小説家・劇作家の三島由紀夫は、一九六一年に二・二六事件をテーマにした『憂国』を発表。一九六八年、民兵組織「楯の会」を結成。『豊饒の海』四部作完成後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊員にクーデターへの決起を呼びかけ、割腹自殺した。
これをもって三島はエキセントリックな右翼と誤解されることが多いが、私の判断では極めて真っ当な保守である。
たしかに晩年、三島は右傾化した。その事情は拙著『ミシマの警告』(講談社+α新書)で書いたので繰り返さないが、三島は文学者、保守主義者として死んだのではなく、武士として憤死したのである。保守主義者が右翼に転じることはあり得るが、保守主義者であり同時に右翼であることは概念上あり得ない。保守主義者としての三島は、国家主義や民族主義に対する警戒を怠らなかった。
❝第一、日本にはすでに民族「主義」というものはありえない。われわれがもはや中近東や東南アジアのような、緊急の民族主義的要請を抱え込んでいないという現実は、幸か不幸か、ともかくわれわれの現実なのである。❞ (『裸体と衣裳』)国家主義や民族主義は、保守性とは直接関係ない。共産ゲリラは民族主義と結合したし、社会主義国はナショナリズムに支えられている。
三島には守るべきものがあった。
それは日本語です。
言葉はわれわれが生まれる前から存在しているものであり、自国語で思考する以上、それは世界そのものである。
三島は言います。
❝ことばというものは、結局孤立して存在するものではない。芸術家が、いかに洗練してつくったところで、ことばというものは、いちばん伝統的で、保守的で、頑固なもので、そうしてそのことばの表現のなかで、僕たちが完全に孤立しているわけではない。❞ (「対話・日本人論」)言葉の中に、あらゆる「日本的なもの」は含まれている。
では、日本語を守るためには、どうすればいいのか?
自由社会、社会の靭帯である皇室、議会主義を守らなければならないと三島は考えた。
よって、敵は左と右から発生する全体主義ということになります。
全体主義は近代特有の病です。
だから、近代を知る必要がある。
三島は「アジアにおける西欧的理念の最初の忠実な門弟は日本であった」と言います。しかし日本は近代史をあまりに足早に軽率に通り過ぎてしまった。近代化を急ぐあまり、西欧的理念の表層だけを受容した。そして啓蒙思想の危険性を説いてきた真っ当な知の系譜を軽視した。
「近代史の飛ばし読み」により、われわれは、自分たちが何をやっているのかさえわからなくなったのである。
こうして「保守」が「急進的改革」を唱え、権力の中枢において国家の解体が進められ、「愛国者」が「売国奴」に声援を送る時代がやってきた。
安倍でもわかる三島由紀夫のお話~言葉の混乱~三島は言葉を正確に使う人でした。
だから、言葉の混乱が許せなかった。
戦後の日本の政治家で、もっとも言葉が軽いのは間違いなく安倍だろう。
頭も軽いが、言葉も異常に軽い。
三島は言います。
❝記者クラブのバルコニーから、さまざまな政治的スローガンをかかげたプラカードを見まわしながら、私は、日本語の極度の混乱を目のあたりに見る思いがした。歴史的概念はゆがめられ、変形され、一つの言葉が正反対の意味を含んでいる。~(中略)~民主主義という言葉は、いまや代議制議会制度そのものから共産主義革命までのすべてを包含している。三島が指摘するとおり、言葉の混乱は政治に利用される。
わが国においては、民主主義と議会主義が混同され、単なる反共主義者や新自由主義者、アメリカかぶれ、国家主義者が「保守」と呼ばれてきた。
言葉のごまかしは全体主義の指標だが、安倍政権下において最終段階を向かえている。
移民は「外国人材」、家族制度の破壊は「女性の活用」、戦争に巻き込まれることは「積極的平和主義」、秩序破壊のための実験は「国家戦略特区」、不平等条約のTPPは「国家百年の計」、南スーダンの戦闘は「衝突」……。議事録も勝手に書き換える。都合の悪いことがあれば、現実のほうを歪めるわけです。
事実そのものが抹消・捏造されるなら、歴史の解釈すら不可能になる。
三島の敵は、まさに「安倍的なもの」だった。
【最新刊『安倍でもわかる保守思想入門』より構成】