「日本軍」の“遺産”を受け継いで……30年前に極限まで到達したテクノロジー
1989年の今日、日本はひとつの新記録を樹立した。
国内の最先端技術を結集して建造された有人潜水調査船「しんかい6500」が、造船所による公式試運転で最大潜航深度6527メートルという世界記録を達成したのだ。この記録が2012年まで破られなかったことを考えると、驚異的な偉業だったといえる。潜水調査船の設計や建造に必要な能力を、日本は「しんかい6500」の時点で、ほぼ限界にまで高めていたということだからだ。
現在も堂々の世界第2位(1位は中国の7020メートル)だが、実はこれより深度を伸ばそうとすると、今までになかった技術的な課題が数多く姿を現すという未知の領域に突入してしまうそうだ。
2007年3月に記念すべき1000回目の潜航を果たし、2012年3月に終えた建造以来最大の大改装を経て、2017年現在も現役で稼働している「しんかい6500」。用途は世界中の海で海底の地形や地質、深海生物の調査などをおこなうことだが、たびたび学会や世間を驚かせる新発見もしてきた。最近では東日本大震災の震源海域で大きな亀裂を確認し撮影したりもしている。
戦前、海軍が潜水艦を建造していた日本は戦前、あまり活躍したとはいえないが海軍が潜水艦を建造し保有していた。その歴史は日露戦争直後の1906(明治39)年に竣工した「第六潜水艇(後に潜水艦と改称)」にはじまった。
この艦は1910(明治43)年、ガソリンエンジンによる潜航実験中に海中で遭難するという事故で知られている。
ちなみに近代潜水艦の元祖とされるホランド号がアメリカ海軍に就役したのは1900年だから、当時の「日本軍」は最先端技術の研究にどん欲だったともいえる。
その姿勢が受け継がれた結果、水上速力と雷撃能力の向上に特化した海大型潜水艦や、航続距離と索敵能力の向上に特化した巡洋潜水艦(巡潜)の発展を促したともいえるだろう。そして巡潜の集大成といえるのが、偵察能力アップのため水上機を搭載するという日本独自の発想をフルに発揮した潜水空母の「伊400型」だった。
「伊400型」を建造したのは呉海軍工廠だが、ほかに三菱重工と川崎重工という民間2大メーカーも潜水艦を建造していた。そのひとつ三菱重工が「しんかい6500」を建造した。つまり、直接ではないだろうが戦前から培ってきた潜水艦建造技術が、「しんかい6500」にも受け継がれているということだ。
そして今、「しんかい12000」の建造という未知の領域へのチャレンジが計画されている。