「哲学者」といえば、とかく浮世離れした人物のようなイメージがある。ソクラテス、ルソー、カント、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン……有名な哲学者は皆、個性的な生き方をしていた。彼らの思想は、分厚い哲学書を読むだけでなく、個性的な生き様にも表現されている。世界最古の哲学者とされているタレスという人物もまた、個性的な生き方をしていた人物だった。第一回はそのタレスの生涯を追う。
「あなたは足元にあるものさえ見えないのに、天上にあるものを知ることができるのか!?」タレスは夜な夜な月や星の観測のために外を出歩いていた。だが、あまりにも星空に熱中してしまい、ずっと上ばかり見上げて歩いていたために、道端の溝に気づかず転落してしまったことがあった。
この時のタレスの星空観測には女性がお供していたそうだが、タレスのあまりの熱心さに呆れるあまり口をついて出たのが上の言葉である。
お供していた女性は老婆だったという説があるが、もし若い女性との夜のデートの途中だったとしたら、お相手の女性はさぞかし興醒めしたのではないだろうか。
タレスは生涯独身で養子をもらったと言われている(結婚して子供をもうけたという話もある)。
適齢期を迎えたタレスを見かねて、ある時母親が無理矢理結婚させようとした。だがタレスは「まだその時期ではない」と答え、キッパリ断った。
しかし、しばらく年月が経ち、母親がもう一度タレスに結婚の話をした時には「もはやその時期ではない」と答え、再び断ったらしい。つまり、そもそも最初から結婚するつもりはなかったということなのだろう。
こういった逸話からは、俗世間に興味がなく、世界の真理を探究することにばかり考えているような人物像が浮かび上がってくる。
著作が残っていないタレスタレスは紀元前624年頃に生まれ、紀元前546年頃に78歳、もしくは90歳で亡くなったと言われている。なにしろ古代の人物なので、はっきりしたことがわからない場合も多く、生没年や亡くなった年齢にも諸説がある。
哲学者としてのタレスは、古代ギリシア世界に大きな影響を与えた。だが、家系的にはギリシア系ではなくフェニキア人の名門一家の生まれだったとされている。住んでいた街もアテネなどがある現代のギリシャの領域ではなく、アテネからエーゲ海を挟んだ対岸にあり今ではトルコ領となっているイオニア地方のミレトスという植民都市だった。
同時代のイオニアには他にもアナクシマンドロスやアナクシメネスという哲学者がいた。そして、彼らの系譜を受け継ぐアナクサゴラスという哲学者が紀元前480年頃にイオニアからアテネへと移り住み、ソクラテスへ影響を与えることとなった。
ソクラテスの思想はプラトン、アリストテレスへと受け継がれていく。こうしてタレスの哲学は、後の西洋哲学の起源となったのである。
哲学者にとって欠かせないものに思われる書物だが、タレスの場合は一冊も残されていない。
『航海用天文学』という書物や『太陽の至点について』『春・秋分点について』という書物を書いたと言われているが、詳しいことはわからない。古すぎて散逸してしまったのだろう。
現代に残されているのは、いくつかの逸話と言葉、「万物の始まりは水である」とする断片的な文章が伝聞によって伝わっているだけである。
いずれにしても、彼がフェニキア系の名門一家として植民都市ミレトスの政治に関わる一方、現代で言うところの天文学の研究を行っていたことは確かなようだ。
天文学者としてのタレスは、小熊座の発見、太陽の至点から至点までの軌道(夏至と冬至)の発見、日食の予言、ひと月の最後の日を「第三十日」と呼ぶ、一年を365日に分けて四季の区別を見出すなどの功績を挙げたとされている。
また、幾何学の分野で半円に内接する三角形は直角であるとする「タレスの定理」を発見した。
タレスはエジプトにも行ったことがあり、古代エジプトの神官や学者とも交流があった。ギリシアよりもさらに古い歴史を持つエジプト文明からも影響を受けていたのかもしれない。
彼はエジプトでも「世界初」の業績を残している。
哲学者といえば「人はどう生きるべきか」というような問題を考えているようなイメージがあるかもしれないが、タレスはこのように現代で言うところの自然科学者のイメージに近い人物であった。
彼が残した個々の功績以上に大きいのは、世界に唯一の「根源」があると想定したこと、そして自然界の秩序を発見したことである。
それまでの人間たちは、神話的な世界観から自然を理解していた。たとえば、日食には「神の死と再生」のような意味があったり、地震や洪水は神の怒りによるものと考えられていた。
だが、タレスは自然科学的な観点から自然を観察して、太陽や月、星の運行から日食の日時を計算して割り出したり、四季の移り変わりから気候を予測したのである。
神々は人間から見えない。自然が神話的な説明に基づいているのであれば、いつ何時、どのようなことが起きるかも予測できない。すると、世界は不条理に満ちていて、人間はただ神々の怒りに触れないように生きていくしかなくなるだろう。
だが、神話的な説明とは別に法則や秩序が存在しているのであれば、それに基づいて計算し、物事を合理的観点から予測できるようになる。そして、もしその秩序のおおもととなる究極の根源を見出すことができれば、世界のありとあらゆる事象を知ることができるようになるだろう。
古代ギリシア以後の西洋哲学は、基本的にはこういった合理的な発想に基づいて発展してきた。
一方で、タレスはオリーブが豊作になりそうだと予想すると搾油機を買い占めて莫大な利益を挙げたりするような投資の才覚まで持ちあわせていた。気候の変化を推測して事前に投資し、利潤を得るという行為からは、経済学的な合理性さえも備えていたとも考えられる。
それほどまでに合理的な人間であるタレスが頑なに拒むのだから、あるいは結婚という行為は人間にとって合理的なものではないのかもしれない。
俗世間の物事に関心がない人物であるようにも思えるタレスであるが、彼のものとされている手紙からは、実際にはかなり行動力があり、いろいろな土地を旅行してたくさんの見知らぬ人と会い議論を交わすことが好きだった様子がうかがえる。
また、古代オリンピックを生み出した他のギリシア人と同じように無類のスポーツ好きだったようだ。
彼の最期は、炎天下の中で体育競技の観戦をしていた時である。暑さと乾き、そして78歳とも90歳とも言われる老年による衰弱のため亡くなったそうである。
西洋文明が誕生する時代に地上から遥か天上の星々を眺め続けたタレスであったが、天に召された彼の目に地上で繰り広げられた人類の歴史はどのように映ったのだろうか。