たいていの場合、彼らがそう期待されていないからだ。
──スティーブ・ジョブズ写真:ロイター/アフロ
聞くだけで気後れしてしまうような逸話に事欠かないスティーブ・ジョブズですが、ipodの開発に関連して、こんな出来事があったそうです。
ジョブズの苛酷な要求に応えながら、なんとか最初のiPod試作機を完成させた担当エンジニアたち。仕上がりをチェックしてもらうため、エンジニアがジョブズに試作機を披露しました。すると、ジョブズは端末をいじくりまわし、ジロジロと眺め、手のひらに乗せて重さを確認したりした後、その場で「却下」を宣告したのだとか。「まだ大きすぎる。もっと小さくしろ」と。
エンジニアは「ここまでくるのに、何度も何度もつくり直しました。これ以上、小さくなんて絶対にできません」と弁明します。しばし沈思黙考するジョブズ。そして、試作機を手にして突然立ち上がったと思ったら、部屋にあった水槽のところに歩み寄り、試作機を水槽のなかへドボンと沈めてしまいます。端末は沈みながら、ブクブクと気泡を吐き出しました。
「あの泡はiPodのなかにあった空気だろ?」「まだ隙間があるってことだ。あの泡の分だけ、もっと小さくしろ」
君はまだまだ粘りが足らない、もっと努力せよ──そう追い詰められるような、えもいわれぬ緊張感です。
ともすると、強権的、独善的にも映るジョブズですが、もちろん彼なりの哲学がありました。
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人が優れた仕事をできないのは、たいていの場合、彼らがそう期待されていからだ。誰も本気で彼らのがんばりを期待していないし、『これがここのやり方なんだ』と言ってくれる人もいない。でも、そのお膳立てさえしてやれば、みんな自分が思ってた限界を上回る仕事ができるんだよ。歴史に残るような、本当に素晴らしい仕事がね。
(桑原晃弥『スティーブ・ジョブズ名語録』より)
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つまり、社員のポテンシャルを信じ、それを最大限に発揮してほしいと期待しているからこそ、自分は厳しい要求を社員にするのだ、というわけです。
ジョブズは、自分のやり方について、こんな言葉も残しています。
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オブラートにくるんだりせず、ガラクタはガラクタと言うのが僕の仕事だ。
(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ II』より)
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言葉に気を付けたり、相手の感情を慮ったりしたせいで、肝心の真意が伝わらないことや、製品やサービスのクオリティが不十分なものになってしまうことのほうが問題。そうなるくらいなら、自分は思ったことを、思ったままに口にする……といったところでしょう。完璧主義者であることに加えて、何事においてもシンプルであること、合理的であることに重きをおいたジョブズからすれば、オブラートにくるんで遠回りするより、歯に衣着せずに発言して最短距離を進むほうがいい、となるのも、まあ道理です。周囲は戦々恐々でしょうが。
また、こんな発言もしています。
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僕のいちばんの貢献は、本当にいいもの以外にはつねに口を出し続けたことだ。
(桑原晃弥『スティーブ・ジョブズ名語録』より)
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自分が口うるさく指摘を重ね、関係する人々に限界を超えるほどの献身を要求したからこそ、本当にいいものを生み出すことができたのだ、という強い自負を感じる言葉です。
ジョブズ流のプロジェクト推進方法は、メンバーに苛酷なまでの負担を強います。しかし、その厳しい道程を乗り越えた先には、素晴らしい成果が待っている。メンバーそれぞれが成長を実感できる。そうした結果が伴うからこそ、どうにか成り立っているようなやり方です。
そうした手法が受け入れられていた背景には、ジョブズの創造性や発想の素晴らしさ、さらにはそれを具体化することで社会にまったく新しい価値を提供できるというジョブズの強い信念に対する共感がありました。要は、ジョブズ自身が強く放つカリスマ性と進取の気質が強烈だったからこそ、周囲の人々もどうにか付いていくことができたのです。換言するなら、ジョブズだからできたこと、という側面が非常に強いといえます。
ジョブズへの敬意や影響を公言し、信奉する人は少なくありません。スタートアップ界隈の事業家たち、そしてそれを目指す人たちのなかにも、ジョブズ信者のような御仁が散見されます。それ自体を否定する気はさらさらありませんが、中途半端にジョブズの真似をするのは、あまり賢明なやり方ではないでしょう。本気でジョブズ的なスタイルで仕事をしていこうとするなら、それは確実に茨の道です。そもそも、本人に圧倒的なまでの求心力と推進力、そして結果が伴わなければ、単に独りよがりな経営者が周囲を翻弄し、ブラック労働を強いるだけの環境となるでしょう。
そういった意味で、スティーブ・ジョブズの言葉は、強烈なカンフル剤となる一方で、身を滅ぼすほどの劇薬にもなるものなのです。