誰もが主人公や、おおまかなストーリーは知っているが、原典は読んだことがないという古典は数多い。
筆者も子供のころ、漫画や子供向けのダイジェスト本で読み、それでもう読んだ気になっていたから、いまさら原典を読もうとは思わなかった。
ようやく日本古典文学大系(岩波書店)の『東海道中膝栗毛』を通読したのは中年になり、時代小説を書き始めてからである。当時の東海道の宿場や旅籠屋の実態を知りたいと思ったからにほかならない。
読み始めて、その内容に愕然とした。
弥次喜多の演じる滑稽のほとんどは、身体障害者など社会的弱者に対するいたずらや、からかいなのだ。もちろん、最後にふたりはしっぺ返しを受けるのだが、読んでいてとても「滑稽」とは感じられない。むしろ、不快になってくる。現代でいうところのユーモア小説ではない。
教科書にも書名が登場するほど有名でありながら、現代語訳が出版されないはずである。漫画やダイジェスト本でしか出せないということであろう。
先述したようにほとんどの人が通読していないであろうから、弥次喜多のふたりが旅に出発するまでの経緯を述べよう。そのでたらめさはあきれるほどだが、当時の性生活の典型のひとつであるのは間違いあるまい。
弥次郎兵衛は駿河府中(静岡市)の豪商の家に生まれたが、父親が死んでからは安倍川遊郭にかよいつめ、さらには鼻之助という若衆と男色関係になるなど、放蕩のかぎりをつくして、とうとう家産をかたむけてしまった。
いくばくかの金を持ち出した弥次郎兵衛は鼻之助を連れ、府中を出奔した。
江戸に着くと神田に家を借りたが、遊んでばかりいるのでついに金を使い果たし、鼻之助を居候に置いておく余裕もなくなった。そこで、鼻之助を喜多八と改名させ、商家に奉公に出した。
その後、弥次郎兵衛は府中にいたころ覚えた趣味を生かしてその日暮らしをしていたが、まわりの人の世話で、年上の女を女房にもらった。
いっぽう、商家に奉公していた喜多八は下女に手を出し、妊娠させてしまった。発覚すると奉公先を追い出されるため、喜多八は友人と共謀して、弥次郎兵衛と女房を離縁させ、自分が妊娠させた女を後妻に送り込もうとする。
喜多八の陰謀は成功し、弥次郎兵衛はそれまでの女房を離縁し、あらたに身重の女を女房に迎えたが、その晩、産気づいて苦しみ出し、ついには死んでしまう。あげくは、喜多八も奉公先から追い出されてしまった。
弥次郎兵衛と喜多八で軽口をたたき合いながら、死んだ女を早桶(棺桶)に入れたところに、父親が訪ねてきた。
そこで、蓋を取って見せてやると、父親は、「この仏には首がない。それに、男の死人と見えて、胸ひげがはえている。娘ではない」と言う。
じつは、女の死体をさかさに入れていたというのがオチとなる。
こうした騒動を経て、弥次郎兵衛と喜多八のふたりは旅に出ることになった。
なんとも、ふたりのでたらめぶりには、あいた口がふさがらないといおうか。現代人の感覚ではとうてい「滑稽本」とは受け取れないが、当時の人は大いに笑い興じていたのである。なんせ、『東海道中膝栗毛』はベストセラーだったのだから。
それにしても、現代の子供向けの漫画やダイジェスト本には、弥次さんと喜多さんが男色関係にあったことはいっさい書かれていない。当然と言えば当然であろうが。