イラスト/フォトライブラリー『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 江戸時代、社会保障も年金制度もなかったから、庶民は年をとって働けなくなったとき、息子夫婦に養ってもらうのが普通だった。


 子供がいない夫婦はどうするか。養子をもらい、その後、養子に嫁をもらい、跡継ぎとした。あるいは、養女をもらい、その後、婿養子を迎えて跡継ぎとした。江戸時代、養子や養女が多かったのはこのためである。
 しかし、悲劇もあった。『即事考』に、つぎのような事件が記されている。

 芝口二丁目に住む五十歳くらいの男が養女をもらった。男はすでに女房に死に別れ、独り暮らしだった。
 ゆくゆくは娘に婿養子を迎え、自分は安楽な隠居暮らしをするつもりだったのであろう。

 ところが、娘が十六歳になったころから、男はその色香に迷い、寝ているところをさわったり、なでたりするようになった。
 娘は悩み、近所の人に、「夜中、お父っさんが変なことをするので、もう、いやで、いやで」と、訴えた。噂はパッと広がり、居づらくなったため、親子は文化十四年(1817)の春、浜松町一丁目に引っ越した。

 男もさすがに反省したのか、娘と相談の上、婿として、神明町の伊平という駕籠かき人足を迎えた。
 しかし、婿を迎えたものの、男は娘への執着を捨てられない。その後も、娘夫婦の房事をのぞいたり、事後の始末の紙をさぐったりといったことが続く。
 娘はついに耐え兼ねて、伊平とともに家を飛び出してしまった。

 

 あいだに立つ人があって、両者の言い分を聞いたうえで、「娘夫婦は別居するが毎月、伊平が父親に金一分を送金する」という条件で話がまとまった。
 あいだに立った人が男に懇々と説諭し、納得したかのように見えた。

 しかし、男はやはり得心できなかったようだ。
 三月十二日、男は包丁を隠し持つや、伊平の留守をねらって娘のもとに押しかけた。そして娘を刺し殺したあと、自分も自害して果てた。

 今で言うところのストーカー殺人に近いかもしれない。執着が憎悪に変わったのであろう。いつの世も、男と女のあいだのどろどろした部分は同じといえようか。

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