『昔々物語』に、七十年以前の武家の婚姻について書かれている。
同書の成立は享保十七年(1732)ころと見られているので、七十年前といえば寛文二年(1662)で、四代将軍家綱の時代である。江戸時代初期の武家の婚礼の様子といえよう。
武士の結婚はあくまで家と家の結婚だった。また、女が男の実家の屋敷に嫁入りし、数世代同居となるのが当然だった。
婚礼の日、新郎の実家にも新婦の実家にもそれぞれ親類縁者が集まり、料理を出してもてなし、夕暮れを待った。日が暮れかかると、新郎の実家では門前や玄関、台所に家紋のついた丸提灯をかかげた。
暮六ツ(日没)の鐘が鳴ってもまだ花嫁がやってこないようだと、何度か催促の使者をたてたあと、花婿の親類ふたりが花嫁の実家に行き、こう告げた。
「お輿(こし)がおくれているようです。早くお輿入れくださいと新郎の両親が申しておりますので、お迎えにまいりました」
花嫁の側では親類はこう挨拶する。
「押し付け出すつもりでございます」
しかし、なにかと手間取り、五ツ(午後八時ころ)になってようやく、白張り無紋の丸提灯を青竹で多数かかげ、花嫁をのせた輿が実家を出発する。
総じて、花嫁の実家はなにかと理由をつけて、輿の出発をおくらせようとする。いっぽう、花婿の実家はとにかく輿の出発を早めさせようとする。
花嫁の輿の出発が早いのは実家の恥、輿の到着がおそいのは花婿の実家の恥と見られており、おたがいに意地の張り合いのようになっていたのだ。
このため、花嫁が花婿の実家に輿入れしてくるのは早ければ暮六ツ、おそい場合は九ツ(午前零時)や八ツ(午前二時)になることもあった。
新郎と新婦の実家がおたがいに家格をほこり、いわゆる「武士の意地」を張り合っていたわけだが、一番迷惑したのは新郎新婦である。その日の夜が、ふたりにとって新枕(にいまくら)、いわゆる初夜なのだから。
格式にこだわる婚礼の場合、肝心の新郎と新婦がないがしろにされた。往々にしてふたりの新枕が深夜になったのは、連載第86回「縁談から初夜までたった16日!? 江戸のスピード結婚」にも書いたとおりである。
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