歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)、また歴史上の人物同士の相性を読み解く。

 明治維新の要となった公家、岩倉具視を鑑定する。

岩倉 具視:(1825-1883)
生年月日:文政8年9月15日(グレゴリオ暦:1825年10月26日)

数々の「日本人初」を達成 朝廷を動かし明治維新を成し遂げた大...の画像はこちら >>
 

 それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。

○日柱の干支(かんし):「己亥」(つちのとい)
 これは「冬」の「畑」を表す。「畑」なので、何かを育てることに長けている。人の教育、事業や仕事の拡大に力を注ぐタイプ。殊に季節は冬であるので、春の種まきに向け、慎重に準備を重ねる人物であろう。具視は、明治維新十傑の一人。

現状を冷静に見極め、人を育てながら、明治維新を為すための土台固めを作った。
 また、己亥は異常干支の一つであり、肉体的に強い感性を持ち、危険を避ける、身をかわすのが得意。明治維新に加担した人物は、暗殺され亡くなっている人がほとんどである。実際、具視自身も、明治7年(1874年)に東京の赤坂喰違(くいちがい)坂で、高知県士族9名に襲われ、顔と左腰に軽い負傷をしたものの、皇居の四ッ谷濠へ転落し一命を取り留めている(喰違の変)。この事件で九死に一生を得たのも、生涯を全うできたのも、強い感が働いていたのかもしれない。
 同様に「己亥」を持つ有名人として、糸井重里、石坂浩二、中島みゆき、山口もえ等がいる。

 続いて、通変星、蔵干通変星、十二運星を見て性格について見ていく。

○主星「劫財(ごうざい)」
 欲しいものはどんな手を使っても手に入れたい、非常に強い星。明確な目標を持って成功し、組織を上手くまとめられるため、リーダーに向いている。
主星はその人の本質を表す最も重要な部分。その場所に「劫財」を持っているとは、子ども時代から高い志を持っていたのだろうか?公卿・堀河康親の次男として京都に生まれた具視であるが、容姿や言動に公家らしさがなく異彩を放っていたそうである。その後、朝廷儒学者・伏原宣明に入門するが、伏原は具視を「大器の人物」と見抜き、岩倉家への養子縁組を推薦したという。

その後は、一時謹慎期間があったものの、その生涯は明治維新、明治政府のリーダーとして、組織をまとめ、国民をまとめた。

○自星「正財(せいざい)」
 最も真面目な星。誠実で家庭的、コツコツ努力するタイプ。人脈、お金に恵まれる星であり、人に対する気遣いは抜群。信頼関係を築くのが得意。結婚の星でもある。


 お家柄もあるだろうが、真面目な性格だったのであろう。また、生涯にわたって人脈に恵まれた。若年期、具視は孝明天皇の近習として使いを行っていた。通信や交通が未発達な当時、主人の意見を他人に伝える役が必要とされた。近習としての仕事は大勢の重要人物への出会いに繋がり、幕府内や公家社会に人脈を繋げた。西郷隆盛もその一人である。
この時の人脈が明治維新に繋がったと言っても過言ではない。

○印綬(いんじゅ)
 いわゆる頭のいい星。学問好きで、好奇心旺盛。幅広い知識を持っており、論理的に思考することが得意。一方で頭で考え過ぎてしまうため、なかなか行動に移せない星でもある。
 幕末において、和宮降下や王政復古、明治政府において、版籍奉還、廃藩置県、岩倉使節団等と次々と施策を実行した具視は当然頭がよかったのだろう。


「印綬」はなかなか行動に移せない性格であるが、前述の「正財」と結びつくことで、さらにのんびりな性格になる。石橋を叩いて渡るタイプでであったか否か定かではないが、ひとつエピソードが残っている。岩倉使節団の団長として欧米を訪れた際、ただ一人、具視のみがちょんまげと和服姿であった。明治4(1871)年に断髪令が出された後も、ちょんまげは武士の魂と考え、落とすことを拒んでいたという。(息子の岩倉具定らに説得され、シカゴで断髪している)

