名古屋人が漢語っぽいサムライ言葉を話す、というのはホント。なぜ、名古屋では武士言葉が日常的につかわれているのか? 清水義範著『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)で紹介されている。
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◆武士の言葉みたいな名古屋弁

「ごぶれいする」と名古屋の人は言うのである。これはまるで江戸時代の侍の言葉のようだが、名古屋ではよく耳にするのだ。男性の言い方なのかと思いがちだが、私の母などは、先に風呂に入ってしまって出た時に、「お先にごぶれいしました」と今も言っている。

 もちろん、「御無礼する」がもともとの形である。

「これは御無礼をつかまつった」と言えばまさしく侍の言い方となる。もともとは、無礼なことをして申しわけない、お許し下さい、という気持ちをこめた
言い方なのだが、そこまで謝罪する気はなくても、軽く「ごめん」「ちょっと失礼」という感じに使われている。

その意味では「失礼」とか「失敬」という言葉と同じ成り立ちの言い方である。(中略)

 先に風呂に入った時には「お先にごぶれいしました」でいい。先に帰りますは「お先にごぶれいします」となる。先に会食を始めている時、あとから来た人に言うのが「ごぶれいして、よばれとるわ」である。

 どうぞうちへ寄っていって下さい、と招かれて、お邪魔する時には「そんならちょっとだけごぶれいするか」である。

 そして、もうそろそろ帰ろうか、というのを仲間と相談する時は「まあ、そろそろごぶれいしよまいか」となる。

◆侍言葉の原形は愛知の言葉

 さてそこで、どうして名古屋には「御無礼する」なんていう漢語っぽい言いまわしが残っているのかだが、これは侍の言葉から広がったものじゃないのか、というのが私の立てた仮説である。侍の言葉なら江戸(東京)から広がるだろう、と思う人がいるかもしれないが、徳川家や豊臣家はもともと愛知県から出ている、というのを忘れてはならない。だから侍言葉の原形は愛知の言葉なのだ。

 それが、名古屋では町人にも広がっているのではないだろうか。たとえば名古屋には、「勘考する」という言い方がある。よく考える、という意味だが、「みんなで勘考してやってこまい」なんて言うのだ。

この漢語っぽさに、私は侍を感じるのだ。

 やんちゃな悪ガキのことを名古屋では「おうちゃくい子」と言うが、あれ「横着い」で、これも変に漢語っぽい。

 さしさわりなく無事にやっていることを、「あんばようやっとる」と言うのだが、あれは「塩梅よく」がもとの形である。

 そんなふうな、侍の言いまわしが広がったものの一つが、「ごぶれいする」ではないのか、というのが私の仮説だ。

その他、消えゆく名古屋弁、じゃんけんを「いんちゃん」というなど、変わった名古屋弁のエピソードが清水義範著『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)で紹介されている。