捧げた人物として今に伝わる。
隆盛は複数回島流しに遭っていることはご存知だろうか?安政の大獄で追われていた、月照(げっしょう)を殺害するよう幕府から命令されていたにも関わらず、一緒に入水自殺を図ったため、その罪に問われ、奄美大島に流されている。その後、薩摩に戻った隆盛は、藩主・島津久光に下関で待機するように命じられたにも関わらず、上方の尊皇派志士達の企てを鎮めようと上方へ向かい、ドタキャン。命に逆らったことに久光は激怒、その後沖永良部島に流されている。
・「正財(せいざい)」「偏財(へんざい)」
ともに人脈、お金に恵まれる星である。人に対する気遣いは抜群。殊に「偏財」は、気遣いが行き過ぎ断れないため、お人よしで騙されやすい面を持つ。
隆盛の遺訓として、「敬天愛人」がよく知られる。「私たちは天を敬うことを目的とすべきであり、天は人を分け隔てなく愛してくれるので、私たちも自分を愛するように人も愛するべきである」という意味であるが、隆盛は上も下の関係なく、人を大切にした。
また、正財は結婚の星、偏財は恋愛の星でもある。つまり女性好きの面がある。隆盛には4人(3人)の奥さんがいる。それも、流刑地の奄美大島で愛佳那(あいかな)さんに出会い2児を設け、その後台湾に島流しに遭った際もお世話になった家の娘と子どもを設けたらしい。今と結婚の概念は異なるとはいえ、島流しの先々で家族を作るのはとても一般的とは言えない。やはり女好きだったのであろうか? はたまた、誘いを断れないお人好しな人物だったのだろうか?
・「印綬(いんじゅ)」:習得本能が強く、とっても頭のよい星。
西郷家は下級武士の家系であり、藩校(造士館)に通って教育を受けた。ここには、年長者が年下の者に対して責任を持って教え導くという独特の教育システムがある。隆盛は20歳で年長組のリーダー「二才頭」に選ばれており、大久保利通等、明治維新を担う多くの人材を育成している。少年時代に右腕にけがを負ったことから学問で身を立てるべく勉学に励んでおり、周りより学問に秀でていたことは確かであろう。
・「養(よう)」:
「養」はかわいい子どものイメージ。子どもは皆に好かれ可愛がられるように、「養」を持つ人物は、人気者で目上の人から引き立てを受ける。
西郷家は下級武士の家系。にも関わらず、明治維新で活躍できるまでに藩内で頭角を現したのは、藩主・島津斉彬の引き立てのお蔭であろう。斉彬は、藩政に対する意見書を求めた際、隆盛は、農政等に関する建白書を書き、藩庁に提出した。この建白書や意見書が、斉彬の目に留まり、登用のきっかけになっている。斉彬は隆盛に「庭方役(にわかたやく)」を命じ、国内の政治情勢や諸外国との関係、日本の政治的課題について教育をしたという。斉彬による隆盛の格別な引き立ては、「養」が一因なのかもしれない。
・「長生(ちょうせい)」:
とにかく他人から信用される星。
斉彬をはじめ、大勢の人物から頼られていたが、殊に坂本龍馬の信頼をなくしては「薩長同盟」は成り立たなかったとも言える。龍馬が姉・乙女に書いた手紙の中に、「私し其内ニも安心なる事ハ、西郷吉之助の家内も吉之助も、大ニ心のよい人なれバ此方へ妻などハ頼めバ、何もきづかいなし(もし薩長と幕府が戦争になった場合、妻を西郷家に預けておけば心配ない)」と書いているが、どれほど強い信頼を置いていたか伝わってくる。「わかりもした」の一言で時代を変えてしまう隆盛。何か頼れるオーラを持っていたのだろう。
・「絶(ぜつ)」:
人に裏切られたり精神的孤独を感じたりする、苦労が多い星。普通の生活に向かない。
隆盛は人から信用されるリーダー…その反面、「絶」のような、生きにくい性格を持っていたというのは、個人的には納得が行く。最終的に西南戦争で自刃をした隆盛だが、その前にも2度、自殺を図っている。1度目は、斉彬が亡くなった時。斉彬を強く慕っていた隆盛は、切腹し後追いしようと考えた。それを思いとどまらせたのが、京都清水寺成就院の僧侶・月照。
今回の鑑定結果について、西郷隆盛のご子孫、西郷隆仁氏に見解を伺った。「どの結果も納得の行くものであるが、女性好きというのはやっぱりという感じ(笑)。坂本龍馬は隆盛について『小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く男。もし馬鹿なら大馬鹿で、利口なら大利口だ』と表現しているが、捨て身で飛び込む偏官のような部分を強く持っていたのだろう」
※今回の鑑定において、西郷隆仁氏の講演資料を参考にさせてもらった。ありがとうございました。

複数回の流刑罪に、二度の自殺未遂。明治維新を成し遂げた英雄から一転、逆賊へ。
来年の大河ドラマは、「西郷(せご)どん」。今年の大河ドラマ、「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎は後に隆盛が翻弄されることになる井伊直弼の祖先にあたる。何の因果か、興味深いところだが、来年の大河ドラマを楽しみに、今年の大河ドラマも満喫しようと思う。■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。
「西郷隆盛と薩摩」松尾千歳 吉川弘文館(2014)
西郷隆盛のホームページ 敬天愛人