○傷官(しょうかん)
 感情の起伏が激しく傷つきやすい面があるが、交渉能力が高く頭のいい星。芸術に長けている星でもある。
 若い頃から具視は芸術好きで、和歌が好き、得意だったのだろうか。嘉永6(1853)年、関白・鷹司政通へ歌道入門している。これが、下級公家にすぎない具視にとって大きな転機となった。朝廷改革の意見書を政通に提出し、積立金を学習院の拡大・改革に用い、人材の育成と実力主義による登用を主張した。交渉能力も高かったのであろう。このことをきっかけに朝廷への発言力を強めていった。
 しかし、関白・鷹司政通に入門したのは、本当に歌が好きだっただけだろうか?主星に「劫財」を持っており、欲しいものはどんな手を使っても手に入れたい具視が考えることである(上記)。もしかしたら、こうなることを予想していたのかもしれない。

○食神(しょくじん):
 おおらかで明るい、遊び好きの星。子どもっぽいところがある。
 具視の性格はあまり知られていない。しかし、明治維新で活躍した具視は、数々のドラマや映画で登場している。個人的に印象に残っているのは、『八重の桜』(2013年のNHK大河ドラマ)で小堺一機が演じた具視。公家のイメージとは少し違うが、ノリが良く、おおらかで明るい雰囲気であった。もしかしたら、そんな側面もあったのかもしれない。

○養(よう)
 みんなに好かれ、目上の人から引き立てられる星。

○長生(ちょうせい)
 学問が好きで順応性が高く、穏やかな性格。とにかく人から信用される星。
前述のように、岩倉は多くの人に信頼され、目上の人物から引き立てを受けて来たようである。まずは、子ども時代に朝廷儒学者、伏原宣明に入門したことが岩倉家の養子に繋がった。また、その後、関白・鷹司政通へ歌道入門したことが出世への第一歩となった。終ぞ孝明天皇に信頼されて近習を、明治天皇からも信頼を受け病の床へ数度お見舞いも受けたという。

○胎(たい):
 好奇心が旺盛で、変化を好む。理想を求めて満足できず、新規開拓に向いている。
 具視の偉業の一つとして岩倉使節団が挙げられる。1871(明治4)年、具視は外務卿(外務省長官)に就任したが、かつて徳川幕府が結んだ不平等条約、日米修好通商条約の条約改正が課題であった。近代化した欧米列強と対等に付き合うために諸国を視察すべく、1年10か月間かけてアメリカやヨーロッパ諸国を巡った。好奇心旺盛で新しいもの好きの具視にはぴったりの役回りであったのであろう。さぞかし楽しかったに違いない。具視は欧米の文明に多いにカルチャーショックを受け、鉄道の重要性を訴え、帰国後鉄道の設置に尽力している。

 今回の四柱推命鑑定の結果について、岩倉家に嫁いだ、岩倉規子氏に見解を伺った。「すごく意志が強い人であるということは、前々から感じていた。あの時代に使節団のリーダーとしてヨーロッパやアメリカに出ていくのは相当な覚悟が必要。好奇心と美意識が強くここぞというところで決断ができたのでは?主人もその血を継いでいると感じていた。」とコメントを頂いた。

数々の「日本人初」を達成 朝廷を動かし明治維新を成し遂げた大人物・岩倉具視
岩倉家に嫁いだ岩倉規子氏(写真右)と筆者。

 具視は咽頭がんにより59歳で亡くなった。明治維新に貢献したことで、日本初の国葬が行われたという。(因みに、がんの診断を受けたのも具視が日本で初めてだったそうである。)様々な「日本人初」を成し遂げた具視。新しいことを取り入れよう、挑戦しよう、強い意思と覚悟があったからこそ、日本は世界中から一目置かれる大国となり、今私達の生活が成り立っているのだろうか? そう感じる。

■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。